第23話 確執

 日曜日早朝。


 まだ人通りの少ない道を、容はひとりで歩いていた。季節は12月に入り、朝早くは特に冷え込んでいた。白い息を量産しながら、無言で足早に進んでいく。時折、はぁっとため息をつくと、息は雲のように広がり、スッと消えていった。


 学徒会選挙の活動で、部への資金提供はしない、と決めた容たちであったが、それでも多少なりとはお金のかかることも事実だった。今はまだなんとかなっているが、いざという時のために、多少の蓄えはいるだろうというのは、かなり前から話し合っていたことだった。


 容は「アルバイトみたいな仕事でも」と思ったが、選挙活動をやりながらだと、かなり不定期な仕事でないと無理なことが分かった。そこで、ロイに何か仕事はないかと相談したのが1週間ほど前のこと。


「やはり私の言っていることは、理解してもらえなかったみたいですね」と嫌味を言われつつも、ロイはひとつの仕事を紹介してくれた。単発の仕事だったが、ロイたちの組織の「表の仕事」を手伝って欲しいというのが、依頼の内容だった。


 今回は以前のような危険もなく、ただの倉庫整理という仕事だったため「多少、肉体労働的な面」に目をつむると、まぁマシと言えるものだった。その指定日が、今日、日曜日。


 今朝、容が目覚めるとフェリシアがリビングの机でうつ伏せになっていた。


「どうしたんだ? 寝不足か?」と冗談交じりに訪ねてみたが、フェリシアは返事をしない。「寝てるのか? 風邪引くぞ」と肩を揺すると、少し上げたフェリシアの顔色がおかしいことに気づいた。


 いつも白い肌が真っ青になっている。慌てて額に手を当ててみると、熱はなさそうだった。「ちょっと、寝不足」とだけ言って、ふらつきながら立ち上がるフェリシア。


「顔、洗ってくるね」とフラフラと歩くフェリシアの肩を掴んで「おい、大丈夫じゃないだろ」と容が言う。


「大丈夫だって。昨日、あれこれ考えてたら寝られなくなっただけだから」

「って、何時まで起きてたんだ?」

「ん~。多分4時くらい」

「ほとんど寝てないじゃないか!」


 容はフェリシアに「俺がひとりで行ってくるから、寝てろ」と言った。


「寝てろって言われても、約束は約束だから、ちゃんと行くよ」

「駄目だ。そんな調子で出来るわけないだろ」

「平気平気。動いていれば、そのうち元気も出てくるって」

「駄目だ」

「ねぇ。私が大丈夫だって言ってるんだから、良いでしょう?」

「お前は、無理しすぎなんだよ。多少は休まないと、いつか身体を壊すぞ」

「何よ。ヨウは私の保護者じゃないんだから」

「良いから寝てろ。俺ひとりでなんとかするから」


 その言葉を聞いたフェリシアは黙ってうつ向いてしまう。少し沈黙ののち、容が「分かったか?」と聞くと「いつも、いつもヨウはそうやってひとりで……」とつぶやくのが聞こえた。


 そして、そのまま自分の部屋へ向かうと「分かった」とだけ言って、ドアの奥に消えていった。用意を済ませた容が「行ってくるからな。おとなしく寝てろよ」と声を掛けたが、返事はなかった。


 そういうわけで、容は悶々とした思いになりながらも、ロイの指定した場所へと歩を進めていた。家を出てから30分ほど歩くと、ひとつの大きな倉庫が見えてきた。近づいていくと、開かれたシャッターの中では、たくさんの人たちが忙しそうに動いていた。


 容がその中のひとりに話しかけると「それなら、まず事務所に行きな」と倉庫の一角にある小さな小部屋を案内された。中に入ると「あぁ、聞いているよ。アレックスの紹介だったよね」と椅子に座っていた男が言った。アレックスはロイの偽名だ。


 仕事の内容についての説明を受け、すぐに仕事に取り掛かる。仕事自体はたしかに倉庫整理という名前の通り、荷物を所定の場所に運ぶ。荷馬車が来たら、それに積まれていた荷物を降ろす。そこへ用意しておいた荷物を積む。という簡単なものだった。


 荷物自体も、容でさえ顔をしかめてしまうほど重いものもあったが、女性従業員が平気な顔で運べるほどのものもあり、例えフェリシアが来ていたとしても、仕事にはなったのだろう。しかし、今朝の彼女の顔を見た容は「流石に、あれでは無理だな」と思わざるを得ない。


 それにしても、一体なぜあんなに怒ってしまったんだろうか? それが容には分からなかった。フェリシアが言っていたように「保護者」のような言い方が、気に障ったのだろうか? 途中まで、そんなことを考えながらモヤモヤと仕事をしていたのだが、お昼を過ぎた辺りから、身体の疲れが感じられるようになってきて、そんな余裕すらなくなってきていた。


「ふぅ、疲れた」


 容が仕事を終えて、報酬を受け取って倉庫を後にした時、すでに辺りは暗くなっていた。体中アチコチが悲鳴をあげていて、足をひきずるように家路へと向かう。途中、寄り道をして晩御飯を仕入れておいた。


 一応、お昼ごはんは用意して出てきたが、あの様子だとちゃんと食べているかも心配だった。せめて晩御飯くらいは、と思ってフェリシアの好きそうなものを買ってきた。家に戻ると、リビングの明かりは消えていた。


 荷物を部屋に戻してから、フェリシアの部屋のドアをノックする。「フェリス、調子はどうだ?」返事はない。もう一度ノックしてみるが、やはり反応がなかった。「もしかして、倒れてしまっているのでは」と心配になって「おい、入るぞ」とドアノブに手をかけた。


 すると、部屋の中から「大丈夫だから。今日はもう寝る」という、小さな声が聞こえてきた。「晩飯、買ってきたんだが」「いい、欲しくない」「食べないと、力でないぞ」「いらないってば」


 容はますます混乱したが、疲労のあまり、それ以上考えることができず、なんとか食事だけ済ませると、倒れるようにベッドへと転がり込んだ。




 翌朝、容が目覚めてリビングに行ってみると、いつもは起きているはずのフェリシアの姿がなかった。まだ調子が悪いのかと心配になり、部屋を覗いてみたがそこにもいかなった。「もう出かけたのか?」やはり昨日、何か怒らせてしまったようだと、容はやっとそこで確信した。


 とは言え、何が原因かは分からない。どうして良いのかも分からない。途方に暮れつつ、学校へと向かう。キャンパスをウロウロしてみたが、フェリシアの姿はない。選挙準備室に行ってみると、やはりそこにもフェリシアはおらず、代わりに凪沙が新しいポスターの制作に勤しんでいた。


「あ、おはようございます! ヨウさん」

「あぁ、おはよう。なぁ、フェリス見なかったか?」

「さっきチラッと顔を出して、次の演説場所の下見に行ってくるって出ていきましたけど」

「どこだ?」

「さぁ? そこまでは」


 むぅ、と容は唸った。こういう問題は早めに解決しておくに限るのだが……。それにしても、どうもフェリスに避けられている気がしてならない。容はどうしたものかと、凪沙の書いているポスターを眺めながら思案した。


「もしかして……ケンカしてます?」


 ふと見上げると、凪沙が心配そうな顔をして見上げていた。


「いや……うん、まぁ……そうなのかもしれない」

「あー、やっぱり。原因は何なんですか?」

「それが分からないから苦労しているのだが……」


 凪沙は容に詳しく話すよう促した。容としては、少し言いにくい部分もあったのだが、なるべく丁寧に昨日あったことを話した。凪沙はうんうんと黙って聞いていたが、容の話が終わると「あぁ……やっぱり」とつぶやいた。


「え? 今の話だけで何か分かったのか?」

「ええ、前からおかしいなぁと思ってたんですよ。良いですか? ヨウさんは――」


 その時、突然部屋のドアが開いて、フェリシアが入ってきた。容は「フェリス、ちょうど良いところへ」と声をかけようとしたが、フェリシアは一瞬固まっていたものの、すぐにドアをバンっと勢い良く閉めてしまう。


 慌てて追いかけようとする容の腕を、凪沙が必死で止める。


「駄目です! 原因も分かってないのに、話し合っては駄目です!」その手を振りほどいても追いかけようとしたが、あまりに凪沙が必死なのを見て、容は思いとどまった。

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