第30話 勤務11日目(3)その日(3)

●午後十時半:二回目の巡回開始

いつものように非常用出入口よりビルの中へ入り、自動ドアの自動スイッチをOFFに倒した。

次に非常用出入口に内側から鍵を掛ける。

懐中電灯で照らされた闇の通路には、今夜も自分の靴音だけが反響する。

いつもと同じように通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

さらに奥へ進んで給湯室、そして通路を挟んで左右にある会社のオフィスの鍵を選びドアを開け、中を見回る。問題なし。

いよいよと五階へ達する。

(ん?)

アイラボの中から話し声が聞こえる。

昨夜も聞いた声だ。

低く唸るような、あの念仏のような呪文のような声。

それとも呪術のおかげで私がおかしくなっているのか。

私は無意識に鍵束のリングを握りしめた。

いや、アイラボからではない。

このビル全体に響いている。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

ひどい吐き気に襲われ、トイレに駆け込み吐いた。

(や、やめろ!その念仏だか呪文だか知らんがやめろ!静かにしてくれ)

ビル内がしーんと静まり返った。

「うわはははははははは、、、はっはっはっはっはっはっ」

天井から薄気味悪い笑い声が降って来る。

廊下の向こうの壁が、ドーンという音とともに震えた。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

(また、あの声だ)

さっきより声が大きくなっている。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

肩を何者かが押し付けるような重圧を感じる。

私はふらふらになりながらも、一階へ降りようと西側の階段へ向かう。

階段下から、真っ黒い人影のようなものがゆっくりと這い上がって来るのが見えた。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

その声は、間違いなくその影から聞こえて来る。

(うわわわっ!)

私はあわてて東側階段へ戻ると三階まで駆け下りる。

と、二階からも真っ黒い人影のようなものがゆっくり這い上がって来るのが見えた。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

その影からも、不気味な声が聞こえる。

私は三階エレベーターのスイッチを押した。

なかなかエレベーターが上がって来ない。

(は、早く来てくれ!)

黒い影は、三階に到着すると何かの生き物のように、おぞましい動きで頭をくねらせた。

やっとエレベーターが上がって来た。

(は、早く来い!)

やっとエレベーターのドアが開いた。

私は転がり込んで閉めるスイッチを押す。

エレベーターが二階、一階と下がっていく。

一階についてドアが開いた。

ふと脇にある東側階段と西側階段を見やると、あの影がおぞましい動きで私の方へ頭を向けるところだった。

(う、うわああああっ!)

私は自動ドアのスイッチをONにすると、ビルの自動ドアから外へ転がり出た。

守衛室にたどり着くと、窓から日誌に殴り書きでいま起きたことを書き込む。

(ん?)

二つの黒い影は自動ドアを通り、ゆっくりと私の方へ向かって来る。

その動きはヒルのようにおぞましい。

私は門から逃げようとした。

誰かが私を羽交い絞めにした。

「こんばんわ。ぼくのモルモットさん」

配達夫だった。

影が私をゆっくりと覆いはじめる。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」


3.その日(3)

「うわああああああああっ!」

私は自分の叫び声でハッと我に返った。

まだ耳に薄気味の悪い声が響いているように感じられる。

びっしょりと汗をかいている。

と、どこからか人の声が聞こえる。

「あのう、守衛さん?守衛さん、いるんですか?」

私はノートを放り出すと、休憩室から守衛室に移動して椅子に座った。

「あ、ああ、すいません。きょうが着任はじめてなもので」と私は弁解口調で言った。

「アイラボの三上です。鍵をお返しします。井上さんから頼まれて、オフィスも自動ドアも閉めてますから」

「あ、すいません。どうも」

時計を見ると夜の八時二十分だった。

私は再び休憩室へ移動して放り出したノートを拾い、守衛室に戻った。

(ふうっ、このノート、これ自体が呪いなんじゃないのか。かなりリアルだったな。全部読んだおかげで寿命が縮じまったかな)

ノートの最後のページには、記録にあったとおり呪詛の文字が大きく書かれてある。

しかも、これも記録どおりなのだが、呪詛の大きな文字の脇というか余白に、呪の文字が数文字書き込んである。

それら呪という文字の向きは、様々な方向を向いている。

(ん?)

その呪の文字がまるで生き物のように動き出した。

(な、何だ、これ?)

動いてる呪の文字は、今度は動きながら私の目の前で増えていく。

(私が書いてるんじゃない!)

いや、何か右手が動いている。

(私もこの記録者と同じく、もう呪われてるのか?)

そうかもしれない。

あの配達夫が死んだとは、記録のどこにも書かれてはいない。

「めらはすそーじゅり、しーらぎきーだは、、、ぎびうむ、、、」

(ん?)

守衛室の窓の外、小さな蛍光灯に照らされたところから、記録にあった二つの真っ黒い影が、おぞましい動きで私に迫って来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巡回者 舞川 和 @wrtstory20wrtxyz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る