第9話 元参謀

「ここか……」


 辺りはすっかり暗くなっていた。


 容とフェリシアは商店の店主にもらった簡単な地図を頼りに、ひたすら歩き続けた。途中でフェリシアが「ヒールが痛い」と苦痛に顔を歪めて「もう素足で歩く!」と言い出した。


容は「危ないから」と、フェリシアの前でしゃがみ「ほら」と背中におぶってやるからと促した。フェリシアは初めそれを拒否したが、裸足で歩いているのも辛くなったらしく、すぐに「やっぱり、お願い」と素直になった。


 容は先程の戦闘で自分の持久力の低下に気づいていて、自分で言ったものの「大丈夫かな?」と心配になっていた。しかし、実際背負ってみると、思っていた以上にフェリシアが軽くて驚いた。これならいけそうだ。途中休みを何回か入れたものの、目的地までそのまま行くことができた。


 そして今、二人は目的地である一軒の家の前に立っていた。辺りは閑静な住宅街だった。と言っても、容がよく知っているようなものではなく、どちらかというとテレビなどで見たアメリカなどの住宅街がイメージとして近いと思った。


 二階建ての建物に、広い庭。この世界に自動車というものはないということが、フェリシアとの会話で分かっていたが、確かに見渡してもそのようなものは一台も見ることが出来なかった。


 容はフェリシアを降ろすと、手を取って玄関へと向かった。鉄製のノッカーを二度鳴らす。木の軋む音が聞こえて、室内を誰かが歩いてきているのが分かった。そして扉が開いて、一人の青年が顔を出した。


 フェリシアが国王からもらっていた手紙を手渡すと、それを確認した青年は静かな声で「どうぞ、中へ」と二人を招き入れた。青年はロイ・コーネルと名乗った。歳は28才であると言った時、容とフェリシアは驚いた。見た目は20歳そこそこに見えるからだった。ロイは自分のことを「王国と繋がりがある仕事をしている」と説明した。


 容は一瞬怪しんだが、フェリシアが「お父様がこの方を頼れと言ったので大丈夫」と言うので、ひとまずは信用することにした。ロイは二人をリビングのソファーにかけさせると、キッチンに向かい紅茶を持ってきてくれた。


 二人がそれを飲んでいる間に「大したものはないのですが」と皿をふたつ持ってきて、テーブルへ並べた。それは野菜がゴロゴロ入ったシチューだった。しばらく乾パン以外のものを食べていなかった二人にとって、それはごちそうだったので、あっという間に平らげてしまった。


 容とフェリシアのお腹が落ち着いた頃を見計らって、ロイは口を開いた。


「恐れながら王女殿下。列車での一件は私の耳にも入っております」


 ロイの言う一件とは、容とフェリシアが兵士を伸して逃走したことだった。ロイが言うには、共和国内でも必死で二人の足取りを追っているらしく、今は報道規制がかかっているが、これも時間の問題だと言う。


 王国での発砲事件は既に共和国内でもニュースとなって報道されていた。記者たちは新しい情報がないか、必死で探している。容とフェリシアは、自分たちがしたことがそこまで大事件になっているとは知らず、驚いた。


 フェリシアは自分がどうすべきか悩んでいた。国王の言う通りここにたどり着いた。しかし、今後はどうすべきか? 王国に戻るべきだろうか? しかしそれを共和国が許すだろうか? いっそ共和国政府に申し出た方が良いのだろうか?


「それは賢明な策とは言えません」


 ロイは反対した。現にフェリシアは列車で襲われている。それも共和国の兵士によってだ。共和国がフェリシアを害そうとしていること、しかも秘密裏に行おうとしていることは明らかだ。ノコノコと出向けば、彼らは闇に葬ろうとするだろう。


「じゃぁ、どうすればいいの?」


 フェリシアは頭を抱えた。容も考えてみたが、名案は思いつかなかった。容にとっては状況が分からないことが多すぎた。まずはこの世界のことを知らないと何もできない。


 二人が困っていると、ロイが口を開いた。


「大丈夫です。策はあります。ただし、ことは急を要します」


 そう言ってから、説明を始めた。


 共和国は当初、フェリシアを人質だと考えていた。王国の自治権を認めつつも、それをできるだけ共和国へと有利に行えるよう手綱がいると考えて、それをフェリシアにしようと考えていたのだ。


 しかし、共和国内にも強硬派と言うものが存在していた。王国の自治権など認めない。そんなものを認めれば、いくら王女がいたとしても、コントロール出来なくなる可能性が出てくるかもしれない。当初の案通り、王を退位させ傀儡国家を作るべきだ。もしくは接収する方法だってある。


 彼らはそう主張し、実際に調印式での発砲事件も、その一派の仕業だと睨んでいるとロイは言う。強硬派はその事件を口実に王族を幽閉し、その間に自分たちの国家を作ってしまおうと目論んでいた。そこでフェリシアが邪魔となったわけだ。


 フェリシアを王国に戻し、一緒に幽閉することだって出来たはずだが、彼らからすれば旧態然に見える王族の命など、尊重するに値しないということだ。「私が掴んでいた情報では『事故に見せかけて殺せ』とのことだったようです」ロイの言葉を聞いて、フェリシアの顔色が変わった。すっかり青ざめてしまい、白い肌と相まって、余計に真っ青に見える。


 容はそんなフェリシアを見て、少し心配になった。なんとかできないものかと思った。先程ロイは「策はある」と言っていた。しかし、と容は思う。このロイ・コーネルという人物を信頼して良いものだろうか? フェリスはそう言っていたが、容は引っかかっていた。


 そもそもなぜこんなに事情に詳しいのだろう? 容の疑うような表情を見て感じたのか、ロイは「先に言っておきましょう」と断ってから、話し始めた。


「私は王国の元参謀です」

「参謀? 私は王国の主要な閣僚は全て知っているけど、あなたのことは知らなかったわよ」フェリシアが疑問を投げかける。

「それはそうでしょう。参謀と一言で言っても、実際には参謀部というのがあり、王族の方々を交えた会議などは、一部の人間しか出席できませんから」

「一部ということは、上司みたいなのか?」容も口を挟んだ。

「もちろん上層部も含みますが……表の人間、と言った方が適切かもしれません」


 ロイの説明によると、参謀部には裏の顔、つまり各国に送り込まれたスパイなどを管轄している者もいる。その内共和国を担当しているのが自分であるということだった。


「だったら、何故、今回のことを事前に見抜けなかったんだ!?」


 容は思わず声を上げてしまった。そして、自分には直接関係のないこと、しかも訳の分からない世界で、どうしてこんなに腹が立っているのか不思議に思った。「大きな声を出してすまない」と謝る。


 ロイは特に気にした様子もなく「先程言った強硬派の動きは、非常に見えにくいのですよ」と言った。


「我々はここ、共和国で地下組織としてスパイ活動を行っています。しかし、その規模は小さく、全てを把握しているわけではありません。時間があれば、可能であったかもしれませんが、今回のように性急に事が進んで場合は、それは不可能です」


 容はロイが言い訳をするのかと思っていた。事実言っていることは言い訳にも聞こえた。しかし、抑揚のない平然とした口調で話す彼を見ていると、それが決して言い訳などではなく、事実を事実のまま伝えているのだということが分かった。


 少しだけ信用しても良いのかもしれないと思った容は「それで、具体的にこれからどうするんだ?」と聞いた。ロイは立ち上がると、隣の部屋から新しい靴とストールを持ってきてフェリシアに手渡した。「この時期、夜はもう冷えますので」


 次に壁に掛かっていた剣を一振り手に取ると、それを容に手渡した。


「先ほど申し上げたように、急がないといけません。お疲れでしょうけど、今から向かいましょう」

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