第8話 逃走

 二人は人気のない道路を並んで歩いていた。片側2車線ほどのまっすぐな道路は、舗装はされていたが「容が知っている道路」と比べると、精度が悪い。平坦な箇所は少なく、所々陥没している部分も見受けられた。周りは見渡す限りの草原地帯が広がっており、遠くの方には小高い山も見える。


 先程まで道路と並走していた線路は、少しずつ右へとカーブしていき、いつの間にか見えなくなっていた。それにしても、と容は思った。一体ここはどこなんだ?


 列車の中で兵士たちを撃退した容たちは、伸びている兵士をカウンターの奥へと押し込んでおいた。デッキ前の車両には、幸いなことに乗客などはおらず、容と兵士の一連の戦闘は誰にも見られてはいなかった。二人はそのままデッキに留まり、次の駅で車両が停止したのを見計らって、デッキ後部のドアを開けて外に出た。


 フェリシアも容も切符を持っていなかったため、正規の方法で駅から出ることができず、そのまま線路を走って逆走し、フェンスを乗り越えて外へと出た。線路脇に走っていた道路を通って駅の正面に付いた二人は、これからどうするかを話し合った。


 フェリシアは「ひとまず、共和国の首都を目指すわ。首都の郊外に、お父様の知り合いがいるそうなの」と言った。ワンピースのポケットから一通の手紙を取り出す。王国を出国した際、国王が「万が一の時は、裏に書かれている住所を訪ねて、これを渡しなさい」と言って持たせてくれたものだった。


「で、あなたはどうするの?」そう聞かれた容は答えに窮した。あれから容は色々考えた。もしかしたら、警視庁管理官という記憶の方が夢で、こちらの世界が本来自分のいるべき場所だったのかもしれない。そんなことも考えたが、自分には警察官であった記憶しかないことから、それは却下された。


 そうなると、やはりあの世界では自分は死んで、この世界に生まれ変わった……全く信じられないことだが、そういうことになるのだろうか? 試しにフェリシアに「前世の記憶はあるか?」と先程訪ねてみたら、可哀相な人を見るような目で見られ、容はこれが自分だけに当てはまっていることを理解した。


 状況は分からないが、じっとしているわけにもいかない。まずは動いてみないことには始まらない。容はそう思い「とりあえず、しばらくはお前について行ってもいいか?」と聞いてみた。パッとフィリシアの表情が明るくなり「しょうがないわね。別に私はいいけど」と言うと、さっさと歩き出してしまった。


 兵士たちが列車で伸びた後、実は容も少しだけ伸びていた。フェリシアの蹴りを顔面にまともに受けて、一瞬記憶が飛んだのだ。気がつくとフェリシアが心配そうに容の顔を覗き込んでいた。ちょ、顔が近い……。容が慌てて目を見開くと、フェリシアは「よかった」とホッとした顔を見せた。


 フェリシアは「頭、大丈夫?」と、場合によっては少し失礼なことを容に聞いてきた。しかしすぐに、彼女に頭を踏まれたことを思いだして「ちょっと……記憶が」と言ってみた。容としても不可抗力であったこととは言え、下着について言及することもなかったと反省していた。ここは記憶がなくなったフリをしておくのが良さそうだと思った。


 そんなことで誤魔化せるものだろうか、と不安になったが、フェリシアはあっさりと「そうなんだ」と信じてしまった。そういうわけで、二人の関係は悪化することなく、今に至っている。


 駅と言っても、これも容の知っている駅とは随分趣が異なっており、強いて例えるなら地方にある無人駅が一番イメージとして近そうなものだった。駅舎自体もこじんまりとしており、駅前の広場みたいな所には、一軒の商店が立っているだけで、他には何もない。駅から見える風景のはるか遠くには、家のようなものがポツリポツリと建っているのが見えるくらいで、建物自体も少なそうだった。


 二人はとりあえず腹ごしらえすることで意見が一致した。容はスーツのポケットを探ってみたものの、お金のたぐいは入っておらず、途方に暮れてしまった。フェリシアは「大丈夫よ。こんなことになるとは思わなかったので、そんなに手持ちはないけれど、一応共和国ドルは少し持ってるから」と胸を叩いた。


 容はそこで初めて共和国ドルなるものが、共和国のお金の単位だということを知った。単位の名前といい、多少は自分のいた世界との繋がりが見えたようで、少しホッとした。フェリシアは手紙が入っていたのと反対のポケットから小さな財布を取り出した。容の認識では、それは「がま口財布」と呼ばれるものに似ていた。


 二人は商店へと向かう。商店の前に立った時、容は「いくら位持ってるんだ?」とそれとなく聞いてみた。フェリシアは財布を開けると、中に入っていた硬貨を数え「1,200共和国ドルね」と答える。聞いてみたものの、それがどれほどの価値かは分からない。それはフェリシアも同じだったらしく、持っているお金も「昔、共和国から来た客人から頂いたもの」だと言った。


「王国のマルクで1,200と言えば、そこそこのホテルに1泊できるくらいだから、似たようなものじゃない?」

「いや、単位が違えば、価値も違うと思うのだが」


 フェリシアは「ま、行ってみれば分かるわよ」と、容の危惧を意に介さないような様子で店の中へと入っていった。店の中には食料品、飲み物、雑貨などが棚に並べられていた。容が瓶詰めされた飲み物に貼られたラベルを見ると、そこには「300」と書かれていた。振り返ると、フェリシアがお弁当の置かれた棚の前で固まっていた。


 そこにはパンのようなもの、容器に入ったお弁当などが並べられていたが、ほとんどがフェリシアの全財産に匹敵するようなものばかりだった。容はフェリシアの隣に立ち、そっと顔を見てみると、少し涙ぐんでいた。


 結局ふたりは、小さな乾パンと水の入った竹筒を買った。それは店に並べられた食料品の中で一番安いものだったが、それでもお財布は空っぽに近い状態になってしまった。


「ま、まぁ、なんとかなるさ」


 容はなんとか元気づけようとフェリシアに言う。フェリシアはまだ落ち込んでいたが、それでもパンを口に含み、水で流し込むと、少しお腹が膨れたのか「そうよね、大丈夫大丈夫!」と元の調子に戻った。


「歩くしかないか……」


 店の主人に聞いてみたところ、フェリシアの持っていた手紙に書かれた住所までは、思っていたほど遠くはないことが分かった。今から出発すれば、日暮れには到着できるだろうとのことだ。


「仕方なかったとは言え、こんな辺鄙な場所で降りるんじゃなかったかもね。辻馬車もいないし」

「辻……馬車?」


 容とて「辻馬車」という単語は知っている。しかし、実際に見たことはない。そんな言葉が自然とフェリシアの口から出てきたので、思わず驚いてしまう。


「ねぇ、ヨウ。さっきから、なんだか会話が噛み合わないんだけど、そもそもあなた、どこ出身なの? 何をしている人なの? なんであの列車に乗っていたの?」


 そんなにたくさんの質問を一気にされても、と容は思う。それに、その質問に上手く応えられる自信はまるでない。自分がこの世界の住人ではなく、生まれ変わりのようだ、なんて話を言われて信じる人などいるわけがない。


 そう思いながらも、かと言って何も言わないわけにもいかず、結局素直に言ってみることにした。フェリシアはしばらく熱心に聞いていたが「生まれ変わり」というキーワードが出てきたところで目を輝かせていた。そしてあっさりと容の話を信じた。


「疑わないのか?」

「何を?」

「だって、生まれ変わりだなんて言われて、普通信じないだろ?」

「信じるよ。というか、私生まれ変わり、信じているから」


 容がいた世界より、ここの世界は技術的に劣っているように見える。一概に比べることはできないのかもしれないが、もしかしたらこの世界の人間は、まだそういうことに可能性を見出しているのかもしれない。容がそんなことを考えていることにはお構いなしで、フェリシアは話を続ける。


「ケイシチョー? さっきヨウが言ってた仕事。あぁ警察ね。それは知ってるよ。でも、ヨウはそんな歳には見えないんだけど?」

「この世界に来て、歳が若返ったようだ」

「あぁ、生まれ変わりだって言ってたもんね。じゃ、元の世界では何歳だったの?」

「27歳」

「あはは、おっさんじゃない!」

「おっさんじゃない! フェリシアは何歳なんだよ」

「フェリス」

「ん?」

「フェリスって呼んで。お父様とお母様からはそう呼ばれていたの」

「それじゃ、フェリス。お前は何歳なんだよ」

「ピッチピチの16歳です!」

「まじかよ?」

「ふふーん」


 二人は歩きながら、そんな他愛もない会話を楽しんでいた。特に容は、楽しい会話というのは久しぶりだと思った。色々なことがありすぎた。まだ自分が何者なのか、どうしてここにいるのかも分からない。これからどうすれば良いのかも、元の世界に戻れるのかどうかすら分からない。分からないことだらけだ。


 だから、フェリシアとの会話は、容にとって気分を紛らわせてくれ、ありがたいとさえ思えるものだった。

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