転ばぬ先の脚
「弾の補充がいるんちゃいますか?」
「おっと」
夢中になり過ぎると、ついつい時間を忘れてしまう。相変わらず横島はその辺りの見極めと登場のタイミングが上手い。
時計を見る。時刻は昼をとうに過ぎ、午後4時に差し掛かろうとしていた。
「弾だけ同じ量を。一旦ホテルへ戻る」
「うわっ、えげつない減り方してるやん。流石、2階層の狂犬」
「幸運にも穴場に当たったんでね。次、その名前で呼んだら他と取引するぞ」
表面だけ反省の色を見せる横島を無視して端末を取り出す。
今は紬の事が気になる。書置きを残していったとはいえ、かなり長い時間外に出てしまった。
「例の物の手配は?」
「勿論、抜かりなく306号室に到着済みや。代金は開封と同時に設定してますんで」
携帯端末を取り出す。
今回は予めホテルに居る紬をポート設定しておいたので、横島の手助け無しで直帰出来る。
「夜間も通しで巡回する予定でっか?」
「そのつもりだ。出来る限り潰しておきたい」
「ウチも夜間対応させて貰います」
「割高になるとか言うなよ?」
「分かってますがな。そしたら、またあとで」
釘を刺しておかないと、直ぐに追加料金をせびられる。
永劫都市では1度成立した契約は絶対で、差し戻すにせよ支払いを完了させなければ次の手続きに進めない。
踏み倒すことは不可能だ。
「ただいま。随分と待たせて悪かった」
「ううん。私もさっきまで宇宙船の掃除してたから」
ベッドに座った紬が、気にしないでと手を振る。
ログを見ると確かに、20分前まで休憩無しで船外活動に勤しんでいたようだ。
仕事の際は聖彦のアクセス権限を仲介しているので稼いだ額も確認出来る。
……凄いな。
この階層の滞在費を大幅に超える稼ぎだ。
もはやこの仕事の作業効率では聖彦を完全に抜きベテランの領域――いや、効率云々では収まらない額だ。単純に時間で割った稼ぎがありえない。
そう、此方の時間を基準とするのなら。
「おいおい。一体何日間、
「3日ぐらいかな?」
現実と永劫都市では時間の進みが違う。
永劫都市の稼働時間は人が見る夢に似ている。
人の眠りにはレム睡眠とノンレム睡眠の2パターンがあり、それを交互に繰り返している。人はレム睡眠の時に夢を見て、ノンレム睡眠の時に深く眠るのだ。
永劫都市のメインサーバーも活動と休止再起動を交互に繰り返している。人々が行動する事で無尽蔵に増え続けるキャッシュのクリアやデフラグの為だ。
この休止のタイミングを永劫都市の中に居る者が自覚する事はない。
私達が途切れ途切れの夢を連続して見ていると錯覚するように。
1秒経過する間に3日経過していたとしても誰もその事に気付かない。特殊な方法でログを辿れば可能だが、あくまで事後的な認知に過ぎない。
「おかしいな。休止前には警告もある筈なんだが。もしかして、聞こえなかった?」
「ううん。聞こえたけど、別に良いかなって」
「いいなか、って……」
例外として船外活動をしている場合、休止のタイミングで永劫都市への帰還が促される。帰還しなければその意識は覚醒状態に固定され、再起動完了まで帰還出来ない。
一度の再起動に必要な日数は3日。いくら宇宙空間を眺めているのが好きだとしても流石に精神に支障を来たしてもおかしくない。
「体の調子とか、大丈夫か?」
「うん。元気。明日もお仕事していいかな?」
「……ああ、勿論いいが」
改めて6階層の人間は出来が違うのではないだろうかと思わずには居られない。
そんな心境を知ってか知らずか、彼女は視線をベッドの脇に落とした。そこには大きな茶色い段ボール箱が置かれている。
「何か来たから置いてもらったよ?」
「そうそう、頼んでいたんだ。君の為に」
「私の?」
段ボールの上部を指でなぞると、上部のガムテープが剥がれて蓋が開く。
中に入っていたのは緩衝材に包まれたダークグレーの、
「この階層限定だが、君の腕と脚だ」
彼女の義足と義手だった。
「この色しか用意できなかった。すまない」
「ううん、とっても素敵」
紬は装着した義足ですぐさま立ち上がり調子を確かめる。
「でも、どうして? 外に出ちゃダメなんだよね?」
「状況が変わったんだ。その義足を使わないといけない状況になるかもしれない」
そう前置きをしてから、彼女に
「それって下の方の階層は、あんまり関係ないんじゃ」
「バグや
「突き上げ?」
「まずは防御の低い下層に穴を開けてそこから侵入。それを足掛かりに上層へのトンネルを通して、その階層に進入用の穴を開ける。それを繰り返して最上部の七層に攻め込むのが定石だ」
「という事は、2階層は結構危険ってこと?」
「その通り。ホテルの中は比較的安全だが万全じゃない。相手は直接階層の住人に攻撃は仕掛けてこないが、穴を開ける際や上層に上がるルート形成の際には巻き込まれ事故が起こるリスクがある」
「巻き込まれるとどうなるの?」
「危険だな。最悪、死ぬ」
手に入れたばかりの義足をばたつかせる紬の表情に危機感は微塵も見えない。
まだ状態を把握しきれていないのだろう。
あるいは外に出られるかもしれないという期待が勝っているのだろうか。
「私に出来ることはないの?」
「残念ながら無い。強いていうなら、何か起こったら逃げる」
「逃げるって言ってもどこに?」
「出来るだけ安全な場所に。今、探してる所だよ」
見つかればいいが、無ければ街中を走り続けなければならない。
「折角だから、明日少し外を見て回らないか。少しでも土地勘を付けた方が良いからね」
「街に出られるの?」
仕事より此方への好奇心が勝ったようだ。紬が目を輝かせながら「絶対に行く」と頷く。
「言っておくが、観光じゃないぞ?」
「分かってる」
これは絶対に分かっていないな、と確信しつつも、「明日の午前9時に出発しよう」と約束を取り付けた。
さて、案の定である。
「甘い」
街を歩く紬の手には、ソフトクリームが握られている。つい30分前にはそれが豚串だった。
しかし、文句を言いづらいのも確かで、なぜならこれらの商品は彼女自身が稼いだ金で購入されている為だ。
歩き始めて僅か2時間で彼女が持ち替えた品物の数は17個。驚異的な食欲である。
「本当に旨いか?」
「うん。ストレートな味」
なるほど、そういう表現もあるかと感心する。2層の味に対するデータ量は多くない。
良くも悪くも単純だ。コクや深みは期待するだけ無駄である。
さておき、街の1つ1つを逐一説明して歩くのも中々楽ではない。
「狙われるところが分かれば、そこに近付かなければ良いだけなんだが」
「分からないんだ?」
「残念ながら。全てのハッカーが攻めやすい場所を攻めるわけじゃない。変わり者もいるんだよ。そういう所は現地のブロッカーが手薄だから、逆に早く抜かれる事もある」
こればかりは相手次第。如何に相手の行動や狙いを予測できるか。勝負は時の運という奴だ。
「面白そう」
「……まぁ、賭けるものが無ければ楽しいかもしれないな。滅多に会えない外の住人との交流な訳だし」
「私は参加できないの?」
「勘弁してくれ」
出来るかどうかで言えば出来る。
どの階層の人間だろうと参加は可能だ。
実際に立ち回るとなると、ルールを把握して対処する技能を習得する必要がある。
「本当に駄目?」
「駄目だ。いくら頼まれてもそれだけは譲れない。これは遊びじゃないんだ」
納得した様子ではないが一応頷く紬。
本当に大丈夫だろうか。
「玖島さんは参加するの?」
「私は参加したくない。個人の利益や徳が何もない。骨折り損だよ。始まる前の今が1番良い」
「なら。私が賞金を出すから参加させて。どう?」
「面白い冗談だ。あんまり人をからかうものじゃない」
突飛だが鋭い発想に乾いた笑みがこぼれる。
「いくら?」
「万が一受けるとしても、私は子供相手だからといって端金では動かないよ」
「いくら?」
「……そうだな」
この感じは具体的な数字を言わなければ納得しないパターンだ。
この場合、期待を持たせる金額を提示するべきではない。しかし、法外すぎる金額を提示すれば今後の付き合いは勿論、事務所の評判に影響する。
今回の彼女の救助費が経費諸々込みで350万。伴うリスクを考えれば同額程度に設定するのが筋だろう。
「君の安全は保証できないという前提でも、危険手当その他諸々込みで370万」
「いいよ」
「悪いが、後払いは受け付けられない。万一クライアントが消失すると、救助の成功報酬も消えて身の破産だ」
万が一があっても、先に金を貰っていれば救助費の代わりにはなる。
「ケチ」
「君の両親も絶対に反対するだろうさ」
子供のお守りも楽じゃない。今度からは追加料金を取ることも視野に入れよう。
「ねえ、これ。かわいい」
「ん?」
紬が何か見つけた様子で地面にしゃがみ込み、両手で何かを掴んで立ち上がる。
不運にも彼女の背中が死角になって見えなかったが、嫌な予感を覚えるには十分だった。
「おい、何を拾った?」
この階層、情報量の関係で道路はいつも舗装したてのように綺麗だ。草木も少なく虫も居ない。
かろうじて居るのは偽物の犬と猫ぐらいで、それも野良ではなくペットである。
ここで拾えるものと言えば、おのずと候補は絞られる。特に悪い方向で。
「厄介事とバグは勘弁してくれよ」
ばつが悪そうに差し出された両手に警戒しつつ、右手は彼女に悟られないよう腰の拳銃へ添える。
左手で受け皿を作り、彼女の両手の下に差し出す。
本当にバグならば逃げるよりも早く破壊する。
「ごめんなさい」
紬が手をパッと両手を開く同時に銃を引き抜く。
左手に軽い物体が触れ、視認と同時に引き金を――、
『370万が入金されました』
手に落とされていたのはオモチャのメダルで、銃口で抉るように金額が表示される。
状況が飲み込めずに紬の顔を見ると、彼女はしてやったりの表情で「契約成立、だよね」と微笑んだ。
状況を飲み込めないまま固まる事、およそ5秒。
……やられた。まさかこんな手段を使ってくるとは。
「この金、一体どこから?」
「私のお小遣いからだよ」
「これがお小遣い? 嘘……いや、そうか」
盲点だった。この世界での貯蓄データは基本的に自分自身に蓄積される。
常に全財産を持ち歩いているようのものだ。
とはいえそれでは不便な場合も多々あるので、聖彦が仕事の際に使用する専用硬化のように、特定の物体に任意の金額を
一種のプリペイドカードのようなもので、所有者が自由に引き出したり使ったりで出来るが所持金には合算されない。
紬が使用したのは親から貰ったお小遣いをチャージした何かで、そこからオモチャのメダルに370万を移動させたのだろう。
「お小遣いでこの金額を一括で払えるのか」
6階層のレートは想像するだけで恐ろしいと聖彦は天を仰いだ。
ハックボイルド -永劫都市における楽ではない探偵稼業- 白林透 @victim46
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