第3話 転生
(うるさいな……。もう少し静かにしてくれないか)
聞こえてくるのはガタンゴトンという耳ざわりの悪い騒音。それに伴って身体にも衝撃が伝わってくる。思わず寝返りを打とうとして、自分が椅子に座っているのだと分かる。
(俺は眠いんだ。もうちょっと寝かせてくれ。昨日だって遅くまで残業した挙句……)
そうだ。昨日は深夜まで残業に追われていた。やっと帰れたのは、日付が変わる寸前のことだった。流石にクタクタになって、タクシーで家の近所のコンビニまでやってきて、そこで……。
容は目を開いた。そうだ、俺はコンビニで強盗に出くわしたのだ。難なく取り押さえた所までは良かったが、犯人の仲間に背中を刺されて……。慌てて背中に手をやる。そこに傷はなく、痛みもなかった。
「どこだ……ここは?」
思わず独り言をつぶやいてしまう。隣に座っていた老紳士が少し笑いながら言う。「あぁ、目が覚めたかね? まだ寝ぼけているのかな、ここはケンスブルグ行きの列車の中だよ」「……ケンスブルグ?」オウム返しに言ってみた。しかし、その名前に覚えはない。
それに、容は気がついた。老紳士が着ているのはカジュアルなスーツだったが、どこか違和感がある。具体的には説明できないが、なんとなく古さを感じさせると感じた。それに老紳士はどう見ても、外国人のように見えた。欧米系か、イギリス人っぽいな。根拠もなく直感で容はそう思った。
それにしても流暢な日本語を話すものだな。感心しながらも、容は老紳士に礼を言い、車窓から外に目をやった。辺りには畑が広がっていた。一見、見慣れた田園風景かと思ったが、よく見るとどうも違うように思えた。
それにさっきから感じている違和感の大元であるこの騒音だ。今いる場所は、老紳士に教えられるまでもなく、列車の中であることは分かる。しかし、それも容が見慣れているものとは、微妙に違っている。
車両に備え付けられた席は、全てがボックス席になっており、窓際に容、隣には老紳士が、目の前には眠りこけている中年男性が二人座っている。人のことは言えないが、よくこの騒音の中眠れるものだな、と容は感心する。
それにしても、この音は一体なんだろう? 容は老紳士に訪ねてみた。
「おや、列車は初めてかね? こんなものだよ、蒸気機関車というものは」
老紳士はにこやかにそう言った。一瞬、何か聞き間違えたかと容は思った。今時の日本で蒸気機関車――SLが走る機会など、何かしらのイベントでない限りありえないはずだ。
そもそも、俺はコンビニにいたはずだ。そして刺されたことは間違いなく覚えている。それなのに見る限り傷はなかったし、こんな所で、なぜSLなどに乗っているのだろう? もしかして一種の記憶障害か何かだろうか。
そんなことを考えていると、少し気分が悪くなってきた。SLの振動に少し酔ってしまったのかもしれない。容は老紳士にトイレの場所を尋ねると、礼を言って席を立った。2,3歩歩くと、何か違和感を感じた。先程とは違い、今度は身体の違和感だった。何かがおかしいと思った。
老紳士に教えられた通り車両の後部へ行き、連結部を通った。車両と車両を繋ぐ連結部は、容の知っているそれよりも狭く、それを覆っている蛇腹上のカバーに肩が触れてしまうほどだった。後部車両へと行き、更にもう一両通路を歩く。先程の車両も乗客は少な目だったが、この車両にはほとんど人気がない。
途中、通路に一人の男が立っていた。足元にはゲートルを巻き、ややブカブカの制服を着ている。まるで兵士のようだな、と容は思ったが、よく見ると腰には細身の剣をぶら下げており、反対には銃のようなものがホルスターに収まっていた。兵士のよう、ではなく紛れもなく兵士そのものだった。
容がその横を通る時、その兵士はジロッと容を睨みつけるように見た。経験上、このように威嚇するような態度をとる相手は、さほど大したことはないと分かっていたので、軽く会釈をして脇を通り抜けた。
再び連結部を抜けると、そこは客席ではなくデッキのようになっていた。
奥の左側にはカウンターがあり、どうやら飲み物などを提供してくれる施設のようだったが、今は誰もいなかった。カウンターの隣にも扉が付いていて、そこから外の風景が見えることから、この車両が最終なのだと分かった。デッキには容以外誰もいなかった。手前にあった小さな扉を引いて、手洗い場へと入る。
小さな洗面台が設けられていて、蛇口を捻ると水が緩い水流で出てきた。手のひらに水を溜めて顔を洗った。スーツのポケットからハンカチを取り出して顔を拭いた。頭を上げると、そこには1枚の鏡が備え付けられていた。
それを見た容の表情が変わった。そこに写っていたのは、自分ではなかった。正確には今の自分ではなかったと言った方がいい。見覚えがある顔には間違いなかった。しかし、それは容が10代、少なくとも10年ほど前の自分の顔だった。
容は手のひらで顔を触ってみる。鏡の中の自分も同じ動作をしている。顎に手をやる。うっすらと髭は生えているが、今ほど固くなく、どちらかというと産毛に近いものだった。着ているスーツに目をやる。肩がややずれ落ち、ネクタイを締めた首元は緩そうに開いている。
鏡の前で横を向いたり、近づいたりしてみた。容は家の関係で、小さい頃から剣道をしていた。そのため、運動をしていない同級生に比べると、肉付きの良い身体をしていたが、それが急速に発達してきたのは高校に入ってからだった。
確か高校卒業辺りから今までは、そんなに変化はなかったはず。今の身体とスーツの合わなさから見て、どうやら高校生になったばかりの頃、恐らく15,16歳と言ったところの容姿だと思った。
刺されたはずの自分が、知らない場所にいて、それも10歳以上若返っている。夢でも見ているのだろうか? それにしてはリアルな夢だ。いや、これは夢じゃない。そうなると、やはり記憶が混乱しているのだろうか。
ノックする音が聞こえて、容は慌てて扉を開けた。作業着のようなものを着た青年が「悪いね」と言ってから、容と入れ替わりに洗面所へと入っていった。入る時は気が付かなかったが、洗面所の隣に少し小さめの無骨な扉が付いていた。
なんとなくそれを開いてみると、中にはデッキブラシやモップなどが収納されていた。掃除用具入れだったようだ。変な話だが、容にしてみればこの光景だけは、元の世界と同じに思えた。「元の世界」という言葉が頭に浮かんだことで、もしかしたら、別の世界に来てしまっているのかと考えてみる。
すぐにバカバカしいと気付く。映画ではあるまいし、そんなことがあるわけはない。だったら死後の世界なのだろうか。この列車だって天国行きのものかもしれない。となれば、天国の名前はケンスブルグということになる。やはり馬鹿げた話だ。
容は再び元いた席に戻ろうと車両を歩き始めた。先程の兵士がまだ立っていた。兵士と目を合わせないようにしていると、その脇のボックス席に一人の少女がちょこんと座っているのが見えた。
銀色の長い髪は繊細なカーブを描いて、その一部が肩にかかっている。肌は透けるように白く、頬にはうっすらと赤みがさしていた。伏目がちな瞳は青く輝いているように見える。ずいぶん若いが高校生ぐらいだろうか。
海外の映画に出てくる女優のようだ、と容は一瞬思ったが、すぐに、いや映画女優でもこれほど美しい女性はそうそういまいと思い直し、思わず見とれてしまっていた。
思考が吹き飛び、頭の中がからっぽになったお陰で無意識に立ち止まってしまった。しかし、兵士が睨むのが視界に入り、軽く咳払いをすると何事もなかったかのように歩き出す。席に戻ると、老紳士が「大丈夫かね?」と声をかけてくれた。だが、先程の少女のことが頭から離れず、容は生返事を返すのが精一杯だった。
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