第10話 演説
容とフェリシアは、ロイが手配した馬車の中にいた。容の隣にはロイも座っている。ロイは「手短に説明します」と断ってから説明をした。
「このまま共和国内に潜伏することもできますが、いずれ共和国政府に見つかる可能性もあります」
「王国へは帰れないの?」フェリシアが聞く。
「それは今は賢明な判断とは言えないでしょう」
「大使館のようなところはないのか?」容も尋ねてみた。
「もちろんありますが、状況が状況ですから、今は閉鎖されています」
「じゃあ、どうすれば……」フェリシアの表情が曇る。
「共和国政府にとって、最も厄介な状況。それは今回の事件が公になることです」
「王都での発砲事件か?」
「いいえ、それは既にニュースになって知れ渡っています」
「でもそれは、王国ぐるみの犯行ってことでだろう? 共和国内部の謀略だってことを示せば……」容がそう指摘すると、ロイはごもっともという顔をした。しかしすぐに「証拠がありません」とそれを否定する。
「それでは一体何の事件?」そう問いかけるフェリシアに、ロイは「共和国政府にとって、公にして欲しくない情報は、王女が襲撃されたということ。しかも、共和国の兵士に、ということです」
例え王国が共和国の大使に向けて発砲し、それが国ぐるみの犯行であったとしても、共和国が王族を殺害して良いという理由にはならない。
「腐ってはいますが、この国は一応法治国家なのです」
ロイは言う。
「王女殿下が共和国政府によって秘密裏に捕らえられる前に、民衆の前に自ら出ていくのです。そして、列車であったことを一部始終全て話すのです」
「しかし、そんなことをしても、その時居合わせた民衆にしか伝わらないだろう? もみ消されるのでは?」
「その点はご心配なく。既に先程手は打っておきました」
家を出る前、馬車が到着するまでロイは部屋に篭っていた。その間に新聞社などに「王女が演説を行う」という連絡を入れておいたと言った。「今、彼らも共和国の国民も、王国で起こった事件の話題でもちきりです。ですから、必ず食いついてきます」
容たちはこれからネヴァラスタ共和国の首都ケンスブルグの中心地に向かう。そこでフェリシアは演説を行う。彼女の演説は、共和国の兵士によって暗殺されかかかったことを伝えるものだ。民衆にとって王国への感情は、例の発砲事件で多少悪くなっているが、王族が暗殺されそうになったという事実は、許しがたいことと受け止められるだろう。
そしてそれを新聞社を通じて、共和国全土、更には全世界へと発信する。これで共和国政府は、王女に手を出すどころか、王女の身の安全を守らなくてはならなくなる。
それがロイの筋書きだった。容は果たしてそれが上手くいくのだろうかと思った。この世界に来てまだ1日と経ってない容にとっては、世論などが分かるはずもない。ただ、容の常識に則って考えても、成功の確率は低そうに見える。
容はフェリシアの顔を見た。フェリシアも考え込んでいるようで、顔色は優れなかった。「共和国の国民は、私の訴えをそのように同情的に見てくれるかしら?」心配そうな声でそう言う。
「それは恐れながら、フェリシア王女殿下次第……という所です」
ロイは率直に言う。しかし、と前置きしてから「王女殿下なら、必ず出来ると私は信じております」と付け足した。芝居がかった台詞だ、と容は思った。この男の本性が未だによく分からない。もしかしたら、民衆の前にフェリシアを連れ出して、吊し上げにするつもりなのかもしれない。
ただ、それをしたところで、この男に何の得があるのかは分からない。王国を裏切って、共和国についているとしたらどうだろう? いや、それならこんな面倒なことはせず、密かに通報するだけで終わっていたはずだ。ならば……。
3人はそのまま沈黙し、しばらくすると目的地に馬車が到着した。共和国首都の中心地というだけあって、人通りは多い。容が知っている東京と比べると、流石に少ないと思ったが、それでも人が溢れかえっているという表現がぴったりだと思った。
馬車を出てしばらく歩く。10分ほど歩くと、ロイは「着きました」と言った。そこは半円形の広場になっており、中心には小さな噴水があった。その噴水に向かって階段状にせり上がるように広場が形勢されている。まるで劇場のようだ、と容は思った。演説を行うにはうってつけの場所だろう。
ロイはフェリシアをエスコートして噴水へと向かう。容はそれについて行きながら、腰から下げた一振りの剣に手を当てた。ロイはこれを手渡す時にこう言った。「共和国は法治国家です。しかし、近年軍事力に力を注ぎすぎた結果、治安は多少不安定になっております。警察官の数も不足しており、国民には自衛の権利が認められております」
「つまり?」容の問にロイは静かに答えた。「襲われたら斬っても良いということです」
容は言葉を失った。確かに容のいた世界でも、そのような国は存在していた。身を守るために武器を所持することを認めることだ。しかし、警察の人間として、それを受け入れるのは容易ではない。ただ「襲われたら斬ってもよい」ということは、襲われることがあり得るということだ。
自分が襲われたら、容は剣を抜かず立ち向かうこともできるかもしれない。しかし、その標的がフェリスだったら……。彼女を襲う民衆に対して、剣を抜き斬ることができるのだろうか? 認められていることと、すべきことは違う。容は迷っていた。
そうしている内にも、フェリシアとロイは噴水の前に立つ。容はその傍らに立っていた。何事かと群衆が集まってくるのが見えた。それを観察していると、確かに容と同じように剣や小型の銃を下げている者がいることが分かった。
ロイは群衆が集まりだしたのを見て口を開いた。
「皆さん、こちらにおいでになる方は、かのウィングフィールド王国王女、フェリシア・ウィングフィールド殿下にあらせられます! 王女殿下は、共和国と王国の調印に先駆け、我が共和国に使者として参られるおり、ある事件に巻き込まれました。今宵はその一部始終を、王女殿下ご自身に語って頂けることになりました」
群衆から、おぉという唸るような声がした。容は群衆を注意深く見た。今のところフェリシアに向けられる視線は、敵意というよりは関心という雰囲気だと思った。警戒は怠らないようにしなければ。しかし、かと言って、もし襲われたとしてどうする……。まだ答えは出ていない。
ロイの言っていた通り、新聞社の人間も多数集まっているらしく、時折フラッシュがたかれて、その光がフェリシアの白い肌を更に白く映し出していた。顔は強張っていたが、口元をキュッと結び、決意は固まっているように見えた。
フェリシアが話し始めると、ロイは階段上になっている広場を降りて、群衆の方へ行くと、その最前列に立ち、まるで自分も聴衆のひとりであるかのように振る舞った。容は、なぜロイがフェリシアの近くにいてやらないのかと思った。あれではまるで傍観者のようではないか。
フェリシアは必死になって今まで起こったことを伝えようと声を張り上げていた。王国での調印式から始まり、共和国へ自分がいくことになった経緯。そして列車での事件。フェリシアは聴衆に語りかけるように話していた。左右を見渡し、ひとりひとりに訴えかけているようだった。ただ、時折、その視線がロイに注がれているのに、容は気がついた。一瞬のことではあるが、容にも向けられていたので、もしかしたら、フェリシアも不安に思っているのかもしれないと、容は思った。
ちょうどフェリシアが兵士に襲われた時の話になった時のことだ。突然、フェリシアの口が止まった。涙を浮かべて、顔は真っ青になっている。顔に手を当てると、そのまま足元から崩れるように倒れた。
容は慌ててフェリシアへと駆け寄った。フェリシアは嗚咽を漏らして、肩を震わせていた。細い肩をそっと掴むと、ロイを探した。ロイは階段を上がってきていた。その手には何か新聞紙ほどの紙が握られており、それを幾つかに折るとポケットへとしまうのが見えた。
ロイはフェリシアの元へとやって来ると、聴衆に向かってこう言った。
「皆さん、今お聞きになったように、王女殿下は共和国へ参られる道中、暗殺されそうになったのです! それも共和国兵士の手によってです! これは許しがたいことではありませんか? 王国での発砲事件の真意はまだ判明しておりませんが、例えそれが王国による謀略だったとしても、暗殺などは許されることではありません」
聴衆から「そうだ! そうだ!」という声が聴こえる。「政府は何をやっているんだ!」「陰謀を許すな!」という罵声に混じって「王女様が無事で良かった」という声も聞こえてきた。それを聞いて容は、この演説が上手くいったのだと理解した。少なくともここにいる人達は、すでにフェリシアに対して同情の姿勢を表している。
「王女殿下は暗殺者の手をかいくぐって、ここケンスブルグまで徒歩で参られ、その足でここまでやって来られました。多少お疲れの様子です。今日の所はここまでとさせて下さい」
ロイはそう締めくくると、深々とお辞儀をして、容とフェリシアに向き直った。「さぁ、それでは帰りましょうか」
帰りの馬車にフェリシアを乗せたところで、容はロイに尋ねた。フェリシアが泣き崩れた時、ロイが手に持っていたものについてだった。ロイはポケットから小さく畳まれた紙を取り出すと、それを広げて見せた。そこには『国王陛下は反逆罪で死刑が執行された』と書かれていた。
「なっ、何!?」
「当然、事実ではありません」
涼しい顔でロイは言う。
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