第1話 管理官

 柏崎容かしわざき ようがそのコンビニを訪れたのは、既に深夜と言っても良い時間だった。


 自動ドアをくぐり、店内へと入る。こんな時間帯なのに、店内には3人の客がいた。雑誌を退屈そうに捲っている若者、しゃがみ込んでお菓子を吟味している若い女性、携帯でしゃべりながらドリンクコーナーの前で立ち止まっているサラリーマン風の男。


 それを見て容はホッと息を吐いた。お目当てのコーナーには誰もいない。容は脇目も振らずにそこを目指した。お弁当とパックドリンクに挟まれたそのコーナーの目の前で立ち止まると、容は顎に手を当てて思案顔になる。


「むぅ……」


 険しい顔になって小さく唸る。眉間にはわずかにシワが寄っている。


 いつも買っている「濃厚とろとろクリームプリン」が売り切れていたのだ。それは通常のものよりも柔らかく、カラメルの味も濃厚。何より上部にはクリームが添えられており、全体的に「とにかく甘い」のが特徴だった。


 女性でも思わず「甘すぎ」と言ってしまいそうなものだったが、容にとっては「ベスト オブ プリン」と言っても良いものだった。


 ゴツい身体を少し揺らしながら、棚を一望する。何度見ても「濃厚とろとろクリームプリン」は見つからない。


(……やむを得まい)


 ため息をつきながら、定番の「プッツンプリン」に手を伸ばそうとした時だった。店内に女性の悲鳴が響く。咄嗟に振り返ると、レジカウンターの中にいた女性の店員が真っ青になっていた。その目の前には目出し帽を被った男が、店員に向かって乗り出すようにカウンターに手をかけている。


 男の手には刃物が握られていた。女性店員に向かって「金を出せ!」とバッグを指差している。女性店員はあまりにも怖いのか、動けない様子でしゃがみ込んでしまった。


 まるでドラマにでも出てきそうな光景に、容は再びため息をつく。デザートの棚から離れると、通路を規則正しいリズムで歩き出した。カツカツカツと、小気味の良い音が響く。カウンターに近づくと「おい、お前」と男に声をかけた。


「なんだっ! てめぇは!!」


 男は刃物を店員に向けたまま、容の方へ振り向いた。声が上ずっている。恐らくこういうことに慣れていないのだろうな、初犯か? 容はそんなことを考えていた。男はもう一度、同じ言葉を発したが、容はそれには答えない。


 代わりにもう一歩踏み出した。


「来んな! 近づくんじゃねぇ!!」


 男はそう叫んで、刃物を更に店員に近づける。店員はしゃがんだままだ。これでは刃物は届かない。容はそう読んでもう一歩近づく。男は更に叫び声を上げる。その声に驚いたのか、突然店員が立ち上がってレジを開けようとした。


 まずい、そう思った容が男に飛びかかろうとした瞬間、男は店員の襟首を掴むと自分の方へと引き寄せた。刃物を首に突き上げる。


「下がれっ!」


 容は男の要求を受け入れるという素振りで両手を上げて、一歩だけ後退する。その間もずっと男の目に視線を合わせていたのだが、ふと店の入口へと視線を動かした。男も釣られてそちらを振り向く。


 その瞬間、容は一気に男に飛びかかった。左手でナイフを持った手を確保し、右足で男の足を払う。一瞬のことに、男は一切抵抗できずに床へ叩きつけられた。男の手を背中に回して締め上げると、男は苦痛に顔を歪めた。


「警察に連絡を」


 容はまだ真っ青になっている店員に告げた。店員はギクシャクしながらも、何度か頷いてカウンターの奥にある事務所へと転げるように走っていった。それを視界の隅で確認すると、容は更に男の腕を強く締め上げた。


「おとなしくしてろよ」


 低い声で威嚇するように言う。男は完全に観念したかのように抵抗しない。


 仕事帰りにこんな場面に遭遇するとは、働きすぎではないか。そもそもこれは職務に入るのだろうか? だったら残業代を請求すべきだろうか? いや、そんなことはどうでもいい。問題は、この事件のお陰で帰宅後の唯一の楽しみが奪われたことだ。


 警視庁捜査一課管理官。


 それが容の仕事だった。大学卒業後、国家公務員総合職試験に合格。警視庁に入庁し、いわゆるキャリアと呼ばれる人生を歩んでいた。27歳で管理官、というのはキャリアにしては珍しい。管理官は現場に近い役職で、その多くはノンキャリで占められることが慣例となっているからだ。


 しかし容は本人の希望もあり、この道を選んだ。キャリアをして入庁したからには、いずれは警察のトップへと近づいて行かなければならないのだが、若いうちはできるだけ現場に近い所にいたいと思っていたからだ。


 警視庁の管理官という仕事は激務である。特に事件が立て込んでいる時などは、このような時間まで働いていることなどはザラであった。もちろん、それに見合う報酬は受け取っているので、その点で不満はない。先程の「残業代」というのも、彼流のジョークであった。


 そんな容の唯一の楽しみが、帰宅後に食べるデザートであった。泣く子も黙るほどの、いかつい容姿とは裏腹に、容は甘いものに目がなかった。ただし甘ければなんでも良いというわけでもない。


 安い焼き菓子なども嫌いではないが、容のストレスを解消してくれるほどの魅力は感じなかった。しかし最近のコンビニのデザートは非常に良く出来ており、ほぼ毎日と言って良いほど買って帰るのが習慣となっていた。


 だから今夜、偶然遭遇したこの事件は、容にとって「余計なもの」以外の何者でもなかった。


 しばらくすれば通報を受けた警察官がやって来るだろう。この強盗を引き渡して、ではさようなら、という訳にはいくまい。事情を説明しなくてはならない。身分も明かさないといけないわけで、そうなると「ちょっと警察署まで」ということになるだろう。


 今夜はお預けか。


 容は落胆し、今一度男を締め上げている手に力を入れた。少し八つ当たりにも思えるが、男のしたことを思えば、自業自得とも言える。


 そんなことを考えていた時だった。背後にそっと近づく影に容は気が付かなかった。決して油断していたわけではないつもりだった。しかし、既に犯人は確保されており、しかも数分も待たぬ内に警察がやって来る状況だった。多少、気は緩んでいたのかもしれない。


 突然、背中にドスンという衝撃を感じた。思わず息が漏れる。背中から胸にかけて、なんとも言えない感触が広がっていく。そして、もう一度衝撃が走る。熱い。男を締め上げていた手が緩む。


 容は男の手を掴んだまま、床へ仰向けに倒れ込む。視界にひとりの男の姿が浮かんだ。見覚えがある。さっき雑誌を立ち読みしていた男だ。男の手には、先程まで確保していた男が持っていたナイフが握られいる。そしてその刃先は真っ赤に染まっていた。


 仲間がいたのか。当然、それに気がつくことは不可能だったろう。しかし、もっと気をつけていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。


 人相を覚えなければ。


 容は目を見開いて、男の顔を見ようとした。しかし、視界が霞んでそれができない。さっきまで燃えるように熱かった背中の感覚がなくなってきている。通報を終えた店員が戻ってきて、再び悲鳴を上げている。


 容を刺した男は、締め上げられていた男の腕を掴んで引っ張り上げると、店から出て駐車してあった車に乗り込もうとしていた。


 せめてナンバーを……。身体をそちらに向けようとするが、言うことを聞いてくれない。相変わらず店員の悲鳴が響いている。


 あぁ、俺は死ぬのか。


 容は覚悟を決めた。


 遠くからサイレンの鳴り響く音が聞こえる。

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