喫茶カテドラル(原作:戸松秋茄子)

 扉が開く。カランカランとベルが鳴り、来客を告げる。

 礼服に身を包んだ二人組の男性。ネクタイの色は、黒。

 葬儀の帰りだろうか、一人はひどく落ち込んでいて、もう一人に介抱されている。


「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 僕は、身振りでカウンター席を勧めた。

 介抱していた男が、ほらと席に着かせ、自らはその隣に座る。僕から向かって左が介抱されていた男、ひどく落ち込んでいる。


「ご注文はお決まりですか?」

 介抱していた右の男が、メニューに視線を落とす。

「なあ、あんたはどうする?」

 左の男に向かって尋ねるが、応えはない。

「じゃあ、コーヒーで。あんたもそれでいいよな」

 左の男は軽く頷いた。


「かしこまりました」

 僕はコーヒーポットを火にかけ、豆を挽く。

「ちょっと待て、兄ちゃん」

 カウンター席の奥から、常連客の伊藤が声を掛けた。この男は、このような状態の客にまで、ちょっかいを出すのか。


「喫茶店に来て、『コーヒー』なんて注文の仕方があるか」

 店主が注文を受けたのだから、それでいいだろうに。

「悪いね、この人が言いたいのは、コーヒーにも色々あるってコトなんだ。ブレンド、モカ、エスプレッソ、キリマンジャロにカプチーノ」

 伊藤の連れが注釈を入れ、その隣で伊藤がウンウンと頷いている。

 豆の種類と煎れ方とが、ごちゃ混ぜになっている。それに、一口にブレンドというが、それは、それこそ多岐にわたる。

 こういう時は、自慢のブレンドを、これという方法で煎れた物を出せば良いのだ。


「コーヒーはコーヒーだろう。マスターだって、ちゃんと心得ている」

 右の男が言い返す。

「そうですね」

 豆を挽く手はそのままに、僕は返した。


「これだから二代目は。先代はコーヒーの味もわからん奴は、ぴしゃりと追い返したぞ」

 伊藤は、何かにつけてこう言うが、伊藤が追い返されていない時点で、それは否定できるだろう。

「今は、私がマスターですので」

 ネルのドリッパーに挽いた豆を煎れ、少しばかり湯を注ぐ。しばらく蒸らして、豆に湯を吸わせる。

 伊藤はまだ何か言いたそうだったが、連れの男になだめられていた。


 ドリップには、少し時間が掛かる。

 その間に、右の男が左の男の背中をさすり、声を掛ける。

「どうだい、少しは落ち着いてきたか」

 左の男は、軽く頷くだけだ。

「具合でも悪いのですか?」

「ちょっとな。心の問題だから、どうこうできるものでもないんだが」

 応えたのは、右の男だ。それほど、大切な人を亡くしてしまったのだろうか。


「お待たせいたしました。少し、落ち着くと良いのですが」

 それぞれにコーヒーを出す。

「お……し……だ」

 左の男が、何かを呟いた。

「えっ?」

 思わず、聞き返す。左の男が顔を上げ、こちらを見た。目が合った。

「俺が殺したんだ」


「二代目、一一〇番だ。人殺しがここにいるってな」

 伊藤が声を上げる。

 いや、ちょっと待て。その言葉だけでは、真意はわからないだろう。

 友人の相談を軽く受け流してしまったのかもしれない、ちょっと目を離した隙に子供が事故に遭ったのかもしれない。

 追い詰めて、自殺でもしてみろ。それこそ、伊藤が人殺しになるではないか。


「ちょっと待ってくれ」

 右の男が、思わず立ち上がり、両手を胸の前で広げて制止のジャスチャーをする。

「なんだよ、人殺しのお仲間が」

 伊藤が、いきり立つ。


「この人は関係ない。公園で会って、話を聞いてくれたんだ。それで、ちょっと落ち着こうって、ここに連れてきてくれた」

 左の男が伊藤を見る。その目には、力があった。

「まあまあ、お二人とも落ち着いて」

 僕の言葉に、立っていた二人が腰を下ろした。


「よかったら、何があったのか、話していただけませんか?」

 はき出してしまえば、楽になることもある。けれども、強制はできない。

 奥の席では、伊藤がふてくされ、連れに愚痴を言っている。


「あの子は……タミカは……じっと俺を見ていた。家に押し入った俺を、ただじっと。逃げず、騒ぎ立てず、黒目がちな、吸いこまれそうな目で俺を見てたんだ。俺はそれが恐ろしかった。だから、そう。手に持ったゴルフドライバーを振り下ろしたんだ。あの子の頭めがけて何度も何度も。最初の一撃で頭蓋骨が陥没して、砕け、脳症が飛び散ったよ。そう、俺はあのかわいそうな犬を……」

 人ほどではないが、犬を殺しても罪にはなる。

 蚊を殺すのとは違い、心に刺さる。どうしてそのような場面になったのかは、深く聞くまい。


「この人はひどく怯えててさ、それで言ったんだ。出頭しようって、付いていくからって」

 右の男が、コーヒーを一口飲んで、そう言った。

「そうですね、保護してもらった方がいいでしょう」

「マスターもそう思うか」

 ええ、と僕は頷いた。


「保護だって? 他人の家ひとんちに押し入って、犬を殺した犯罪者を? 二代目、何を言ってるんだ」

 伊藤が怒鳴る。きっちり聞き耳を立てていたのか。

 この人はたぶん、誰かとどこかの家に押し入った。けれど、何もできなくて、見つめる犬の視線に耐えられずに、殺してしまった。もちろん犯罪だ。

 けれども、一緒に押し入った誰かを恐れている。その誰かに何かされる前に、警察に保護してもらうべきだ。


 左の男が、冷めてきたコーヒーを飲み干す。財布から千円札を出し、カウンターに置いた。

「マスター、悪かったな。俺のせいで空気を悪くした」

 いや、ほとんどは伊藤のせいだ。

「あんたも、すまなかった」

 左の男は立ち上がり、扉へと向かう。右の男も、慌ててコーヒーを飲むと、ごちそうさまとその後を追う。


 扉が開く。カランカランとベルが鳴り、二人の客を送り出す。



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原文:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331548/episodes/1177354054885337306

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