試された大地(原著者:大地 鷲さん)

 羊蹄山マッカリヌプリの上空。一人の小さなカムイが、一面灰色になった広大な荒地を無言で見下ろしていた。その姿を認めた獣神が、ひょいと声をかけた。


「よう。こっちに来るのは珍しいじゃないか」

「そうだな。本当に久し振りだ。二百年……いや、それ以上間が空いたな」

「神送りが行われたってことか?」

「違う。シユクカムイ(巨大神)が衰えて、抑えていたウェンカムイ(悪神)が地上に出てきたんだ。俺はまだ森の中で寝ていたかったんだが、とばっちりを食らってな。こっちに強制送還さ」


 カムイエカシ(老熊神)が、全身の毛を逆立てた。


「なんだと? ウェンカムイが目覚めたのか!」

「目覚めたんじゃない。ウェンカムイはずっと起きてたよ」

「そ、そんな……あいつを抑え込める神なぞ、天地どちらにもいないぞ?」

「ああ。俺たちの代表としてシユクカムイが口論チャランケに臨んだものの、ずっと決着が付かなかった。ウェンカムイを鎮めるのに五百年かかっている」

「そうだ」

「俺たち総出でやっとトヤの下に押さえ込んだが、ウェンカムイはじっと再臨の機会を待ってたんだよ」


 黙り込んだカムイエカシが、低く唸った。


「うう。ウェンカムイが強くなったんじゃない。俺たちが弱くなったということか」

「そう。人間アイヌは神送りをしなくなった。地上にばかり獣神が溢れ、人間はそれを天に送らず放置した。天に戻る神がいなくなれば、天から再臨する神もいなくなる」

「それで……か」

「ああ。シユクカムイだけではどうにもならんよ。地上の獣神は力が弱い上に、自力では天に戻れん。天界の過疎化が一方的に進んでいる。神送りが絶えれば、いずれはこうなるさ」


 コロポックルは、小さな吐息とともに眼下の荒野を見下ろした。それは、栄華を誇っていたサッポロペツの地がウェンカムイの振り下ろした足で一瞬のうちに蹂躙された数日後のことだった。


 前代未聞の大惨劇。過去を忘れた人間にとっては、予測不能な天災だったかもしれない。辛うじて難を免れた者、そして被災地に踏み込んだ調査隊によって『大空落』と名付けられた原因不明の激甚災害は、五百万人というとてつもない数の人命を一瞬にして奪い去った。だが、穏やかに語っている小さい神も、天に還ったあまたの獣神も、その員数には含まれていない。


「のう、コロポックルよ。これからどうするんだ?」

「俺たちは試されている」

「試されている……か」

「そう。前はシユクカムイがチャランケの先手さきてを引き受けてくれた。だが、老いて衰えたシユクカムイにこれ以上の助力を頼むのは酷だ」

「……確かにな」

カムイに殺された人間アイヌは、神になる。五百万からの神が天に居れば、その中にはきっと腕の立つ者、口の立つ者がいるだろう。ウェンカムイに立ち向かい、それを鎮める力を持つ者を探そう」

「それでも……神送りは復活せぬよな」

「仕方あるまい」


 コロポックルは微苦笑した。


「試されているのは人間だけではない。この大地そのものが、存続を試されておる。俺らを含めた、この世界そのものがな」



【 了 】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885337023/episodes/1177354054885337035

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