あぁこれ、すごく分かります…。
言葉は、とても不平等なものだと思います。
ひつじ様の仰る通り。
これ常々感じてることなのですが…。
例えば、この前テレビで十代の子役の子が、すっごくいい事を発言していて、聞き手役の六十代の編集長が「貴方はとても若いのに、言葉にすごく重みがある」と褒めてたんですよね。
でも、それはあくまでも、
「その子が子役としての地位を必死に築き上げて、話を真面目に聞いてもらえる立場」にいたからという要因と、
「聞き手役のおじさんが、子供の話でも真面目に聞いてくれる人たったから」という二つの要因があって、初めて成り立つものなんですよね。
全く同じ言葉を、例えば私がリアルで発言したとして、それは周囲に笑われるだけであろうと思います(実際、それで失敗して以来、己の本心をリアルで語るのは苦手になりました苦笑
だからこそ、ひつじ様のご意見に激しく同意します。
リアルと違って、小説を通して語ることは、とても自由だと思います。リアルの立場も世代も超えて、多くの人に届けることができる。
往々にして気づいてもらえないことも多いですが…自作品にそれなりに自分の主張を盛り込んで、そこについて読者の方から深い考察を頂いた時は、何物にも代え難い喜びがあります。これがあるからこそ、私は小説を書く事をやめられないんだろうなぁと…思います…。
そして、そんな作者の主張が盛り込まれた作品を読むのも、とても好きです。読者としても、作者の隠れた意図を感知して、そこについて深く考察できるようなコメントを残せればいいなぁ、と思います。
作者からの返信
僕もリアルで本心を語るのは苦手です。
弱音を吐くのも、指摘をするのも、相手を意識して、かなり遠回りすることもあります。
それが逆に悪い方向に働いたりもしますが(ToT)。
>小説を通して語ることは、とても自由だと思います。
嘘も本当も、青臭いことも酷い弱音も言えて、本当に自由だと思います。
僕も、長い長い冗談の中に本音を隠すようなイメージで、主張(というよりもっとフワフワした言い分)を盛り込んでいるつもりです。そこに共感してもらえたら、本当に嬉しいです。
隠れた意図を、ビビっと察知した時の快感は好きです。あとちょっとで見えそうで見えない著者の意図を、ぐるぐる考えるのも好きです。「意図にちゃんと気づいた」ってことをコメントにして、伝えるのは大事なことだと思います。
「誰が語るか」という点、とても感じ入ります。良いか悪いかは別として、そういう側面は多かれ少なかれ、誰にでもあるように思います。
説得力の要因って考えてみると難しいですね。最近は、その人の「ブランド価値」みたいのが影響するのかな、とか、タイムリーに考えていた所でした。
そして「何を語るか」という点。
白状しますと、私はそこまでは考えていなかった様に思います……うむむ。作家目線で言うと、何を伝えたいかでしょうか。うむむ。とても貴重なご意見をいただいた心持ちであります。
>ちゃんと伝わる文章になっているか不安だし
最近、友人が短歌や俳句に取り組んでいることを思い出しました。
小説やエッセイとは異なるかも知れませんが、書き手の意図を離れて、読み手が違う解釈をする……怖い部分でもありますが、それも作品の要素なのかも知れません。なので、やっぱり、アウトプットが大事なのかしらと、読ませて頂いて唐突に思いました。
などといきなり済みません!
こう、連々と思う所を書かせていただきました……(汗)
作者からの返信
名前が変わってる!エイプリルフール関係ですか、プロ野球開幕関係ですか、驚きましたよ!
「誰が語るか」説得力の要因、難しいですね。悩みます。ブランド?信頼関係? まだモヤモヤと言葉の形にならないです。
「何を語るか」
何を伝えたいか。主張。
主張にも種類があると思うんです。
「善悪」こうするべきだ。これが正義だ。これが正しい。
「好嫌」ボーイミーツガールが好きだ!腐りきった悪役が好きだ!
「美醜」美しい文はこうだ! 美しい構成はこうだ!
全てを小説本文に言葉にするのではなく、行動や情景で示せれば素敵です。
考えていなくても、書くときににじみ出てしまうものでもあるとも思います!
でも、せっかく心にあるのなら、明確に意識して文を書くと、パワーがある文になるのではと思います。
僕は「三人称・多元視点」について深く考えて「退かずのアリス」に反映しているところをみて、「誰が語るか」「何を語るか」が大切だと改めて感じたんです。文章をコントロールする力があることが「誰がどう語るか」の力があることだと思います。
>書き手の意図を離れて、読み手が違う解釈をする
これはそうですね。自分でも気づかない解釈をしてくれたら、たしかに嬉しいです。そういう機会があることが、アウトプットの価値でもあるとも思いました。
こちらも長々とすみません!
コメントありがとうございました!