教室の獣(原作:芥流水)

 いつもと同じ朝だった。

 目覚まし用にセットしたスマホのアラームに二度かけて起こされ、朝ご飯を食べ、顔を洗い、髪を整える。髭は、今日はいいか。

 制服に着替えたら、起ききっていない頭のまま駅に向かう。満員電車に揺られて、高校へ。

 下駄箱で、上履きのスリッパに履き替えたら、二階にある教室を目指す。

 いつもと同じ朝だった。


 異変を感じたのは、教室に入った時だった。

 最初に、なにやら不快な臭いを感じた。不快だと感じる臭い。いつかどこかで嗅いだことのある臭い。何の臭いだったかと、記憶を辿る。

「なんか、変な臭いしねえ?」

 唯一教室にいた、中央の席で机に突っ伏している男子生徒に声を掛ける。この臭いについて、話そうと思ったのだ。

 返事はない。すっかり眠ってしまっているのか。


 近づいて、臭いを特定した。血の臭いだ。錆びた鉄の臭い。

 突っ伏している男子生徒の椅子のところに、血溜まりができていた。

「おい、どうした」

 肩を揺するが返事はない。

 そして、俺は男子生徒が誰なのか、特定した。友人の一人、戦兎せんとだ。

 戦兎とクラスが違ったことも、いつもなら教室が賑やかなのも、頭から飛んでいた。


 ピシャン。頭に響く水滴の音。

 視線を動かせば、制服を伝って血が滴っている。

 そして、制服には歯形のようなものが付いていた。人のような半円の跡ではなく、もっとこう放物線の、犬のような。

 とっさに後ずさるも、別の机に阻まれる。


 何だコレ? どういうことだ?

 混乱する頭で、それでもはっきり思った。逃げなければ。

 机や椅子にぶつかりながらも、後ろの出入り口を目指す。

 引き手に両手をかけ、左から右へ勢いよく。動かない。

 どういうことだ? 教室に鍵なんて無い。


 後ろがダメなら、前。

 移動しようとして、振り返り、ソレを見た。

 俺に向かってくる、犬のような獣を。

 飛びかってくる。とっさにしゃがみ込んだ。うように、その場を逃げる。


 カチン。歯と歯がぶつかる音。

 着地した獣。こちらを見る。

 目が、あった。

「何なんだ、お前」

 獣相手に、言葉が通じるわけがない。けれども、そう問うていた。



 景色が変わる。木々の中。山の中か。

 首だけを回して、周りを確認する。

 二人分の人影が見えた。

「助けてくれ!」

 思わず叫ぶ。けれど、声は届いていなかった。


 見覚えのある二人組。

 ああ、俺と戦兎だ。

 先週末、二人で山登りをした。その時の光景だ。

 山登りとは言っても、スニーカーでも登れる、片道二時間の道程。ハイキングと言った方がいいかもしれない。


 その途中、もよおした俺たちは、コースを少し外れ、立ちションをした。その時の光景だ。

「ヤベっ、かかちまった」

 景色の中の戦兎が言う。

 コースから外れ、長くなった草の下に隠れていた、地蔵のような石に小便をかけてしまったのだ。

 意図したわけではない。隠れておらず、最初から見えていれば、避けていた。


「どうした?」

「ほら、これ」

 足で草をかき分けて見せようとしたのが悪かった。

 石が倒れ、その衝撃で首と思われる部分が外れる。

 怖くなった俺たちは、そのまま逃げ出した。

 コースに戻り、無かったことにして、登山を続けた。



 山の風景が、教室へと戻る。

 獣が俺を見つめている。

「俺は何もしていない。全部あいつがやったんだ」

 助かりたい一心で、全てを戦兎に押しつけた。


 獣が床を蹴る。

 もう、逃げられなかった。顔を背け、目を瞑るしかできなかった。

 獣の重み、生温かさ、強烈な痛み。

「近頃のは、謝ることを知らぬのか」

 頭に響く低い声。



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原文:https://kakuyomu.jp/works/1177354054885334077/episodes/1177354054885334150

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