第26話 和解

「カシワザキヨウ、出ろ。釈放だ」


 牢の外から警察官のしゃがれた声が響いてきた。容はゆっくりと顔を上げる。「釈放?」つぶやくように問いかけた。「そうだ。身元引受人になるって奴が来ているぞ」その言葉を聞いて、容は「あぁ、ロイが来てくれたのか」と思った。


 格子戸をくぐって外へ出る。コンクリートの床を歩きながら「結局、ロイには迷惑をかけてしまったな」と思った。扉をひとつ抜け、ふたつ目の扉が開かれた。そこは警察署のロビーだった。板張りの床の部屋になっていて、右手には出入り口、その正面にはカウンターテーブルが設けられている。


 容が何気なくそこへ目をやる。比較的細めの容の瞳が、大きく開いた。


「フェリス……」


 声にならないほどの小さなつぶやきだったが、それに反応したフェリシアが振り返る。容と目が合った瞬間、彼女の瞳にうっすらと涙が浮かんで、キラキラと宝石のように輝いて見えた。「ヨウ……私……」とフェリシアが近づこうとすると、容を連れてきていた警察官が「手続きは終わっている。感動の再開は、外でしてくれ。ここにいられたら迷惑だ」と言った。


 ふたりは出入り口のドアを開け、外へと出た。家への道をしばらく無言で歩いた。ひとつ目の角を曲がった辺りで、フェリシアが容の顔を見上げながら「さっきの警察の人。あんな言い方しなくても良いのにね。ヨウが悪いことしたってわけじゃないのに」と少し不満そうな顔をした。


「まぁ、警察官なんて、どの世界でも似たようなものだ」

「ヨウも、前いた世界では、あんな感じだったの?」

「うーむ……どうかな? よく思い出せないな、いや、そうだったかもしれない」

「へぇ、なんか今のヨウを見ていると、想像できないけどなぁ」


 少しの沈黙の後、フェリシアがうつむきながら言った。


「あのね、ヨウ……。ごめんなさい。ヨウにあんな態度を取っちゃうなんて……。私どこかでヨウに甘えていたんだと思う。ヨウなら分かってくれるはず、何で分かってくれないの、って。ちゃんと話せば良かったのにね」


 そう言うと立ち止まり、容に向き合って「ごめんなさい」と頭を下げた。それを見た容は動けなくなっていた。ただ吐く息が白く、ゆっくりと流れていた。容の手がピクリと動く。何度か躊躇しながらも、少し屈むとフェリシアの手を取った。


「いや、謝らないといけないのは、俺の方だ」視線をフェリシアに合わせて、まっすぐ見つめる。


「俺は……。フェリスに出来るだけ苦労をかけたくないと思ってたんだ。その思いは間違いじゃないと、今でも思っている。でも、ひとりで何でもやることが、お前のためになるわけじゃない、ということを考えてなかった」

「ヨウ……」フェリシアは握りしめられている自分の手を見つめる。

「奢りがあったのかもしれないな。どこか何でもひとりで出来る。人を頼らないことが、正しいことなんだと思っていたんだ。でも、頼りにされなかった人の気持を考えることをしなかった。昨日凪沙に言われたんだ。『苦労は分かち合いたい』って。それでやっと気がついた。悪かった、俺が間違ってたよ」

「ヨウ……」フェリシアはまだ手を見ている。そして「ヨウ……ちょっと、手が……痛いよ」と顔をしかめた。


 容が慌てて握っていた手を離した。「悪い。つい力が入って」


 手のひらを少し振って、わざとらしく「ふーふー」と痛がるフェリシア。ふたりは再び目を合わせて、そして同時に笑った。


「ヨウってば、女の子の扱いが下手だよねぇ」

「悪かったって言ってるだろ。わざとじゃないし……」

「あはは。ヨウ、勉強不足だよ」

「むぅ……」


 困惑する容の手を、今度はフェリシアが取る。小さな手のひらだったが、まるで包まれているような感触に包まれた。「これからもよろしくね、ヨウ」とフェリシアが容を見つめた。白い肌がほんのり赤く染まっている。「おぅ」と短く返事をした。


 容はじっとフェリシアの瞳を見ていた。キラキラと輝く瞳に吸い込まれそうになっていた。容の顔がゆっくりとフェリシアの方へ近づいていく。フェリシアは驚いた顔をしながらも、それに合わせるかのように、静かに瞳を閉じて――。


「あー、ゴホンゴホン」


 突然、聞こえてきた声に、思わず飛び上がるように離れる容とフェリシア。声の方へ振り向くと、そこには凪沙が立っていた。


「良いムードのところ、すみません。でも、公衆の面前では控えて下さいね」と凪沙が意地悪そうな顔で言った。凪沙の背後には、隠れるように英里も立っている。英里の顔はフェリシアよりも真っ赤に染まっていて、目には涙が浮かんでいた。「……ヨウさん……怖い」と震えている。


 きまりの悪くなった容が、慌てて「違うんだ。これは、その、あれだ。そう、フェリシアの髪にゴミが付いてて、それを取ってやろうと思って」と言う。フェリシアも「そうそう、そうなのよ? あれ? 取れた? ヨウ」と同調する。


 凪沙は「あー、はいはい。ゴミね。取れてますよ、と言うか付いてなかったと思いますけど」と少し呆れた様子。そして「それで、仲直りは出来たんですよね?」と確認した。容とフェリシアは顔を見合わせて、同時にコクリとうなずいた。


「凪沙にも心配をかけたな」

「いえいえ。ヨウさんには、以前助けてもらっていますからね。おあいこです」


 4人はそのまま、容とフェリシアの家へと向かった。家へ着くと、リビングのテーブルに案内して、容が「お茶を淹れるから」と言った。「いいよ。私がやるから、ヨウは座ってて」とフェリシアの言葉に、一瞬「いや、俺が」と言いそうになり、言葉を飲み込んだ。


 ポリポリと頭をかきながら「じゃ、頼む」と短く答えた。フェリシアは満面の笑みで「うん」とうなずくと、キッチンへと向かっていった。テーブルに着くと、凪沙が「お邪魔でしょうか?」と茶化すように言った。「もう良いって。その話は」容が答えると、凪沙は笑って「あんまりしつこいと、嫌われますからね」と持っていたカバンから何枚かの紙切れを取り出した。


「それは?」

「これはですねぇ……ジャーン! 報道部の発行している『ケンスブルグ・タイムス』の最新版です!!」

「ケンスブルグ・タイムス?」

「ほ、報道部が毎日発行している……新聞のこと……ですっ」英里が、凪沙にくっつきながら解説する。

「あぁ、そう言えば、よく校内で配ってるよな」

「ヨウさん。報道部に協力を要請したんですから、そこら辺はチェックしておかなきゃ、駄目ですよ」凪沙が人差し指を立てながら、チッチと振った。


 手渡されてた新聞は、容が知っているものよりも少し小さめのものだった。表裏に印刷がしてあり、1枚に記事がまとめられている。その裏面をめくった時、そこに書かれていた文字に思わず目が釘付けになった。


「おぉ、俺たちのことが書いてあるじゃないか」

「でしょ! できたてホヤホヤですよ。今日配られている分なんです。英里さんが、さっき届けてくれたんですよ」


 お茶をテーブルに並べていたフェリシアも「見せて見せて」と覗き込んできた。紙面には、容たちが掲げている施策「開かれた学徒会」の特集記事が載っていた。意見箱のことや、定例会のことも詳細に記載されていた。記事は中立を装っていたが、どちらかと言うと、施策を歓迎する雰囲気になっていると、容は思った。


「凄いね。ちゃんと私たちのことがしっかり書かれてる」フェリシアは感動してた。

「でしょう? これね、私がまとめて報道部に提出した資料が元になっているんですよ」と凪沙が自慢げに話す。

「いつの間に! 凪沙、よくやったな」容が褒めると、凪沙は「それほどでも~」と照れくさそうに言った。

「お姉ちゃ……部長は、これから定期的に紙面に載せていく、って言ってました」英里の言葉に、容は感謝しつつも、報道部を訪ねた時のことを思い出していた。


 あの時、凪沙が、英里との繋がりで部長に引き合わせてくれた。フェリシアの説得があったから、部長は首を縦に振った。自分ひとりで行っていれば、追い返されて終わりだっただろう。「やっぱり駄目だった」と報告するしかなかったに違いない。協力というのは、ただ単に仲良くするだけのことではない。皆が、自分の持っているものを出し合って、ひとつの結果に導いていくものなんだ。


 改めて、容は自分の未熟さを痛感していた。自分でも気が付かない内に、また暗い顔になっている容を見て、凪沙がその背中をバンバンと叩く。


「ヨウさん! ほら、見てくださいよ。ここにヨウさんが写ってますよ!」と、新聞に載っている写真を指差す。そこにはいつ撮られたのだろうか、フェリシアの演説の様子の写真があった。中央にフェリシア。右手にはポスターを掲げた凪沙。左手には……。


「おい、これ。俺の顔が半分見切れてるじゃないか」

「ヨウさん、背が高いですからねぇ……」


 フェリシアを中央にした構図のためか、容の顔が上半分ほど写真には写ってなかった。「口しか写ってない」とボヤく容を見て、フェリシアも凪沙も笑った。英里も凪沙の影から少しだけ顔を出して、写真を見ると小さくクスクスと笑う。


「今度からは、少ししゃがんだ方がいいかもね」と笑いながら言うフェリシアに釣られて、容も笑った。久々に心から笑うと、胸がスッと楽になった気がした。

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