第28話 投票日
「ヨウ、早く早く!」
フェリシアが満面の笑みで手招きしていた。容は「中身はおっさんなんだから、勘弁してくれよ」とヘロヘロになりながらなんとかついて行く。
学徒選投票日は、2月の第一月曜日に行われることが慣例となっていた。つまり今日。投票日には、候補者と応援スタッフの登校が禁じられていた。これは、投票寸前での選挙活動を防ぐためであったが、そのお陰で容とフェリシア、それに凪沙の3人は週末からの3連休を過ごしていた。
とは言え、とても遊びまわる気分になれなかったので、凪沙は「年末年始、帰れてなかったので、帰省します」と言って実家に帰って行ったし、容とフェリシアも家に引きこもって悶々とした日々を過ごしていた。
流石に2日も家にいると「もう飽きた」とフェリシアが言い出し、投票日にまで家にいると気分が滅入りそうなこともあって、ふたりは街へと繰り出したのだった。フェリシアはさきほどからはしゃぎまくって、容をあちらこちらへと引っ張っていっていた。
「とは言え、先立つものがなぁ」と容がこぼす。意見箱の大量生産や、規定以上のポスタービラの制作配布。ロイからの生活費、容がアルバイトで稼いだお金の大半は、1月の選挙活動に注ぎ込まれた。次の生活費支給まで、なんとか食いつないではいける程度しか残されていない。
「まぁまぁ、そんな暗い顔しないの。やるべきことはやったんだから。人事を尽くして天命を待つ、って言うでしょ? 今日は忘れてパーッと遊びましょう!」
いや、確かに選挙のことも心配なんだが、本当に心配なのはそっちじゃなくて……。
そんなことを思いながらも、いつの間にかフェリシアのペースに巻き込まれて、容も徐々に楽しさを感じていた。フェリシアと列車の中で出会ったのが8月のことだった。あれから約半年。色々なことがあった。
容自身、自分の至らなさを痛感したことも多かったが、その分成長できている実感はあった。それはフェリシアにしても、凪沙にしても同じことだったのだが、容は特にそれを強く感じていた。
選挙の結果がどうでも良い、とは言わない。ただ、選挙の結果がどうであっても、これまでやってきたことが無意味だとは思えなかった。
「なに? また暗い顔になってるよ」
昼食を食べようと入った店で、テーブルの向こうに座っているフェリシアが不満そうな顔でそう言う。容は慌てて「悪い悪い」とメニュー表を開いて「何にするかな?」とごまかすように言った。
「うっ……。結構高いな、この店」容はメニューに書かれた値段を見て、そうつぶやいた。最早、メニュー名は目に入っていない。値段だけを順番に確認していっていた。
「あ、もしかして、お金の心配してる?」
「あぁ、まぁ……。選挙で結構使っちゃったしな」
「でも、ヨウのことだから、もう全然ないってわけじゃないんでしょ?」
「そりゃ、食べていけるくらいにはあるし、今日も外食する程度なら……」
「じゃ、いいじゃない!」
フェリシアはあっけらかんとそう言い放つ。「なんとかなるって」そう聞くと、容もなとなくそう思えてくるのが不思議にも思えた。
午後もフェリシアに連れ回されて、あちらこちらのお店を覗いた。フェリシアは「ねぇ、この服可愛いよね」とか「これ、ヨウに似合うんじゃない?」とか「このガス灯、ベッドサイドに欲しいなぁ」とか、行く先々の店で商品を手に取っていたが、容を気遣ってか「欲しい」とか「買う」とは言わなかった。
少し日が傾いて、容も流石にヘトヘトになってしまった頃。「帰る前にお茶して行こう」というフェリシアの提案で、ふたりはカフェへとやってきた。通路沿いにあるオープンデッキの席に座り注文を済ませると、フェリシアは肩から下げていたポーチに手をかけた。
そして、中から包み紙をまとった小さな箱を取り出すと、容に「はい、これ」と言って手渡した。「なんだ? これ」「いいから、開けてみてよ」言われるがままに、包装を丁寧に取り、中から出てきた箱のふたを開ける。
「おい、これ……!?」
中に入っていたのは、小さな懐中時計だった。上品そうな布の緩衝材に包まれて、銀色のボディが光っている。取り出して蓋をあけると、精巧そうな針がガラスパネルの向こうにあるのが見えた。容が懐中時計を見るのはこれが初めてのことだったが、かなり高価なものであることだけは分かった。
「どうしたんだ? これ」
「誕生日プレゼント。ヨウ、1月が誕生日だって言ってたでしょ? 選挙で忙しかったから、何もしてあげれらなかったけど」
「あぁ、ありがとう……。でも、これ」
「ん?」
「いや、とても高そうだから」
「あー。ううん、大丈夫。あれよ、王室の隠し財産ってやつ? そこから捻出したから」
そんなものがあるんだったら、先に言ってくれよ、とも思ったが、容は素直に感激していた。もちろんこれまでも、誕生日に何かを送られたことはあった。でも、こんなに嬉しいと思ったこともなかった。そう感じていた。
「あ……ありがとう、フェリス……」思わず、うつむいてしまう。
「何? ちょっと、ヨウ……。もしかして泣いてるの?」
フェリシアの言う通り、容の瞳からは大粒の涙が溢れ落ちていた。男子たるもの、人前で涙を見せるなど、と思うが、どうしても止まらなかった。それを見ていたフェリシアは「そこまで喜んでくれると、こっちまで嬉しくなるけど……」と少し照れながら「なんか、暑くなってきちゃった」と上着を脱いで、椅子へ掛けた。
涙で視界がグチャグチャになりながらも、フェリシアを見た容は、あることに気がついた。「あれ……。お前、今日はネックレスしてないんだな」
フェリシアは「しまった」という顔をして、慌てて胸元のシャツを閉じて「あぁ、あれはね……」とつぶやく。
「売っちゃった」少し困った顔をしながら微笑んだ。
「売っちゃったって、なんで……。もしかして、これ……」容は手元の懐中時計を見る。「だって、お前。あれはお母さんがくれたものだって……」
「いいのよ」
「いいわけないだろう!?」
「いいったらいいのよ!」
「……フェリス」
「それに、べっ、別にヨウのためだけってわけじゃないんだから! 私だって欲しいものがあったし……」
それが優しい嘘だと言うことくらいは、容には理解できた。しかし、これ以上何かを言うのは、フェリシアの好意を無駄にしてしまう気がした。だから、ギュッと手の中の懐中時計を握りしめながら「ありがとう」と素直に言った。
「それにお母様が無事だって分かってるし。形見ってわけじゃないから、きっと分かって下さるわよ」
容は再びうつ向いてしまう。ポロポロと涙がこぼれ落ちている。
「私がしてあげられることって、こんなことくらいしか思いつかなくって」
「……」
「ヨウには一杯やってもらっているのにね。ごめんね」
「……フェリス……」
「うん? 何?」
「俺は、お前に一生ついていくぞ!」
容が袖で涙を拭きながら、そう宣言する。カフェにいた客が驚いて、容たちの方へ振り向いた。容はそれに構わず、何度も同じことを連呼している。フェリシアはとっさのことに驚きながら「ちょ、なにそれ!? もしかして、プ、プロポー……」と顔を真赤にしている。
容はそこでようやく状況を理解して、慌てて「いや、違う! そうじゃなくて……いや、別にフェリスのことが嫌いとかそういうのじゃなくて……」と、しどろもどろになっていた。
こうして、選挙当日はあっという間に過ぎていった。
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