第29話 結果
「それでは、これより学徒会長選、選挙結果を発表します」
講堂内に声が響き渡った。9月に容とフェリシアが入学式典で訪れた場所だった。あの時、現学徒会長エミーリアが立っていた壇上に、今は選挙管理委員会の面々が立っていた。その後ろには木製のパネルが設置されており、仰々しく紫色の布が被せられている。
壇の下では多くの学徒が、固唾を呑んで結果発表を待っていた。その中には、当然容とフェリシア、凪沙の姿もあった。そのすぐ左手には、笹原聡美、英里の姉妹などの報道部のメンバーも大勢集まっていた。選挙結果の速報を作る気なのか、中にはカメラを構えた学徒の姿も見えた。
容たちの右手にはソフィアを中心に選挙メンバーが大勢控えていた。ソフィアの表情は固く、まるで容たちに気が付かないかのように、じっと壇上を睨むように見ている。
容はソフィアの隣にいたひとりの女学徒に目がいった。どの学徒も緊張からか、程度の差こそあれ緊張した面持ちになっていた。しかし、その女学徒だけは、どこか余裕で少し笑みを浮かべているようにも見えた。
その時「発表します!」という大きな声が講堂内に響き、容は慌てて壇上へと視線を移す。紫の布が音も立てずに静かに落ちていった。パネルに張られている用紙に書かれていたのは――。
「第21代ケンスブルグ校学徒長は、ソフィア・モーレンに決まりました!」
同時に報道部のカメラのフラッシュがたかれ、壇上が連続した光に包まれた。おぉっという歓声が講堂内に響いた。容はざわつく講堂内で、白く光る投票結果を見ながら、力が抜けていくのを感じていた。
確かに昨日、例え選挙に負けてもこれまでの努力が無駄になってしまうわけではないと思った。しかし、現実にそうなってしまったのを見て、何かがなくなっていくような喪失感を感じていた。
「まぁ、やることはやったんだし。しょうがないよ」
同じように愕然としていた凪沙の肩を叩きながらフェリシアが言う。凪沙は目に涙を溜めながらも、必死でこらえようと努力しているようにも見えた。そんな凪沙を見て、容は確かにフェリシアの言うように、しょうがないのかもしれないと、自分に言い聞かせた。
どれほど嘆いても結果は変わらない。今は現実を受け入れて、前を向いていかなければ。
そう思い直して、フェリシアと凪沙と健闘をたたえるため握手をしようと手を差し伸べた辺りで、容は講堂内の雰囲気がおかしいことに気が付き始めていた。結果発表からある程度時間が経ったのだが、一向に講堂内に響く声が収まらない。
当初は、結果を見ての歓声に近いものだったが、今ではそれそれがバラバラの発言をしており、ざわついているという感じになっていた。容の近くにいた学徒のひとりが「おかしくないか?」と言っているのが聞こえてきた。
それを聞いて容は壇上をもう一度見上げた。そこには候補者二名の名前と共に、得票数も書かれていた。「ソフィア・モーラン」という名前の右に「45,326」という数字が書かれていた。それがソフィアが獲得した得票数だという事は明白だ。一体何がおかしいというのだろう、と思いながら、その下に書かれていた「フェリシア・ウィングフィールド」の名前を見る。
その隣には「23,790」という表記があった。「約2倍近い差を付けられた」ということか、と容が思った時、先程の学徒が声が再び聞こえてきた。「投票率6割って、おかしいんじゃないか」
容の感覚では、それほどおかしくない。というか、むしろ高いくらいだと思っていた。しかし、その学徒は「7割を切るなんて低い投票率、過去最低じゃないか」と続けていた。そうなのか? と思ってフェリシアと凪沙の方へ振り向く。凪沙は手帳をめくりながら「あった! 確かに過去最低ですね。前回の学徒長選挙が投票率9割。いずれも8割を切った選挙は最近ではないようです」と言う。
どういうことだ? そう思いながら、再び壇上を見上げた。10人ほどの選挙管理委員たちは、学徒たちの反応を見て、やや動揺しているのか顔を見合わせている。「不正じゃないか」という声が近くから聞こえてきた。そして、その声は徐々に多くなっていた。
「お静かにして下さい!」という声が響いた。振り返ると、声の主は、先程ソフィアの隣で笑みを浮かべていた学徒、ソフィアの選挙参謀のブリジットだった。「不正だという証拠があるわけでもないのに、推論だけで議論をしないようにお願いします」と続ける。
そして壇上に向かって「選挙管理委員会の皆さん、そういう心当たりはありますか?」と問いかける。当然、そう聞かれて「はい、あります」というわけもなく、選挙管理委員の代表者は「いえ、そのようなことはありません」と答えた。ブリジットは「だそうですよ」と辺りを見回した。
それでも講堂内のざわつきは収まらず、あちらこちらで話し合っている声が聞こえてきた。
「でも、私の周りの友達、みんなフェリシアさんに投票した人ばかりなんだけどなぁ」
「そうそう、そんな雰囲気あったよね。最初はソフィアさんかなぁって感じだったけど、段々フェリシアさんが有利になっていったって感じ」
「あの意見箱っていうのに、すごい列が出来てたのも見た? もの凄い数の人が書いたって聞いたんだけど」
「あの報道部もフェリシアさんを公認するって言ってたんでしょ?」
「なんか、やっぱりおかしいよね」
「もっと接戦になるって思ってたのに」
「ここまで大差だっていう方が不自然だよな」
声は一向に収まらず、むしろ再び大きくなっていっていた。どういうことだ? 何が起こっているんだ? そう思いながら、容は辺りを見回した。ブリジットが目に入ってきた。彼女は先程までの余裕はなくなり、うろたえたような表情になっていた。その隣にはソフィアもいた。ソフィアは、固まっているかのように、じっと壇上を見上げていた。若干、顔が青ざめているようにも見える。
どうしたんだろう? と容が思っていると、どこからか呼ぶような声が聞こえてきた気がした。キョロキョロと辺りを見回してみるが、皆それぞれに話を続けていて、違うように思えた。気のせいかと思った。
「……あのっ」やっぱり聞こえる。壇上を見上げてみると、先程まできれいに並んでいた選挙管理委員の一人が、前に出て「あのっ、少し聞いて下さい」と必死で叫んでいるのが聞こえた。他の委員会のメンバーは驚いたように、その女学徒を見ていたが、誰も止めようともしないし、かと言って、手伝おうともしなかった。
容は彼女の姿を見て驚いた。それは先日、学校の近くで彼が助けた女学徒だったからだ。容がすぐに警察に連行されたため、それ以降の接点はなかったのだが、顔だけは覚えていた。
何度かの呼びかけに、ようやく気づき始めた学徒たちが静かになり、壇上に視線を合わせていった。大勢の学徒に見つめられたためか、その女学徒は一瞬ビクッと驚いたようだったが、すぐに姿勢を直すと「すみません。聞いて欲しいことがあります」と言った。
「選挙管理委員会のひとりとして告発します。この選挙で不正が行われました」
講堂内が一瞬静まり返り、そして大きなうねりのような声が起こった。先程まで静観していた選挙管理委員のメンバーが、今度は必死で「静かにして下さい」と学徒たちをなだめ始めた。
ようやく静かさを取り戻した頃、女学徒は再び口を開いた。
「私は選挙管理委員会のティナ・シェリーと申します」と彼女が言うと、凪沙が「どこかで聞いたことがあるような……」とつぶやいた。「あっ! シェリー家と言えば、この学校の創設者メンバーのひとりですよ。たぶん、彼女のお祖父様がそうだったと思います」
「と言うことは、やっぱり結構名門の家ってことか?」容の問いに「名門も名門ですよ。まぁ、最近ではエミーリアさんのゲートシュタイン家や、ソフィアさんのモーラン家に比べると、やや落ちると言われていますけど、それでも充分良い家柄です」と、手帳をめくりながら言った。
壇上ではティナが言葉を続けていた。
「私も昨日の投票終了から、開票作業に携わっていました。明け方、やっと開票作業が終わったのですが、結果を見て私たちは驚きました」そこで一旦呼吸を整える。
「皆さんが感じたのと同じように、まず投票率の低さに気づきました。投票率60%というのは、過去の例を調べるまでもなく最低です。それも群を抜いて」講堂内にいる学徒に語りかけるように話す。
「そして、投票率に加えてウィングフィールド候補の得票が異常に少なく、モーラン候補に比べて半分というものにも疑問を感じました。私たちは、事前に覆面調査を行っています。これは、選挙で不正が行われていないかチェックするためで、事前調査と選挙結果に大きな違いがあった時に、それに気が付きやすいようにするためなのですが――」最早、口を開いている学徒は誰もいなかった。
「事前調査では接戦、という結果になっていました。調査は3度行われたのですが、そのいずれも似たような数字になっていました。しかし、結果はほぼ倍の差がついています。このふたつを持って、私たちは不正があったのではないかという疑念を持ちました」
「しかし、様々な調査を行いましたが、証拠となるものは出てきませんでした。投票用紙を全てチェックしましたが、書き換えなどは見られなかったのです。そこで、選挙管理委員会は調査を打ち切り、定刻通り発表を行うということになりました」選挙管理委員会のメンバーの内、数人がうつ向いてそれを聞いていた。
「でも、私と一部のメンバーは諦めず、調査を続行しました。投票率が低い、ウィングフィールド候補の投票数が少ない、このふたつが示すのはひとつの事実です」容は、ようやくここで、何が行ったのか理解し始めていた。
「つまり、ウィングフィールド候補への投票の大半が破棄されているのではないかということです」
講堂内が再びざわつき始める。容が隣を見ると、ソフィアが真っ青になりながらブリジットを問い詰めているのが目に入った。ブリジットは必死で何か話しているが、ソフィアは聞く耳を持たない様子で、何度も問いかけていた。
「調査は困難を極めましたが、先程、ついに証拠を発見しました」
ティナがそう言って、壇の袖を振り向くとこくりとうなずいた。ふたりの学徒が大きな箱を抱えて現れた。それをティナの隣に置く。彼女は箱を開けて、中から一枚の紙切れを取り出した。それは投票用紙だった。「時間がなくて、まだ全てを確認出来ていないのですが」そう言いながら、そのふたつに折られた紙を開く。
しばらくそれを見つめていたが、頭上に掲げるように学徒へと向けるとこう言った。
「恐らく、この箱全てにウィングフィールド候補の得票が入っていると思われます」
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