第2話 軍事協定

「今になってそんなことを仰る理由を説明して頂かなくては、納得できるものもできませんぞ!」


 宰相の声が部屋の中に響き渡る。広いテーブルを挟んで座っている大使は、意に介さない様子で平然とした表情をしている。宰相は演技なのか、本心なのか、怒りに満ちた表情で大使を睨みつけていた。


 宰相の隣に座っている国王、ウィングフィールド13世は、黙ったまま目を閉じている。宰相は国王に視線を移し意見を求めたが、黙り込んだまま石のように動かない国王を見て、再び大使へと視線を戻した。


「申し訳ございません。遅くなってしまいました」


 大きな部屋には似つかわしくない小さな扉が静かに開いて、一人の女性が入ってきた。ドレスを身に纏っている女性を見ると大使は「これはフェリシア王女殿下。お初にお目にかかり光栄に思います」と立ち上がりうやうやしく頭を下げた。


 フェリシアも一礼し、少し笑みを浮かべるとテーブルへと向き直る。ドレスの裾を少し持ち上げて、優雅というよりは快活に歩いてくると、国王に軽く会釈し、椅子へ座った。


「それで? どうなっているの?」


 フェリシアは宰相に尋ねる。一度立ち上がっていた宰相も椅子に腰掛け、フェリシアを真っ直ぐ見ると口を開いた。


「王女殿下。我がウィングフィールド王国とネヴァラスタ共和国の軍事協定の調印の前に、大使から追加の要求がございました」

「要求とは、少々言い過ぎではございませんか、宰相閣下。これはあくまでも我々からの提案でございます」


 大使は笑みを浮かべながらそう言った。宰相は苦々しく大使を睨みつけると、再びフェリシアに先程より少し小さな声で話を続けた。


「恐れながら、共和国は我が国王陛下の退位を要求しています」

「退位を?」


 ウィングフィールド王国は、東にネヴァラスタ共和国、西にシュヴァルツェンベルグ帝国に挟まれた国になっている。この三カ国の軍事的均衡は、長い間保たれていたのだが、近年軍事装備の近代化により、それは徐々に変わってきていた。


 共和国は圧倒的な技術力を背景に、装備の近代化を推し進めていた。帝国はそれにやや劣っていたものの「兵士は畑で収穫できる」と揶揄されるほど豊富な人員を誇っていた。一方で、王国は内政に力を注いでおり、その結果、軍事力の不均衡が問題となりつつあった。


 特に「帝国が近いうちに王国に攻め込むらしい」という噂は公然の秘密として、王国内でも囁かれるようになっている。国王としては、なんとしても戦争を回避しなくてはならない。しかし、そのために軍備を増強すれば、国民に無理を強いることになる。


 その結果、共和国との軍事協定の話が浮かんできたのだった。当初は対等の協定との話で進んでいたのだが、事実上共和国が王国を守るという図式になるため、交渉の当初からこの問題は指摘され続けていた。


「宰相閣下のおっしゃることも、我々としてはよく分かります。しかし、我が国内でも今回の協定に関しては、反対派というのがありまして。それらを納得させるには、国王陛下の退位をもってするしか方法がないのです」


 共和国の大使は改めてそう説明した。


「しかし、それならば事前にそうおっしゃって頂かないとならぬのではないですか? 調印式の段階になって、突然そのようなことを要求されても、我々としてはとても飲むことはできません」


 宰相は頑として譲らない姿勢を打ち出そうと、腕を組んで力説する。フェリシアはどうしたものかと思案した。共和国の提案は王国の崩壊を意味する。王族のことを考えると、当然この話を受け入れることなどできるわけがない。しかし国民のことを考えると……。


 王国を解体して共和国へ編入することが最善の策なのだろうか? フェリシアは黙ったまま考えたが答えは出ない。宰相は受け入れられないの一点張りだ。国王はどう思っているのだろう……?


 フェリシアのそんな疑問を感じ取ったのか、ここまで沈黙を貫いてきた国王が突然立ち上がり、ゆっくりと噛みしめるように口を開いた。


「よろしい。その提案、受け入れましょう」

「陛下!?」


 宰相が驚いて立ち上がる。衝撃で椅子が後ろへと倒れたが、それどころではないという表情になっていた。「なりません、陛下。それは……100年続いてきた王国を滅亡させるということですぞ!」調印式にはとても似つかわしくない口調でそう続ける。


「宰相、よい。これ以外に手はないのだ」


 王はまっすぐ大使を見据えていた。しかし、その視線は大使の遥か先を見ているかのようだ、とフェリシアは思った。自分の父でもある国王の考えは、フェリシアも良く知っている。きっとこういうことになるのだと覚悟していた。宰相はまだ何か言いたげだったが、微動だにしない国王を見て、うやうやしく礼をすると椅子を直して座った。


「ただし、こちらも条件がある」

「条件……ですか。お伺いいたします」

「私は退位する。しかし王国の自治権は認めて欲しい」


 つまり、共和国の法に則った上で、自分たちで政治、経済などを行うということだった。現にこの方法で共和国に加盟している国もあったので、不可能ではないはず。フェリシアはそう思った。問題は大使がこれを認めるかどうかだ。


「私は国から本件に関しまして、全件を委任されています。その上で申し上げますが……」


 大使はやや芝居がかった口調でそう言って、一呼吸置く。


「よろしいでしょう、国王陛下。詳細はおって詰めるとして、本日はそれで基本合意と致しましょう」


 フェリシアは何とも言い難い気持ちになった。彼女はまだ若く、王国の歴史に対してはそれほど頓着していない。だから、王国自体が解体されることに関しては、宰相ほど悲観に暮れるわけではなかった。


 ただ、国王が国王でなくなることについては、気持ちの整理がつかないでいた。このようなことになるかもしれないと、事前に国王から聞いてはいたが、まさか本当にこうなるとは思わなかった。


「お父様……」


 居ても立ってもいられなくなり、フェリシアは口を開く。しかし国王はそっと手を差し出し、それを制した。


「フェリシア、これで良いのだ」


 フェリシアは何も言えなくなってしまった。宰相もすっかり落胆したように肩を落として、今はおとなしくなっている。部屋の中は沈黙が支配していた。


「つきまして、共和国からもうひとつご提案がございます」


 大使の声が部屋の中に響いた。皆の視線が一斉に大使へと注がれた。


「フェリシア王女殿下の共和国への移住をご提案致します。共和国には最新の教育設備が整えられております。王女殿下は、確かもうすぐ16歳になられると伺っております。どうでしょう、共和国で学ばれることも良い人生経験になるかと、私は思いますが」


 大使は友好的に話をしていたが、これは体の良い人質だ、とフェリシアは理解した。将来、国王や家臣たちが反乱を起こさぬよう、子女であるフェリシアを共和国内に置いておこうというわけだ。


 国王は無言のままフェリシアを見た。フェリシアはどう答えたら良いのか分からないと思った。しかし、本当は答えは出ていた。国王は自らの地位を投げ打って王国を守ろうとしている。自分に出来ることは……。


「承知しました。お申し出をありがたく受けさせて頂きます」


 フェリシアは静かに頭を下げると、そのまま席を立ち入ってきた扉から退出した。


 涙を見せるわけにはいかないと思った。

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