恋想月

丹花水ゆ

第1話

僕はいつまでも忘れない。あの日見た花火のように、君はいなくなってしまう。将来、僕は別の人と一緒にいるかもしれない。それでもあの日のことは、君のことは忘れない。


夏休み。課外が終わり、いつも通り千紗と一緒に下校する。

「恭介、今日、お祭りあるの知ってる?」

いつもの帰り道。隣を歩く君が突然聞いてきた。

「あぁ、学校近くの神社であるんだろ?みんな行くって言ってたな。千紗も行くだろ?」

「あ、あのね!今日は、その、一緒に行かない?」

「え?」

「いや、その、二人で……。」

流石にちょっと驚いた。いつも明るい君だが、こんなこと言うとは思ってなかった。

「嬉しいけど、千紗は良いのか?みんなと行かなくて。だって今日の夜には……。」

君は壊れた機械のように首を縦に振っている。振りすぎだ。

「分かった。なら、駅前に五時に集合な。」

そう言うと、君は嬉しそうに顔を上げて思いっきり頷く。その後も君はとても嬉しそうだった。もちろん俺も嬉しい。二人で、なんてもう二度と無いに違いないないから。最初で最後の二人きりの夜。そう思うと少し緊張してしまった。

「恭介、どうかした?」

「いや、なんでも無い。」

顔に出てしまったようだ。リラックス、リラックス。そして、しばらく歩くと駅に着いた。

「じゃあ、また後で。」

「あぁ、また後で。」

君は電車に乗るために改札口へ向かう。こんな光景も今日で終わりだ。いつの間にか当たり前になってしまった光景。最初はたまたま帰り道が同じだったから一緒に帰っていたが、いつの間にか君が来るのを校門で待っていたり、朝も一緒に登校するようになった。一緒に登下校するのが楽しかった。それだけじゃない。学校でもそうだ。一緒にいるのが楽しかった。きっと君にはその気は無いのだろうけど……。

「さて、僕も着替えに帰らないと。」

とりあえず、家に帰ることにした。先に駅で待っておかなければ。君が改札口から出てくるのを見るのも今日で最後だから……。


駅から歩いて十分。家に到着。せっかく最初で最後なので浴衣を着ようと思ったが、浴衣を探すもなかなか見つからない。そうこうするうちに時間がだんだん迫ってきた。

「仕方ない。私服で行くか。」

とりあえずは私服(もちろんいつもよりは格好良いもの)に着替えて、駅へと向かう。待ち合せの三十分前には着くことができた。周りを見渡しても、千沙はまだ来ていなかった。

「よし、間に合った。良かった~。」

すでに駅前は浴衣を着たカップルや家族連れでにぎわっていた。みんなも祭りに行くのだろう。すごく楽しそうだ。すごく、楽しそうだ……。きっと今の自分の顔は辛気臭いものだろう。しかし……。

「お待たせ!んー、もうまたそんな顔して。今日はお祭りなんだからそんな顔しないの。」

君は十分前に来た。そして、やはり言われてしまった。

「恭介、そんな顔しないで。いなくなるのはあなたじゃないわ、私よ。だからね?今日は思いっきり楽しもうよ!」

当の本人がこうなのだ。僕の顔を覗き込んで、おどけたようににっこりと笑いかけてくれる。それなのに、僕のほうが暗い顔をしているのはいけないな。本当に千沙にはかなわない。

「あぁ!ごめんな、辛気臭い顔なんてして。祭り楽しもうぜ。」


駅前から遠ざかり、祭りに向かう人々の列について行く。しかし、このまま行くと、少し遠回りになってしまう。なので、いつも学校に行くときに通る裏道を通っていくことにした。だんだんと祭囃子の音が響いてくる。この音を聞くと、夏の終わる香りがする。君は早く行きたくなったのか、走り出してしまった。

「恭介ー!早くー!」

「待てよ、千紗!」

夕日の中、君はどんどん先へ走っていく。浴衣でよく走れるな……。君は黒地に赤い蝶の舞った浴衣を着ている。すごくよく似合っている。

「こら、浴衣で走るんじゃな〜い!」

いつも通り元気すぎる君だった。そんな駆けていく君に好きだなんて未だに言えないでいた。


実は夏休みの初めごろに、友人の塚本にまだ好きだと言っていないのか、と説教を受けたことがあった。

「はぁ?まだ好きって言っとらん?なにやっとんのや、おめえは!早く言わねぇと他の奴にとられちまうかもしれんやろが!」

「あのな〜、そんな簡単には言えないんだよ。そりゃ、こっちだって簡単に言えれば苦労しないさ。こう、雰囲気とかタイミングとかがな……。」

「はぁー。あんな、そう言うんは、その場の勢いとが大切なんよ!一度逃すとその次は言いにくくなるし、その次その次って先延ばしにしちまうんだよ!いいからさっさと言えちゅうに!」

そうは言っても、あんなことを知ってしまうと余計に言いづらい。もちろん、それまでその次その次と先延ばしにしてしまったのだが。その間に君の秘密を知ってしまい、今に至っている。

「分かったよ。今度の祭りの時に言ってやるさ!きちんとな!」


このままだと本当に言えなさそうだ……。がんばらないと! 

しばらく行って、学校の校門の前を通り過ぎ、右に曲がる。さらに進むと神社の鳥居が見えてきた。

「凄いね。なんて言うかこう、凄いね。」

「あぁ、凄い。」

いつもは人なんて全然いないし、この時間帯は真っ暗でむしろ怖いくらいだ。しかし、今は光に溢れていて、人がそこに吸い込まれるように集まってくる。鳥居まで登る階段は人でごった返していた。いつもと違う光景に君も僕もつい見入ってしまった。

「これじゃあ、迷子になりそうだね。」

これはチャンスなのだろうか。これ幸いとばかりに言ってしまうべきだろうか。いや、でも……。

「あ、あのさ。手、繋ぐか?はぐれないように……。」

悩んだ末についに言ってしまった。結構どころかかなり恥ずかしい。きっと今の顔はリンゴみたいに耳まで真っ赤なのだろう。と、君から何の返事もない。見てみると、君も君で唖然としていた。

「もしもーし、千紗さーん?」

目に前で手を振ってみる。反応なし。

「え……。」

それどころか、目に涙を浮かべ静かに泣き出してしまった。君の頬を涙が静かに流れ落ちる。

「悪い!まさかそんなに嫌だったなんて思わなくて……。突然ごめんな。」

「ううん、そう言うわけじゃないの。ただ……。じゃあお願いしてもいい?」

「お、おう。」

お互いに手を出す。あと三十センチ。あと十センチ。もう少しで手が触れ合う。そして、しっかりと握った。手を繋ぐのももちろん初めてだ。最初で最後の……。そう思うととても緊張してきた。手が汗ばんだりとかしてないかな?

「お!お前らやっとか!」

「塚本!なんでここに!?」

振り向くと、塚本が手を振り、妙な笑顔を浮かべながら近づいてきた。突然声をかけられたので思わず手を離してしまった。塚本め、心臓に悪い……。

「なんでってそりゃあ、祭りに来たに決まっとるやろ。それより、お前らやっと手ぇ繋いだんか。全くもって遅かったな。」

「う、うるさい。」

「ははは!そう怒るなよ。あ、そうだ!手ぇ離したついでにちょっと来い!」

「なんだよ、もう。」

君から少し離れたところに二人で移動すると、塚本は首に腕を回して来て顔を近づけて来た。顔が近い。

「お前さん、もう言ったんか?」

「……。まだだ。」

「おっそいなぁ。はよ言わんかい。そーせんと……。」

「どうなるの?」

驚いて振り向くと、後ろに君がいた。

「千紗!聞いてたのか?」

「うん、もう言ったとかなんとか。何を言ってないの?」

「い、いや、なんでもない。」

「んじゃあ、そろそろ行くわ。二人仲良くお幸せになー。」

塚本はニヤリと笑うと背を向けて手を振りながら去っていった。まったく、騒がしいやつだ。しかし、本当に早く言わないと機会を逃してしまいそうだ。いつ言えば……。

「恭介?おーい、聞いてる?」

気がつくと顔の前で君が手を振りながら覗き込んでいた。

「ん……。あぁ、悪い。なんだ?」

「もう、なんだ、じゃないよ。早く行こうよ。」

「そうだな、行こう。」

今度は先ほどよりも自然に手を繋ぐことができた。それでも少し緊張してしまうが、手から君の温もりが伝わってくる。とても温かくて、すごく安心するような、でも不安になるような、そんな気分になった。


階段を登りきると一斉に祭りの光たちが飛び込んで来た。すごく賑やかで明るい光に一瞬目が眩んでしまった。隣の君を見ると、まるで子供のように目をキラキラと輝かせて、とても楽しそうに笑っていた。

「さて、どこから行く?」

「じゃあ、あそこのヨーヨー釣りから!」

「よし、じゃあ行こう!」

二人でゆっくりヨーヨーの屋台に近づき、列に並ぶ。

「全然取れない〜!」

目の前で取っていた女の子がなかなかヨーヨーを取れずに泣き始めてしまった。取ってあげようか、どうしようか……。

「あの赤いヨーヨーが欲しいの?」

声をかけようとしたところで、君がその前に声をかけていた。

「うん。あの赤いのが欲しいの。」

「よし、お姉ちゃんが取ってあげる!」

君は屋台のおじさんに百円を渡して、釣り糸を受け取った。目が怖いくらいに真剣だ。

「そりゃー!」

途中までは持ち上げられたが、案の定、途中で切れてヨーヨーは落下した。

「あー!悔しい!おじさん、もう一回!」

再び屋台のおじさんに百円を渡して釣り糸を垂らす。今度はあまり持ち上げることもなく、糸が切れてしまった。

「おじさん、もう一回!」

「おい、もうやめとけ。僕が代わりにやるから。おじさん、俺にも釣り糸くれ。」

屋台のおじさんに百円を渡して釣り糸を受け取って垂らした。そして、水にあまり濡れないように気をつけながら引きあける。

「ほれ。」

「わー!ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

「ヨーヨー釣り上手だね。私、全然取れなかったよ。」

「そんなに難しくないさ、ちょっとコツを掴めば。で、千紗は何が欲しいんだ?」

「え、じゃあ、あの黄色いヨーヨーをお願い。」

「よし、あの黄色いやつだな。」

先ほどと同じように慎重に釣り糸を垂らし、ゴムに引っ掛ける。そして、ゆっくり引き上げた。

「ほら、取れたぞ。」

「あ、ありがとう。」

「もしかして、自分で取りたかった?」

「いや、そういうわけじゃなくてね……。ううん、やっぱり何でもない。次行こう?」

「そうか、ならいいけど。次はどこに行きたい?」

「次は……、あ!あの金魚すくいがいい!」

「オッケー。」

ヨーヨーの屋台から離れ、今度は金魚すくいをやっている屋台に向かった。こちらもだいぶ繁盛していた。とりあえずは列に並び、順番を待つことにした。

「本当はね、黄色は好きなんだけど、黄色くて丸いから満月を思い出しちゃって……。」

君は先ほどと打って変わって、俯いたままそう呟いた。手もより強く握られたような感じがした。

「そうか……。」

やっぱり嫌だよな。でも俺には何もすることができない。君を引き留める理由があったらいいのに……。

「あ、ごめんね。さっき私がお祭り楽しもうって言ったのに……。」

「わかった、それで許す!俺もさっき同じような顔したから、これでおあいこ。後は祭りを楽しもう!次はどこに行く?」

「たこ焼きなんてどう?」

「賛成!ちょっと小腹もすいたしな。」


お目当てのたこ焼きの屋台は随分と奥の、神社の本殿にほど近い場所にあった。

「へいらっしゃい!そこのお二人さん、美味しいたこ焼きでも如何!」

「塚本!何してるんだ?」

「何って、見た通りたこ焼きを焼いているのさ。俺の爺さんが人で足らんとかで手伝わされとるんよ。」

「そうなのか。じゃあ、遠慮なく頂こうかな。千紗は何にする?」

「私は塩たこ焼きがいいな。」

「まいど!お前さんはどうする?」

「僕はねぎ焼きで。」

「たこ焼きの屋台に来てねぎ焼きとは……。なかなか通だな。まぁ、ちょっと待ってな。すぐ焼くから。」

十分後、焼きたての塩たこ焼きとねぎ焼きが出来上がった。それらをトレーに乗せて、塚本が店先まで持ってきた。

「お待たせしやした〜。合わせて六百円になりやす。」

「あぁ、いいよ。俺が払うよ。」

君も財布を取り出して支払おうとしたのを制した。このぐらいは甲斐性とは言えないかもしれないが、払わせてほしいものだ。

「いや、悪いし。私も払うよ。」

「いいって、払わせてくれ。」

「いや、やっぱり悪いから払うよ。」

「いや、いいって。」

「悪いって。」

「あんなぁ、仲良うするのは結構だが、早めにお支払い願えますかねぇ。」

「あぁ、悪い、塚本。」

とはいえ、君は変なところで頑固だから、きっと折れてはくれないだろう。仕方ないか。

「じゃあ、百円でいいか?」

「うん。じゃあ、はい、百円。」

少し不満そうだが、これ以上は迷惑だと思ったのか、君はおもむろに財布から百円を取り出した。僕も財布から五百円を取り出して、塚本に手渡した。

「ちょうど六百円、ありがとうございやした。二人とも仲良うするのもほどほどになぁ。」

「「はい……。」」


その後、他にもクレープなども買って、それらを神社の本殿前の段差に座って食べることにした。段差に座ると早速、ねぎ焼きを頬張った。中からはたっぷりのねぎが出てくる。この食感がたまらないのだ。

「このねぎ焼き、うまい。」

「うん、私のたこ焼きも美味しい。ねぇ、一個交換しない?私もねぎ焼き食べてみたい。」

「いいよ。はい。」

君のたこ焼きの入ったトレーにねぎ焼きを置くと、代わりに僕のトレーに君もたこ焼きを乗せた。

「じゃあ、いただきます。」

もらった塩たこ焼きを口に入れると塩の味がして、そのすぐ後に甘みがじんわりと出てきてなかなか美味しかった。君もねぎ焼きを美味しそうに食べていたのはなんとも微笑ましく思えた。

「あ!」

塩たこ焼きを食べた勢いでねぎ焼きを食べようとした矢先、君が突然立ち上がったので驚いて危うくねぎ焼きを落としそうになった。

「どうしたんだ?」

「買い忘れてたものがあったのを思い出して。ちょっと買ってくるね。」

「一緒に行こうか?」

「大丈夫、すぐ戻ってくるから。ここで待ってて。」

君はそのまま本殿まで続く階段を登って、社務所に向かっていった。お守りでも買うのかな……。しばらくすると、お目当てのものが買えたのか、嬉しそうに戻ってくる君の姿が見えた。

「ごめん、お待たせ。」

「何を買ったの?お守り?」

「うん、お守り。ここの神社のお守りすごく効くって有名だから、残ってるか心配だったんだけど、一つだけ残ってて買えたの!良かった、残ってて。」

「それは良かったな。どんなお守りを買ったんだ?」

「それは内緒。」

ねぎ焼きを食べ終わり、今度はクレープを食べようとした時、ドンと大きな音がして空に花火が上がった。気がつけば周りには人が集まっていて、みんな空を見上げて花火に見入っていた。

「ねぇ、移動しない?少し人が増えてきたし、穴場を知ってるんだ。」

「いいよ、移動しよう。どこに行くんだ?」

「えっとね、本殿の裏に大きな池があるの知ってる?」

「うん。確か月占いができる池だっけ?」

「そう。そこだったら人もあんまりいないだろうし。行こう?」

今度は君から手を差し出してくる。拒む理由なんてない。僕は素直に君の手を取った。

「うん、行こう。」


手を繋いで本殿の裏にある池に行くと、人っ子一人いなかった。池の前には丁度いい大きさの石があったので二人でそれに座って見ることにした。ちょうど池の向こう側から花火が上がっていたので、池にも反射してとても綺麗だ。もう今日の夜にはお別れなんだと思うと心にぽっかり穴が空いたような気分だった。夜空の繚乱の花火が心に開いた穴を埋めるようにキラリキラリと輝いていた。

「綺麗だね。」

「うん、そうだな。」

そうそっと呟く君の手を強く握り締めることしかできなかった。


初めて出会った頃、誰よりも笑う君によく見惚れていた。どんな時も笑っていた。そして、失恋した友達が泣き止むまでずっと一緒に居てあげたり、ケガした野良猫を病院まで連れて行ったりしていたのを見て、優しい人だとも思った。ただ、そんな笑顔の裏で一人泣いている君もいた。君のおじいさんとおばあさんが亡くなった時だ。本当の千沙の祖父母ではなかったが、もともと親のいなかった君を温かく迎えてくれた人達らしい。だから親同然のはずなのだが、君はみんなの前で涙を見せることは一切なく、式場でさえみんなの方が泣いていたというのに、君は微笑みながらその肩を抱いているだけだった。そんな君に誰よりも大切なのに何もできないでいた。

「私は大丈夫だよ。だから、そんなに泣かないで。」

そう言ってみんなを微笑みながら慰める君の姿は正直に言って痛々しかった。その日、僕はなんだか落ち着かなくて、夜に散歩をした。何を考えることもなく、多々歩いているといつの間にか学校近くの神社に足を運んでいた。石段を登っていると、不思議なことに気がついた。神社が妙に明るいのだ。本殿に近づくと、裏の池のところから光が発せられているのがわかった。建物の陰に隠れながらそっと池の方を覗いてみると、君がその光に向かって話しかけているところだった。しかも、いつも笑顔の君の顔は歪んで目には涙を溜めている。

「もうここには居ることができないのですか?あと、少し、もう少しだけいさせてください!お願いします!」

何を話しているのかよく聞こえなかったので、少し近づこうと足を踏み出した時、思いっきり建物の柱に足をぶつけてしまった。

「誰?!」

気づかれてしまったのなら仕方ないと、建物の陰から出る。

「恭介……。聞いてたの?」

「うん。ねぇ、もう居られないってどういうこと?」

「……。実はね、私もうしばらくしたら遠くへ行かなきゃいけないの。本当にずっと遠くに。」

「遠くって、どのくらい遠い?」

「具体的に言うと月に帰らなきゃいけないの。もちろん、月の世界であって、今も見えてるあの灰色の月じゃないわ。」

「え……?それってどう言う意味?」

「そのままの意味よ。かぐや姫のお話、知ってるでしょ?あの話は本当にあったことなのよ。話の通り、月で悪さをしたから地球に降ろされたの。さしづめ、私は現代のかぐや姫ってところね。」

「一体どんな悪さをしたのさ。」

「それはちょっと言えないかな。ただ月ではね、地球は月と比べるのもダメなくらい劣った場所だって聞いていたんだ。でも、地球に来てそれは違うと思ったわ。できるならずっとここに居たい。でも、もう無理なの。今使いが来て、もう帰ってこいって言われちゃった。かぐや姫のお話通り、次の満月の日には帰らなきゃいけないの。」

「どうにもならないのか?」

「どうにもならないよ。最初のかぐや姫様だって誰も止められなかった。おじいさんとおばあさんが何人もの兵士を雇って止めようとしたけど、結局不思議な力で動くことさえ儘ならなかったって。」

「この話、千沙のおじいさんとおばあさんは知ってたの?」

「うん。でも、今日二人とも先に遠くへ行っちゃって、誰も見送ってくれる人がいなくなっちゃった。」

君はいつもと違う寂しそうな笑顔を浮かべながら言った。

「なら、せめて俺が見送ってもいいか?」

「え、いいの?」

「ここまで話聞いといて知らんぷりなんてできないし、俺も見送りたい。だから、良かったら見送ってもいいか?」

「うん、ありがとう。」

「あ、でもこの話は他の人にはしない方がいいよな。」

「うん、二人だけの秘密ね。」

二人だけの秘密。こんな状況でなければ、素直に喜んでいただろう。二人だけの、他の人にはばれてはいけない寂しい秘密。


気が付くと、もう花火も終わりに近づいており、最後を飾るように大量の花火が夜空にきらめいていた。そして、最後の特大の花火が上がると、先ほどまでの喧騒が嘘のように沈黙に包まれた。空には満月だけが残り、寂しくあたりが照らされている。本殿の向こうからは、みんなが帰り始めたようで、騒がしい音が聞こえて来た。

「終わっちゃったね。」

「うん、終わったな。」

「ねぇ、ちょっと歩かない?」

「うん。」

立ち上がり、二人で表に戻る。少しづつ片付けの始まった屋台の前をお互いの温もりを感じながら歩いた。ゆっくりとそれらを眺めつつ歩きながら、今までのことを思い出していた。一緒にいた時間は短いものだったが、それでもどれもいい思い出だ。思い出……?そんな過去の話のようにしてしまってよいのだろうか。

「なぁ、本当に残ることはできないのか?」

その時、周りが急に静まり返った。いや、今まで周りで作業をしていた人たちが突然消えたのだ。月が不気味に輝きを増し、周辺にも怪しい霧が立ち込めて来た。そして、月から千沙が言っていた使いと思われる人々の一団が黄色い雲に乗って降りて来た。ついにその時が来てしまったのだ。

「ごめん、もう無理みたい……。」

その一団はそのままゆっくりとこちら側に近づき、そして目の前で止まった。

「――――――。」

「はい……。」

君は一番前に立っていた仏様のような人に何か話しかけられているが、何を言われているか全くわからない。でも、俯いて返事をした君は前に進み出て雲に乗ろうとしている。本当にこのまま帰していいのか。止めるべきではないのか。まだ、自分の気持ちも伝えていないのに……。

「待て、千紗!」

止めようと前に足を踏み出そうとするが、出すことができない。力が入らないのだ。このままでは本当に帰ってしまう。どうにか無理やり進もうとして転んでしまった。すると君が駆け寄って来て、手を差し伸べてくれた。君は本当に優しいな。その手をとって立ち上がると、背後から仏様のお付きの人たちが透明な長い布を持って近づいて来た。

「―――――、―――。」

「お願いします、もう少し待ってください。」

「――――。」

「はい。」

「今のが、天の羽衣?」

「そう。あれを着ると人の心、記憶、全てを忘れるの。人じゃなくなるのね。その前に。」

君はそう言うと浴衣の袂から先ほど買ったお守りと一通の手紙を取り出した。

「本当に見送ってくれてありがとう。おじいさんとおばあさんが遠くに行っちゃって、誰にも知られずに帰るのかなって思ってたから……。恭介のこと忘れないわ。」

「でも、あれを着れば忘れるんだよね……。」

「そう……、だったわね……。」

「あ、ごめん……。」

忘れることを思い出して、君は泣き出しそうな顔をした。それでも、君は泣くのを少し我慢して、微笑みながら先ほど取り出したものを差し出して来た。それを受け取って、お守りを見ると、なんと恋愛成就と書いてあった。

「―――――。」

君はさらに何かを言おうとしたが、もう待てなくなったのかお付きの人たちが天の羽衣を着せてしまった。しかし、振り向く時に君の瞳から輝く粒がいくつも落ちるのを僕は見逃さなかった。そしてそのまま君は雲に乗り、月へと登っていった。すると、周りは元の喧騒を取り戻し、屋台の片付けが続けられた。結局伝えることができなかった。そこからはどうやって家まで帰ったのか覚えていないが、気がつくと自室の机に座っていた。そして、思い出したように君の手紙を開くとそこには、感謝の言葉やこんなこともしたかったと今となってはもうありえない未来の話などが書いてあり、最後に君の本当の気持ちが綴られていた。僕は堪えきれずに嗚咽し始めた。なぜ、もっと早くに伝えなかったのだろう。なぜ……!本当に後悔の念しか残らない、何度でもやり直したいと思うであろう別れに、いや、むしろ自分に腹が立って仕方がなかった。


それからと言うもの、この季節になると君と見た場所で花火を見ては、君のいなくなってしまった世界で僕は泣いた。繋げなかった僕たちの未来はきっと夏の幻だったのだろう。さよなら、では形容できない別れ。それでも、君の笑顔はいつまでも僕の中で咲き続けているだろう。僕は将来別の人と一緒にいるかもしれない。それでも、君のことは忘れない……。

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恋想月 丹花水ゆ @sabosan

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