第4話 調停式
「王女殿下はもう発たれたのですか?」
宰相が尋ねると、国王は黙ってうなずいた。先の会合から1週間が過ぎていた。再び正式な調印式を執り行うこととなり、国王は大使の到着を待っていたところだった。
「お前にはすまぬことをした」
国王は背中を向けたまま宰相へ言葉をかけた。宰相は必死で反対を訴えたが、国王の気持ちが変わらぬと知ると、調印への交渉の一手を担って尽力した。共和国からの「今回の調印式はぜひこちら側で」という申し出も断り、なんとか王都で行うことの了承を得た。
自治権に関する細々した取り決めも、出来得る限り王国側に不利にならないように交渉し、いくつかは譲歩しなくてはならなかったが、多くは共和国に飲ませることに成功した。中でも「当面の自治領主は国王が行う」ことを取り付けたのは大きいと宰相は思っていた。
いつかは選挙なりで選出される仕組みを整えなければならないが、差し当たっては混乱を避ける意味でも、国王が継続して行うのが一番好ましい。3年、という期限付きだが、その間にやれることは多いはずだ。国王も「次の世代への基盤を作る3年にしよう」と歓迎していた。
王国が消滅することは、宰相にとっては好ましいことではない。しかし、長年支えてきた国王がそれが良いというのであれば、是非もないことだ。自分は生涯を懸けて国王にお使えするのだ、と宰相は心に誓っていた。
「ネヴァラスタ共和国、大使様が到着なされました」
国王の元へ伝令の兵士がやってきて、そう告げた。国王は頷くと、宰相と共に出迎えのために部屋を出た。調印式を行う王の間へ続く回廊がある。そこで大使を出迎えて、簡単な式典を行う予定だった。
回廊に入ると、両脇には王国の兵士が直立不動の姿勢で整列していた。王の間とは逆の方角に大きな扉があり、それがゆっくりと開いた。「大使様、ご到着!」兵士の声が回廊に響き渡る。開いた扉の奥に、共和国の大使と従者数名の姿が見えた。
大使は兵士の間をゆったりとした歩調で歩いてきた。国王と宰相は、王の間の入り口でそれを見ていた。宰相はいよいよ王国の歴史に幕が下りるのだと思うと、気が引き締まる思いがした。それは国王も同じだったらしく、口元は固く結ばれていた。
大使は急がず、まっすぐ国王を見ながら歩いていた。ちょうど入ってきた扉と国王の中間地点に差し掛かった時のことだった。列になっている兵士の一人が、腰に下げていたホルスターから銃を取り出した。
「国王陛下に仇なす敵に死を!」
そう叫ぶと、銃を大使に向けて1発、発砲した。
あまりに一瞬のことに、他の兵士も、大使の従者も動くことができなかった。回廊に銃撃音が響いた後、大使はその場に崩れるように倒れた。それを見た兵士が慌てて、発砲した兵士を取り押さえる。従者たちは大使に駆け寄った。
国王は何が起こったのか理解はできたものの、信じることが出来なかった。王国の兵士、とりわけ城に駐留している兵士は、選りすぐりの精鋭たちだ。兵士の中には、今回の協定に反対する者もいるとは聞いていたが、この一週間の間に国王は何度も説明を行っており、理解は得られているものだと思っていた。
発砲した兵士は既に完全に取り押さえられており、他の兵士の一部はこれ以上の攻撃は許さないかのように、大使を取り囲むように円陣を組んでいた。やがて、その兵士たちの中から大使が立ち上がるのが目に入って、宰相は安堵した。どうやら幸いにも軽傷だったようだ。
しかし国王の表情は険しかった。大使が軽傷だったのは、倫理観からすると良いことだ。しかし、生きていたか死んでしまったかは、この際関係ないとも言える。共和国の大使が、王国内で暗殺されそうになった事実。これだけが重要な意味を持つのだ。
犯人が捕らえられた以上、尋問が行われるだろう。背後関係が分かるかもしれない。しかし、それは大きな問題ではない。今回、宰相の働きかけで、調印式を王都で行うことが出来た。それは国王の安全を思ってのことだったが、それを主張した以上、万全の体勢をもっておかなければならなかった。
無論、怠っていたわけではないのだが、結果としては同じことだと言われても仕方がない。
調印式は中止され、大使は王国内の病院で手当を受けている。事件から数時間後、共和国から正式に通達が届いた。
『ネヴァラスタ共和国政府は調印を白紙撤回する。また、今回の事件がウィングフィールド王国の敵対行為とみなし、現時刻をもって軍事行動を開始することを通達する』
事実上の宣戦布告だった。軍の将校たちの中には徹底抗戦を主張する者もいたが、国王は首を縦には振らなかった。王女は既に共和国へと出立している。共和国との開戦は、王女の命を奪うことになるのは明白だ。それは一人の父親としての思いだったが、国王としての考えでも開戦には反対であった。
そもそも軍事力に差がありすぎた。共和国との戦争になれば、国が滅ぶだけではなく、多くの国民の命までさらされることになる。国王として、それを看過することはできない。近代化された共和国の軍隊はあっという間に王国へ侵入し、王都に達するだろう。時間がない。
王は決意した。
共和国の通知から1時間後、国王ウィングフィールド13世は声明を発表した。それは共和国への事実上の降伏宣言だった。
◆ ◆ ◆
列車の中では一人の兵士が通信機を操作していた。受話器を降ろすと、近くにいた別の兵士に小さな声で伝令を伝える。その兵士は頷くと、車両の中を歩きひとつのボックス席の前で立ち止まった。そこに座っている金髪の女性の耳元に顔を近づけ、先程聞いた内容を伝えた。
「王都での調印式で、我が国の大使が銃撃を受けました。我が国は王国に対し宣戦布告を通知し、国王陛下は無条件降伏を申し出られたそうです」
それを聞いていたフェリシアの表情がみるみる変わっていく。「そんなはずは……何かの間違いですっ!」すかさず兵士が口元に指を立てて、声が大きいと告げた。
「間違いではありません。王女殿下にはこのまま、首都ケンスブルグまでおいで願います。その後のことは追ってお伝えしますので」
兵士は冷たくそう言い放つと、元の場所へと戻っていった。一人取り残されたフェリシアはまるで目の焦点が合わないかのように虚空を見つめていた。真っ白な肌が、更に色を失って青白く見える。膝の上で組んでいる手は、震えているのを隠すように固く結ばれていた。
「そんな……。お父様、一体何があったというの……?」
声にならないほどの声でそう呟く。フェリシアの座っている席の周りには誰もいない。多少、声を出しても誰も聞いている者などいないはずだ。それでも、とても信じれられない出来事が、はっきり声に出して言ってしまうと、事実だと認めてしまうようで出来なかった、
フェリシアは自分がどうすべきなのか考えた。一番良いのは王国に戻ることだろう。この件が本当ならば、王国とその国民は困難な道を歩むこととなる。そういう時こそ、王族である自分は国内にいなければならない。
しかし、先程の兵士も言っていたように、共和国は首都であるケンスブルグにフェリシアを連れていくことを止めないだろう。フェリシアに人質としての価値がまだあるのならば、それは譲れないところだろう。
いずれにしても、今できることはないのかもしれない。フェリシアは車窓から外を眺めた。
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