3話

誘拐が未遂で終わった事件から1週間ほどが経過した。

有栖を誘拐しようとしていた犯人グループ計3人は無事に警察に逮捕され俺のスマホも無事に保護された。有栖はマネージャーと相談した結果、念のために2日ほど学校を休んだだけでマスコミに事件を知られることはなく無事に芸能界へ復帰できたようだ。

窓から照り注ぐ夏の陽光を体一杯に浴びながら1年A組に入室する。相変わらず騒がしいクラスはやっぱりというべきか有栖を中心に騒々しい空気で満たされていた。それどころか、担任が来ていないことをいいことに他のクラスの生徒も集まっている。

眉間に皺を寄せながらも人波を掻き分けやっとのことで自席にたどり着く。溜め息を吐きながら着席すると俺の存在に気がついた有栖が人垣の合間から顔を出し「おはよう、新太」と微笑を浮かべ挨拶をする。

その瞬間。

周りにいた人たちが一斉に騒ぎ出す。

まず女子たちが「えっ!なになに……有栖ちゃんどういうこと!?」などと恋愛乙女脳に切り替わりキャー!っと喜色満面で有栖に問い詰める。

男子に至っては話したこともないのに肩を掴まれ「どういうことだ、新太……!」と嗄声させいになりながらも俺の体をゆさゆさと揺さぶってくる。

風を切る音を感じながらも横目で有栖を一瞥すると当の本人はニヤケ顔でこちらを眺めていた。お前、わざとやったな!という悲痛な思いを胸中でおさめつつ肩に乗った手のひらを優しく払いのける。


「安心してくれ、何もないから」


とは言っても当分は変な噂が流れそうだ。有栖は何を考えているんだ、芸能界に支障が出ても知らんぞ。

騒々しいクラスを切り裂くように教卓近くのドアが横に開閉される。廊下から現れたのは1-Aの担任の先生であり体育の先生でもあって生徒指導担当でもある櫻井さくらい夏目なつめ先生が入室してくる。

夏目先生は黒いスーツを着ていてキャリアウーマン然としているが身長が160センチメートル前後で童顔をしているため中学生が背伸びをしているようにしか見えない。何故彼女が体育の担当教師や生徒指導担当を行っているのか、最初は意味解らなかったがもしかしたらその容姿から逆らうものがいないからやっているのかも知れない。というか、前回に校則違反である髪の毛を染める行為を行っていた男子生徒が夏目先生に呼ばれ怒られていたみたいだが、教室に戻ってきたとたん「ご褒美だった!」などと気色の悪いことを言っていたみたいだ。そして、翌日には黒髪に戻っていた。


「それでは皆さん席に座ってー!」


パンパンと手を叩き生徒に席に座るように促す。

夏目先生は小動物を彷彿させるような笑顔を浮かべ実に嬉しそうに話し出す。


「男子の皆!今のうちに心の準備をしていたほうがいいよ!卒倒しちゃうから」


夏目先生は、入ってきて!と朗らかに廊下へ声をかけると、前の扉が開き1人の生徒が入室してくる。


「それじゃ皆に自己紹介よろしくね」


佐倉さくら桃花とうかと申します。そこの有栖とは幼い頃からの仲なのでこれからよろしくお願いします」


その刹那。

うおーっと、クラス内の男子が雄叫びをあげる。

そして各々の本音が口から漏れる「可愛すぎでしょ」とか「女神の次は天使が舞い降りた!」等々の感極まった声が。

男子たちが言うこともわからなくもない。低身長の割には出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる整った体型。髪はキャラメル色をしたゆるふわヘヤー型の巻き毛で肌は色白。有栖とは別の可憐さが備わっている。でも表情は希薄というか喋りも抑揚がない。

 俺は隣の住人に問いかける。


「有栖……あの子と幼馴染ということはお前の能力のこと知ってるのか?」


「知ってるわよ。というかだから桃花をこの学校に編入させたの」


「編入させた……?」


頭の上に疑問符を浮かべながら有栖に振り向く。


「そう。私の能力を使って裏口入学させたわ……!」


ふんっと、鼻息荒く胸を張った有栖に俺は軽く引く動作をする。


「ちなみに彼女も能力使いで勝手に命名したものだけど、私と桃花は『絶対運動』と呼んでいる異能を持っているわ」


 再び頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

絶対運動とは何だろうか。

絶対的な…運動…能力みたいな感じで運動神経が他を寄せ付けないずば抜けて良いのだろうか。

そんなやり取りをしていると夏目先生が桃花を空いている席に座るように誘導する。

桃花の席は有栖の後ろ―――俺と有栖の席がちょうど真ん中の列の後ろから2番目で桃花は有栖の後ろの1つだけ空いていた席になる。立地も立地なので視線が遠慮なく照射される。主に男子だけど。

桃花が席に座ると有栖が後ろを振り向き微笑を浮かべながら話しかける。


「 おはよう桃花、上手くいったわね」


「上手くいきましたね……それとそちらの方は?」


有栖に向けていた視線を切り俺に目線を合わせてきたので、自己紹介をしようと口を開きかけたがそれを遮るように有栖が話す。


「彼は柏崎新太。以前話した私を助けた人であり新太も能力使いよ」


有栖は桃花だけに聞こえるよう最低限の声で囁く。特に後半部分は聞こえてはいけないから。


「あなたが……ありがとうございます。有栖のでもある私が不甲斐ないばっかりに……」


「ボディーガード……?」


「そうよ。桃花の能力『絶対運動』のおかげであらゆる身体能力が常時底上げされているの。だから彼女には仕事がある時にだけボディーガードをしてもらってるのだけれど、 あの事件があってから、桃花が自分は何もできなかったって…悔やんでて」


「なるほど」


自分の黒い髪を上下に揺らしながら硬い木質の椅子に背中を預ける。


「でもなんでこの学校に編入させたんだ?前の学校は良かったのか?」


「もともとこの学校には編入させるつもりだったし、新太が異能の持ち主だって判ったからちょうどよかったのよ」


「それでは新太さんこれからよろしくお願いします」


少々希薄な表情で手を差し伸べる桃花に手を差し伸べ返すと優しく握り返してくる。

視界の片隅に入った有栖の表情が驚いた様子をしていた気がしたが気にせず姿勢をもとの形に戻し授業に意識を切り替えた。




時刻は12時30分を過ぎた昼休み中。

俺は職員室にいた。

太陽はすっかり南中を迎え室内の気温は上昇し蒸し暑さが職員室内を支配していた。室内の先生たちはパソコンに何かを入力していたり書類に目を通したり食事を摂っていたりと各々いろいろな事をやっていた。中にはラーメンを食べている猛者もいたが、暑くないんかい、と心の中でツッコミを入れ目の前で足を組む女子高生ではなく夏目先生に姿勢を正す。

夏目先生はこちらを見上げ溜め息混じりの声で話し出す。


「新太くん……何で呼ばれたか解るかな?」


「えっと……また合コンに失敗したから戦略を練ってほしい、ですか?」


夏目先生は俺の発言にうっ、と身を震わすがすぐに平常心を取り戻し先を促す。


「ま、まあそれもあるけど…話は別で、今日の朝に街の人から連絡があったのね。複数人から『お宅の高校の子のお陰でスカッとしたよ、気持ちのいい1日を送れそうだよ』って来たんだけど……新太くん関係してるよね?」


「多分電車でのことだと思いますが……何故俺だと判ったんですか?名乗った憶えがないのですが」


「どんな生徒か訊いたらみんな口を揃えて、ボッチオーラ全開の男の子って言っていたから……。新太くんイケメンだけど残念ね」


「よし判りました。ケンカ売っているんですね、いくらでも買いますよ」


ごめんごめんっと、一頻り笑った夏目先生は背もたれに小さな背中を預ける。


「それで何をしたの?」


「ああ……えーと……」


己の頬を人差し指で小刻みに掻きながら視線を巡らす。連絡が来ている以上話さない訳いかないよな。


「……いつもだと徒歩で学校に来ているんですが今日はたまたま電車で来たんですよ。で、朝なのでどの車両も混み合っていたから席に座れず吊革に揺られながら登校していたら、目の前に他校生の女生徒が座っていて周りの迷惑も考えずに化粧をしていたんです。ファンデーション?の粉が周りに飛び散っててこいつ随分厚化粧だなって思ってたら、次は電話をし始めて。この化粧品が高かったとか何とか。流石に乗客も苛立ち始めて1人のサラリーマン風の男性が注意したんですが、やっぱり女生徒みたいな人間って人の話を素直に聞かないのですよ。勝手に逆ギレして…だから俺はある文面を紙に書いて渡しました。そいつよりも早く降りたので結果が知らなかったので、その連絡から察するに巧くいったみたいですね」


「ちなみに何て書いたの?」


「いやー今思うと結構えげつないこと書いたので言えないですね」


化粧品が高かった云々よりも素材(顔)がダメだゼロからやり直してこい、なんて書いたって合コンを失敗した人に言えないよな。


「もう話は終わりですか?」


時間を確認しながら夏目先生に尋ねると先生は姿勢を正し真面目な眼差しで見詰めてくる。


「実は今のは前座で本題はここから……」


「生徒の功績に何てこと言ってんの」


思わず素でつっこんでしまったが夏目先生は気にすることなく話を続ける。


「それでさっき話した戦略のことなんだけど、お察しの通り失敗しちゃってまた考えてほしいな」


「この間考えた案はダメでしたか。結構良い案だと思ったんだけど」


俺は腕を組ながら暫しの間瞑目する。

そもそも何で俺が考えてるのだろうか。

夏目先生が恋に悩んでいて1人愚痴をこぼしていたのを偶然聴いてしまい、「今の誰かに話したら内申点下げるからね」と笑顔で脅迫され見逃してもらうために相談に乗ったのがいけなかった。

夏目先生は美人だが童顔のせいで実年齢より若く見えてしまう節がある。だから前回の案は今とは真逆の大人な感じを出して攻めればいけると言ったがダメだったようだ。なら今回は現在の特性を活かすまでのこと。


「次は先生のありのままの姿見せましょう。ゆるふわ系ガールというか守ってあげたくなる女子の姿でいきましょうか」


「なるほどなるほど……」


「いいですか?今回は前回と違うんですから攻めすぎないようにしてください。わかりましたね」


人差し指を立て得意気に弁舌をするが恋愛経験がゼロに等しい俺が何を言っているのか。そんな姿を想像すると少しばかりの忸怩が込み上げてくる。


「新太くんの戦略はいつもいいところまでいくから嬉しいのだけれど……」


「夏目先生は変なところでドジ踏みますからね」


「知ってるよそんなの」


むぅーっと、頬を膨らませこちらを上目遣いで見てくる夏目先生。

正直なところ先生は女子中学生から女子高生に見えるからまだしも大の大人がこんなことをしたら反応に困るところだ。

再び掛け時計を確認した俺は先生に苦笑を浮かべながら告げる。


「次の授業体育なのでもういいですか?着替えたいので」


「あっ……そうだったね。行っていいよ」


自分の受け持つ授業も忘れるほど恋愛が大事なのかよ!と、心の中で軽くツッコミを入れ職員室を後にする。

1階の職員室から3階にある1年A組までは対角線上にあるため移動時間には約10分ほど有する。

次の5時間目の開始まで15分はある。移動と着替え時間を合わせると急ぎ足で行動すればギリギリ間に合うか。

何段もある階段を駆け上がると移動教室であろう生徒と何度かすれ違う。最上階まで到達すると息が上がり日々の運動不足をとても痛感する。

誰もいない3階廊下を走り目的の教室に辿り着くと横開き式の扉に手をかけ解放する。

しかし俺は何も考えずに扉を開けたことに後悔をする。

クラスメイトはもう体育館に移動していると踏んでいたがそれは検討違いだった。まだ2つの影が残っていた。逆光で最初はよく見えなかったが2人の生徒は女子生徒で、しかもよく知っている生徒――有栖と桃花であった。2人はごそごそと着替えを……。

その光景を見た瞬間に脳の電気信号がけたたましく警鐘を鳴らす。

まだ有栖と桃花は俺の存在に気がついていない。もし存在を認知された瞬間に俺の学園生活は音もなく砕け散る。

無駄な思考は命取りであり、桃花の視線がこちらに向きかけたところで能力を発動する。

10秒……。


「今のうちに逃げ……に、げ……体が動かない!」


8秒……。


「エロいことを目的に使用したんじゃなく、自己保身のために使用したのだけれど!」


5秒……。


「本当にまずい。このままでは社会的に死んでしまう」


3秒……。


「頼む!動いてください!」


1秒……。


「うん……オワタ」


扉が全開となり外廊下で頬を引きつらせながら直立不動をしている俺を確認した桃花は動きを止める。幼馴染みの突然の硬直に訝しむ有栖も次いで気づく。


「い、言い訳をさせてください!これは不可抗力というかみんなもう体育館に行っていると思ったから……」


全身全霊の弁明を実行していたが唐突に遮られる。黒い何かが飛んできたからだ。

前頭部に激痛が走ったと思ったが次の瞬間には天井を見詰めていた。

あまりの痛さに立てないでいると足部前方から殺気が近づいてくる。


「やはり男はケダモノしかいないようですね。あなたは有栖を助けてくれたので安心していたのですがダメなようです」


 男はケダモノ……?安心していた……?一体何のことを。

いやそれより希薄表情の持ち主のはずが、いやだから解る。桃花は怒髪天状態だ。

ジャージで上手に露となった下着姿を隠し佇んでいた。桃花の後方を一瞥すると有栖もこちらに近づいていた。きっと彼女も怒っているだろうと思ったが有栖は意外にも心配そうな表情を浮かべていた。

桃花は蔑んだ眼で見下げながら冷酷にも死の宣告を執行する。


「さようなら……」


絶対運動の能力持ちは右手を高々と掲げ……。

そのあとの記憶は俺にはない…。








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