第7話 秘密

 初めてのボランティア活動は、迷子に窓拭き、高校生の先輩(?)にからかわれたという微妙な思い出を残してあっさり終了した。

 もっと爺さん婆さんと話すものかと思っていたから、ただの雑用で終わったのには小さな衝撃があった。


「佐藤君、帰る前にちょっと良いかしら?」


 帰り支度を整え、廊下を歩いていた俺を、窓拭きの時に注意してきた職員が呼び止めた。


「佐藤君、少し遅れてきたけれど、何かあったの?」


 小首を傾げるのと一緒に襟足の毛束が揺れ、腕組と一緒に豊満な胸がぎゅっと寄っているのが服の上からでも分かった。左胸の「秘多(ひだ)」と書いてあるネームプレートを視界の端に入れたくらいにして、つい谷間の影をガン見していると、再度名字を呼ばれた。


「いえ!特に何もなかったです。」

「あら、そう?迷子になったって聞いたけれど……。」


「ええ、まあ。」

「貴方が迷子になっちゃったからよろしくって、あちらの職員さんに言われたのよ。ちゃんと来られて良かったわ。」


 何故だろう。目尻も口元も緩やかな弧を描いていて、園児に話しかけるような優しい声色なのに、何故、こんなに息苦しいんだろう。宿題をサボって、職員室に呼び出され、説教が始まる前に近い感覚だ。


「ほんと、あの人にはお世話になりました。俺、あっちが老人ホームかと思って、案内して貰えなかったら今もあっちでうろうろしてたかもしれないです。あっちは何だったんですかね。」


羊牧場ようぼくじょうよ。」

「……え?」

「ふふ。あそこはね、羊を飼っているのよ。」

「羊?……いや、羊なんていなかったですよ。鳴き声とかもしなかったし。小学生くらいの女の子ならいましたけど……。」

「女の子?」


 微笑みを造っていた細められた目が、獲物の姿を捉えた蛇のように光る。背中に冷や汗が湧いたのを感じて、鼓動が早くなった。


「見間違いじゃないかしら?」


少し距離を詰め、俺の顔を覗き込むように秘多さんは言った。質問というよりは、確認・念押しするような言い方だ。

 

「や、いました。その子は俺のことを案内してくれた人のことを園長って呼んでたし、たぶんあそこは学校みたいなところなんだと思います。」


 見間違いと言えば、きっとこの尋問みたいな会話だって終わってたはずなのに、何で今正直に答えてしまったんだ、俺。


「そう。見たのね。」

「……へ?」


しー、とぷるりとした口元に人差し指を立て、慎重に周囲を見回してから、秘多さんはさらに顔を近づけてきた。


「今からする話は“秘密”よ?」


口元に当てていた人差し指で、秘多さんはつん、と俺の唇に触れた。


「佐藤君の予想通り、あそこは学校みたいなところなの。ただ、過ごしてる子は色々な事情があるのよ。孤児だったり、親に虐待されたりね。もし虐待していた親が訪ねてきたりしたら大変でしょう?だから、あそこは非公式の施設なのよ。そういうことだから、あそこであったことは秘密よ?」

「は、はい。」


 顔に息がかかるくらいの近さ、つまり胸も当たりそうな近さで話され、ドキドキしながら返事をした。


「ふふ。良い子ね。じゃあ約束。もし秘密を破ろうとしたら、そうね……。針千本は可哀想だから、全裸で土下座しながら謝って貰おうかしら?」

「は。それも結構エグい気が……。」

「あら、貴方がちゃんと秘密にしていればいいのよ。゛破ろうとしたら゛じゃなくて゛本当に破ったら゛、針千本飲んで貰うわ。たくさんの子の人生がかかってるんだから。いいわね?約束よ。」

「はい。」


 そうだよな。俺が軽はずみで人に話して、DV親が無理やり連れ戻しに来たなんてことになったら大変だ。そう思って、少し気合いを入れて返事をしたら、さっきまでの緊張した空気が一気に霧散した。


「ふふ。良い子。引きとめちゃってごめんなさいね。」


 俺の頭を撫でると、上品に胸の前で小さく手を振りながら、秘多さんは見送ってくれた。いろいろ聞かれた時はビビってしまったけれど、意外と良い人だったみたいだ。でも全裸で土下座とか笑顔で言ってのけるあたり、あの人はきっと紛れもないドSだ。


「優斗、おっそーい!」


 靴を履いて外に出ると、少し不機嫌に頬を膨らましたユイさんが俺を待っていた。

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凡人の俺と小さな賢者 密家圭 @kei00001

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