嘘つき鬼ごっこ

茜木

前編

 名前をよばれたからやって来た。

 そうすれば、おねがいがかなうんだっていわれたから。

 だから、あそんでもらうためにちゃんと答えた。

 そうすれば、よろこんでくれた。

 これでぼくとあそんでくれる。

 なのに、と中でやめちゃった。

 なんで?

 なんで?

 かなしい。

 かなしい。

 かなしい。

 かなしい。

 かなしい。

 にくい。




 いつもの遊びのつもりだった。


 中学生になっても部活に強制入部なんてくそったれ。テキトーにサボれそうな部活を友達と見繕い、グループの誰かが大きな声で言ったもんだから『社会研究部』とか言うつまらない所に入る羽目になって。一度きりのつもりで部会に行けば、『社会研究』とは名ばかり、都市伝説や怪談を面白半分に駄弁るだけの本当にくだらない部活。女子の間で冗談や馬鹿にする分には面白いから、私もやっと買ってくれたスマホで調べて話題を持って行ったりもした。


 今日だってそうだ。

 将来為になるとは思えない化学だ数学だの授業から解放され、長ったらしい学活が終わり、ようやく私は部室に飛び込んだ。部室と言っても、公立中学の校舎何てたかが知れているもので、視聴覚室に隣接する物置部屋だ。

 物置に冷暖房という機器は存在しないのは当然で、放課後になっても高々と光る太陽のおかげで、室内はサウナの如く。中で私を待っていた三人の友達からは、ジュースを驕れだのアイスを買って来いだの、ブーイングを飛ばされた。遅れたのは私ではなく、長話を垂れ流した担任のせいなのだが、一言二言弁解だけで終わらせた。

 折角持ってきた『遊び』が出来なくなるから。


 そう、遊び。


 私の友達はノリが良い。中学に入ってからの仲なので、都合が悪ければサヨナラ程度の関係だが、こうやってすぐ乗ってくれるからコレを持ってきたのだ。


 あまりにもノリが良いものだから、雰囲気を出すためにコンビニでアイスを驕らされてから日の沈んだ旧校舎でやる事になった。取り壊し予定のボロ木造校舎は、あちこちが腐るわ穴が開いてるわ最悪であったが、高揚感が足を進ませた。

 撤去作業は夏休みからと言う話を聞いた気もする。おかげで少し埃にまみれていても机と椅子が真面目に並べられており、四人で準備するとあっと言う間に舞台は揃った。


 小さめの机を向かい合わせで二つ、くっ付けて並ばせた。

 A4サイズのコピー用紙を広げて中央に置いた。

 財布から濁った茶のメダルを取り出して、紙の上に置いた。校則なんて律義に守る義理も無い。

 光度を僅かに落としたスマホの画面で手順を確認して、ポケットに押し込んだ。

 高揚感と不安、そして僅かなスリルを待ち望む三人の顔を一瞥した。

 右の指を十円玉に乗せた。三人がそれに続いた。

 そして私は、魔法の呪文を唱えた。


 ――こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。


 と。

 『質問をしたら応えてくれるこっくりさん』とか言う都市伝説。文字を書いた用紙の上を十円玉が文字をなぞって答えてくれるらしい。別に、嘘っぱちみたいな話信じていた訳では無い。明日の話のタネになればいい。そんな程度の気持ちだった。何を質問したかなんて覚えていない。大体誰が寝坊しただの、夕食のことだの、どれもくだらなかった。最初の方は誰が動かしているのだろうと談笑さえしていた。


 誰のだったか、スマホが鳴った。電話だったらしく、静かな教室に煩く響いた。旧校舎と言えど先生に見つかるとまずい。渋々出たところ、どうやら早く帰ってこいと言う、母親からのやかましい内容だったらしい。

 いい加減飽きてきたので、そこでやめた。


 結局は、遊びだったから。


 しかし、帰り支度をし終えたのに、振り返るとぽつりと孤立した机の周りに、立ち尽くす人。人人人。先程まで友達が立っていた場所にきれいに立っている。それらは腕と、脚と、胴があった。薄手のせいでむき出しになった手足の色合いが、まるで今さっきまで動いていたと言わんばかりだが、首から上がない良くできたマネキン。規制が掛かりそうなほど生々しい赤色飛沫が、首元から吹き出しているのが悪趣味だ。

 あれ、さっきまでこんなものあったっけ。ぬるりとした生暖かい感触に視線を下すと、腐りかけた床に、見事なまでの赤いカーペットが敷かれていた。季節柄だとしても誤魔化しきれない鉄の匂いが、噎せ返る。


「何。コレ」


 喉の奥に何かが持ち上がる。気持ち悪さに鼻と口を塞ぐと、反って鉄の匂いが強くなった。

 三人は何処に行ってしまったのだろうか。まさかここまで来て、置いて帰ってでもしたのか。こんなマネキンまで置いて。


「ねぇ。ちょっと。これ。あんたたちの仕業でしょ。ふざけないでよ。早く、帰ろうよ」


 答えるものはいない。代わりに机を囲う三体の腕が、一か所に集められた指が、茶焦げたコインが、ゆっくりと紙の上を滑る。まるで生きているみたいに、紙面の三つの文字を赤くなぞった。



『あ』。


『そ』。


『べ』。



 無いはずの頭を向ける様に、三つの体がこっちを向いた。在りもしない口で、甲高い笑い声がこだまする。かと思えば、糸が切れた人形の様に血だまりに放り投げられた。見慣れた制服に、赤い血が舞った。乱雑に詰まれた机と椅子が小刻みに揺れ、真っ赤な月を写す硝子に罅が広がる。天井、壁、黒板、その全てにべたべたと真っ赤な手形が叩き付けられ、それらすべてが向かってくる。


 煩い騒音の中で、子供の声が、友達三人の声が、誰かの声が、遊べ遊べと幽くさざめく。

 これは、遊びだったじゃないか。

 言い聞かせながら、後ずさる。不気味な鈍い何かが踵に当たった。

 藁にでも縋る思いで見下ろすと、友達がいた。


 友達の顔が、笑っていた。


 ――次コソ、オ前ノ番ダ。


「いやだ……やだ。やだ、やだやだやだやだやだやだぁああッ」


 耳を覆って、目を隠して、私は飛び出した。穴の開いた廊下を躓きながら、転びながら逃げた。何処をどう走ったかなんて分からない。開いていそうな扉を片っ端から叩き、引き、幾つめとも知らない部屋に飛び込んだ。鍵が付いていなかったが、『アレ』が開けられないように扉を押し付けた。そのまま、いつまでもこびり付いて止まない悲鳴を塞ぐ為に、蹲り目を瞑った。何度も扉が叩かれる。音がする度に心臓が止まる。古びた木製の扉なんて、簡単に破いてしまいそうな強さで。

 耳元に張り付く音が叩いた。声も出ないまま体を強張らせる。中に入って来たのだ。

 肩を震わせ、強く瞑り耳を押さえ、襲い掛かるであろう音をシャットアウトしようとした。

 けれど、音はなくなっていた。

 私の不規則な息遣いは煩いほど聞こえる。震えるたびに軋む木材の音も驚くほど大きい。それなのに、張り付く様なさざめき声だけが消えていた。扉を内側から一度叩き付けただけで、それ以上の騒音は、ない。

 代わりに、一つばかりの足音が響いた。


「誰の了承を得て、私の『担当』に入ってきたのかしら」


 驚きはしたが、それは確かにヒトの声だった。妙に大人ぶった幼い女の子の。

 恐る恐る顔を上ると、女の子が立っていた。白いワイシャツと赤い吊りスカート、一直線に切端揃えられた黒のショートヘア。どこかの噂を彷彿させるが、血を噴き出している訳でも頭が吹き飛んでもいない。人の形をしていた。

 やっとまともな人間と出会えた。逃げきれた。


「助、かったぁ……っ」


 押し寄せた安心感に、手の平をついて肩を落とす。緊張していた涙腺が一気に緩み、蛇口をいっぱいに開けたように大粒が垂れる。唇は震え、脚も立ち上がれない程身震いしていてみっともないが、殺されずに済んだのだから醜態など安いものだ。

 あんな風に、首を拭き飛ばされるよりは。


「うっ……っゔぇえっ」


 赤い光景がフラッシュバックし、今更になって胃から異物が込み上げる。我慢などできる訳もなく、そこらの床に黄色い物をまき散らした。自分の膝の上と、女の子の足元を避けただけでも讃えられたいくらいだ。


「ええまぁ……此処は排泄場所に間違いはないから、構わないけれど」


 厭わしそうに言われながら、未消化物と胃液を出し切った。酸っぱい臭いで気分は最悪だが、もう出すモノがない。唾液がだらしなく垂れるだけ。そんな自身の姿を想像してさらに不快になったので、強引に口元を拭った。

 よく見ると、黒い制服に黒い染みが浮き出ている。慌てて壁にこすりつけるが、赤黒い線が引かれるだけで一向に落ちてくれない。これは何と自問する前に、血だと理解していた。

 首が吹き飛んでいた。三人とも、無くなっていた。血が噴き出していた。逃げきれなかったら、私も死んでいた。

 これは、遊びの筈だったのに。


「なん、で……どうして……っ!」


「本当。ニンゲンってどうしてここまで愚かなのかしら」


 また涙が溢れるのを、深い溜息が遮った。


「今に始まったことでも、貴方だけの話でもないかしら。まぁ、私にはどうでも良いわね。泣き止んだのなら、早く出て行ってくれないかしら?」


 驚く間もなく扉が勢いよく開く。凭れ掛かっていた私は転がる様に背を打ち付けた。けれど、文句も痛みに悶える暇もなかった。

 見上げた天井に、『アレ』が赤い目を更に血走らせ張り付いていた。

 黒い靄を引きつれ、見え隠れする四肢からぶつぶつとした肉塊を、血を滴らせて振り回す。ばっくりと開いた口腔から、むき出しになった牙が飛び掛かって来た。

 私は悲鳴を上げながら起き上がり、急いで扉を閉めようとする。けれど、あっちの方が早かった。嫌な音がして、扉を金具ごと引きちぎった。

 廊下に放置されたロッカーとぶち当たり、騒音が響く。急いで奥の個室を見やるが、どれもこれも壊れかけのボロトイレだ。

 今度は外側の窓に一杯の手形が塗りたくられる。悲鳴を上げる硝子に亀裂が入る。今度こそ逃げ場はない。埃塗れの壁にへばりつく。

 にも関わらず、幼い少女は堂々と扉の前で佇んでいた。

 あんな至近距離では、瞬きをしている内に引き千切られてしまうだろう。

 私に呼びかける余裕なんてない。むしろ彼女が襲われている内にここを出れば、逃げ切れるかもしれない。そこまで考えて、女の子がじとりとこっちを見ていることに気付いた。


「本当、愚かしいわね」


 冷ややかな視線に背筋が凍る。

 少女は鬱陶しい蚊でも相手にする様に腕を組み、飛び掛からんばかりの化物を睨みつけた。


「聞こえなかったかしら。此処は、私の『担当』よ。低級霊ごときが汚して良い場所じゃないの。分かったのなら、さっさと儀式場に戻ってくれないかしら?」


 そんなもので恐ろしい化物が引き下がる訳が無い。けれど、少女に襲い抱えるわけでもない。充血した鋭い目だけが私に向けられる。

 その視線を辿って少女までもが私を見ると、納得したように首を傾げた。


「ああ、そう。あの子。なら話が早いじゃない」


 そういうと、吐瀉物を軽やかな足取りで飛び越え、まるでノートを集めに来ました、と言う風に近づいてくる。その間も『アレ』は動かない。動こうとしない。


 それは何故?

 散々追いかけ回したくせに、どうして女の子には飛び掛からない? あんなものを目の当たりにして、怪奇現象を見せつけられ、少女はどうして平然な顔をしている? どうして私に近づいてくる? そもそも、何で中学校の旧校舎に小学生がいるの?

 どうして、彼女は私の腕を引っ張り上げ、押し出しているのか?


「あ、あんたのせいか!!」


 扉の前まで押し付けられ、涎を垂らす黒い化物を前にして、私はやっと理解した。

 私のせいじゃない。こんな良く分からない奴が、私たちを殺そうとしたんだ!!


「あら。凄い被害妄想」


「何で?! 私達何もしてないじゃん?! この人殺しッ、人殺しぃッ!!」


 年下の女子の力なんてたかが知れている。このまま振りほどいて、首でも絞めてやればすぐに音を上げさせて、この恐ろしい化物を追っ払ってもらえばいい。大丈夫、これは正当防衛だ。こっちは殺されかけているんだから。

 そのつもりで力一杯に振り回しているのに、全く腕が外れない。逆に女の子に引きずられ、壁に打ち付けられた。

 息が詰まる。激しく咳き込んでいると、女の子がしゃがんで覗き込んでくる。


「凄い性根。どうしてこんな拗れた契りをしたのか、納得がいったわ。でもそうね。そっくりそのまま言葉を返したいところだけれど、意味を理解しない子供に何を言ったって無駄ね。なら、私とも一つ契りをしましょうか」


 黒いおかっぱに彼岸花のカチューシャを付けた少女が、真っ赤な瞳を瞬かせる。


「私は三十八番目『トイレの花子さん』。私の『役目』は返事をすること。さて、醜く哀れなニンゲン、貴方の願い事を叶えましょう」





 にくくなった。

 あそんでくれない。

 ちゃんと答えてあげたのに、あそんでくれない。

 なかま外れにされた。

 あそべないのはいやだ。

 あそべないとかえれない。

 ないてないてないてないて。

 そこでやっと思い出した。

 ぼくはわすれっぽくて、いやになってしまう。

 けど、思い出した。

 やくそくをやぶられたら、かわりをもらうんだ。

 一ばん大切そうなものを、食べちゃえばいいんだって。




 返事はできなかった。


 少女は意外そうに首を傾げ、「あら、今の世代はご存じないかしら? トイレに居座る地縛霊よ。まぁ、願いを叶えるのはレアケースかしらね」とかなんとか宣っている。

 トイレの花子さん。おかっぱ、白と赤の服がアイデンティティ、トイレの個室三番目にいると言われている霊だという話。オカルトの定石の一つ、部活で真っ先に取り上げた話題だった。

 実際に三番目の扉を叩いてみた事もあったが、返事など無く嘘っぱちだった。


「トイレの花子さんて、あ、頭おかしいんじゃないの?!」


「ああそう。用が無いなら、出てって頂戴」


 胸倉を思い切り掴まれ、容姿からは考えられない力で引きずられる。扉が外れた外側には、笑っているのか、弓成る目と口が広がっている。


「いやっ、離してぇッ!! 人殺しッ!!」


「何を言っているのかしら。本当に人殺しなら、離す訳が無いじゃない。貴方が私に人殺しになれと望むなら、今直ぐにでも成ってあげるけれど。ほら」


 淡々とした口調で放り投げようと引っ張られる。外では爛々と化物が口を開けて待っている。

 ちらりと見えた奥歯に、上履きが挟まっていた。良く知った名前が書かれていた。


「い、いや、あるっ、お願いあるっ お願いします私を助けて下さいッ!!」


 叫んだ瞬間、思い切り体を打ち付けられた。


何時いつの時代も、かくもニンゲンは愚かね」


 はっとして焦って起き上がるが、目の前に化物の姿はない。薄汚れたトイレの壁。背後で不満げな囁き声を呻いている。投げ出されなかったことに一つ安堵する。本当に約束を守ってくれる、つもりなのだろうか。


「ほ、本当に、助けてくれる……のよね?」


 打ち付けた腕をさすりながら見上げる。少女は眉一つ動かさずに頷いた。


「ええ。私は貴方の願いを叶えましょう。そう言う役目なのだから。と言えど、私の管理は『女子トイレ』だけだから、貴方の努力次第かしら。それなりの手助けはするわ。契りなのだから」


 口先では協力的な言葉を並べる無感情な女。起伏すらなく、奇妙な怖気を感じる。自分で自分を怪談と名乗る、中二病を発症させた痛い不審人物にしか思えない。あの小柄な体で私を振り回すなんて人間じゃあ考えられないけど、助けてくれるなら何だって良い。


「じゃあ、あの追いかけてくる奴をどこかに追いやってよ」


 少女の後ろに身を隠しつつ、入口に張り付いている黒いモノを指差す。どうせ手綱を握っているのだろうから、さっさと退けて貰えればそれでいい。

 なのに、少女は私を振り返って、


「まさか、自分でやったことの愚かさに気付いていないのかしら?」


 無表情のくせに心底呆れたとばかりの息をついた。一応初対面なのに、どうしてここまで侮蔑されなければいけないのか。


「提案に応えるとするならば、貴方が望むような結果を私は与えられないわ。何故、と言う疑問を想定して答えるならば、私は『トイレの花子さん』の怪談がベースになっているの。冠詞に『トイレ』とついているのに、トイレ以外で出来る事なんて無いわ」


「な、何でよ?! アレ、あいつはあんたが仕掛けてきたものでしょう?!」


「何をはき違えているのかしら」


 視界一杯に、黒い糸が舞った。ともすれば、世界が上下反転し、喉元に小さな指が絡められる。まだ綿飴の様な柔らかさの指先が、容赦なく喉首に食い込む。苦しいともがいた所で、ピクリとも動かない。


「なんて御目出度いおつむなのかしら。貴方だけ? 否ニンンゲン全てにこの愚かしさがあるのかしら。まぁでも気にすることではないわ。蟻がニンゲンを理解できないのと同じに、ニンゲンもまた奇怪妖を理解することはできない。まぁ、根源が同じである以上、言葉で知ることはできるでしょう」


 驚きではなく大きく見開かれた血のまなこが、ぎょろりと見下おろす。可愛らしいはずの瑞々しくてかる眼球が、今にも落ちてきそうだ。


「では、無知で愚かな貴方に教えてあげましょうか。それが助けの一手ならば、私は契りに従いましょうか。信じる信じないは放って置くわ。その会話は不毛ね。私は怪談『トイレの花子さん』の三十八番目。『花子』は一寸ちょっと多いからみな三八ミヤと呼ぶけれど、好きな方で呼べば良いわ。呼称なんてどうでも良いもの。言っておくけれど私に偽りはないわ。ニンゲンじゃないのだから偽りは必要ないもの」


 不気味な少女は、嘲笑うかの如く舌を滑らせる。


「此の世にはね、霊も都市伝説も怪談、妖、魑魅魍魎、ニンゲンが謳うのなら何だって存在するの。火のない所に煙は立たぬと言うでしょう? 『アレ』は怪談ではなく、してや私の従属ではなく、貴方が喚んだもの。どうせ遊び半分で術を使ったのでしょう? 私なんかより、貴方の方が知っているのではなくて?」


 ――貴方は何を喚んだのかしら。


 ――貴方が喚んだのは、何かしら?


 鼻先数センチ。息がかかりそうなほど迫った少女から、呼吸は感じられない。どころか、触れられる首元は氷を被せられたかのように凍えている。


 生き物ですらない、本物の、化物。


 つまり、私たちは自分たちで化物こっくりさんを呼んで、自分たちで殺されたってこと?

 少女は簡単に首肯した。


「手順を踏んでれば『遊び』で済ませられたのにね。低級霊と言えど、礼儀を払わなかった罰ね。報いを受けるのは当然よ。せめて還してあげれば命までは取られなかったのではないかしら? まぁ私が知るところではないけれど」


 なんてことない風に言い放ち、手が離れた。何事もなかった様に軽くスカートの土埃を落としている。人の首を絞めておきながら、飄々と。


 噎せる喉を押さえると、冷え切っていた。

 苛立ちも寒気に変わる。どの道このままじゃ、ここから出る事すら出来ない。スマホは置いて来てしまったらしいし、助けると言う言葉を信じる他ないんだ。


「じ、じゃあ、私を助けてくれのよね? こっくりさんを還してくれるんでしょっ?」


「言い方が悪かったかしら。私は言ったわ、私と低級霊は別物だと。そして言ったわ、私は貴方が助かる手助けしかできないと。契りは守るけれど、貴方次第だとも。回答は否定よ。怪談が降霊術に介入する手立てはないわ」


 それじゃあ一体どうやって助けてくれると言うのか。


「貴方、本当に愚かで無知、怠惰。まぁそれがニンゲンね。簡単よ。手順を守ったニンゲンは、降霊術を成功させていても『遊び』としか真に受けない。手順を守ればいいのよ」


 さっきから人を小馬鹿にして、それで言っていることは矛盾ばかり。確かに最後の手順は全てやらなかったし、どうすればいいのかもさっぱり。だからって、本当に遊ぶためにやろうとしただけで、まともに調べていないのだから知らないのは仕方がないじゃないか。どうして私がそこまで責められなくてはいけないの。


「なら、どうしろって言うの! 手順を破ってどうにかできた人なんて、誰もいなかった!!」


「つまらないからじゃないかしら。ニンゲンって、他人の不幸こそ蜜の味だから。まぁ、殺される前に実行しなければならないのだから、ニンゲンだけで解決するのは難しいわね」


 ――だって、皆ばっくり死んでしまったでしょう?


 そう言う少女の口端が、微かに吊り上がった。まるで喜んでいるみたいに。

 赤い教室が脳裏に蘇る。そこで、電話を取るために指を離した子が、不気味に笑っているのを見た。引き攣った笑みで、涙を溜ながら、吹き飛んで逝った。


「ああ。先程は言わなかったけれど、吐くなら個室でお願いするわ。流石に臭いは嫌だから」


 再び胃が締め付けられる私に、少女は平然と言う。文句の一つでも言ってやろうと思ったが、出てくるのは嗚咽ばかりで気力すら失せた。


「じゃあ、その手順て、何よ。何をしたら助かるの」


「そうねぇ。この場合、低級霊の要求を叶えるってことかしら。何か言われたでしょう?」


「何かって……」


 最初は普通に遊んでいた。いつの間にか三人の頭が無くなっていて、それからは逃げるのに必死だった。真っ赤な手形と訳の分からない黒いモノから逃げるだけで手いっぱい。覚えている暇もない。覚えていたくもない。それでも脳に刻み込まれているのは、五十音を書いた用紙に、あかで撫でられた――――『あ』『そ』『べ』。


 遊べ。


「――あ、あんな化物と遊べって言うの?!」


「霊の願いがそうなら、そうじゃないかしら。良かったわね、幼い霊に当たって。前には心臓をよこせって言うのもあったらしいから」


「じょ、冗談じゃない!! 一歩出れば食い掛かってきそうな相手と何で遊ばなきゃいけないの?! 無理、絶対無理ッ!!」


 逃げるだけで死にかけるのに、遊ぶなんて概念が生まれる事すらない。他に案が無いかと断固拒否するも「そう? 別に貴方が死にたいならご勝手に」と出入り口に引きずられるだけ。


 どうして私がこんな目に。


「未熟とは、時に己の愚かしさも気付かないのかしら」


 しかも、謂れのない罵りまで。


「あらそう。そうね、成長は諦めましょう。そもそも、己から歩を進められる者なら、此処まで堕ちる筈が無いものね。ええ、元よりそのつもり。私は言ったわ、助ける手伝いをすると。意味分かるかしら? あなたが遊んでいる間は、死なないように守ってあげるわ」


 えっ と声が出てしまったのは、仕方のない事だ。


「守るって、こっくりさんから?」


 目の前にいるのは、華奢で古臭いおかっぱでも美麗と言える可愛らしい顔立ちをした、文字通り花の様な少女。散々投げ飛ばしたり首を絞められたりしたが、流石にあんな化物に正面から立ち向かう想像がつかない。逆に信じて、いざと言うときに守ってくれなかったらすぐに死んでしまうじゃないか。


「あら、此れでも怪談。ポルターガイストくらい戯れよ。そうやって侮っているから足元を掬われるのよ」


 試しに天井へめり込ませてあげようかしら? という本当なのか冗談なのか分からない提案は全力で遠慮した。


「……本当に守ってくれるのよね?」


「ええ。契りを果たすなら」


 入口では、真っ黒と真っ赤な目が覗き込んでいる。振り返らなくても、じっとこっちを見ているのが分かる。窓の外は紅に染まり、逃げ場なんてない。

 唾を飲み下し、私は頷いた。せめてここを出て、教室にさえ戻れればスマホがある。助けが呼べるかもしれない。


「それで、何で、遊ぶの」


 こっくりさんはすばしっこく、逃げれただけでも奇跡だ。四足歩行に人間の遊びが出来るなんて思えないし、球技は私がボールの代わりに成り兼ねない。と言うか、外遊びなんて子供のころから滅多にしていなかったし、それほど数を知らない。

 ところが、悩みかけている私に少女、花子は当然の様に言った。


「鬼ごっこよ」


 私は思いっきり眉を顰めた。口も横に引いていたかもしれない。

 とにかく、心底から信じられなかった。


「あんなのからどうやって逃げ切れって言うのよ!! 本当に助けてくれる気あんの?!」


「私に文句を付けられても困るわ。決めたのは貴方でしょう。遊べと言われて逃げ出したのだから、鬼ごっこ」


 本当に意味が分からない。首を切り落とした相手に、逃げるのは当然じゃないか。何で私のせいになるのか――叫びたい、逃げ出したい、投げだしたい。けれど、逃げてもあんな近くで見張られていては、一瞬で殺される。本当に、どうして私ばっかりが。


「分かったわよ、逃げればいいんでしょ!? どれくらい逃げればいいのよ!」


「本当は霊が飽きるまでだけれど――」


「人を馬鹿にしてるの?!」


 運動部活でもなければ、真面目に体育に出た事なんてない私が、走り続けるなんて無理だ。私の細い足を見れば判る事だ。

 花子は私を一瞥した後、真っ赤な窓を見上げた。月でも出てきたのか、ぼんやりと光が差し込んできているが、なんせ赤いステンドグラスに変えられてしまっていて気持ちが悪い。今が何時かさえ分からない。


「――そうね、あと二十分。黄昏こうこんまで逃げ切れば赦されるんじゃないかしら」


「こ、こうこん?」


「戌の刻、十九時の事よ」


 呆れた物言いだが、普通の中学生が知っている訳が無い。私が何も知らない馬鹿みたいに言われるのは心底腹が立つ。のだが、文句を言うより先に、花子が私のセーラーカラーをひっ掴んだ。

 首が絞められそうになるのを阻止しつつ、遠心力で思い切り投げ飛ばされる。その先には大きく開く真っ黒な口。垂れ流れる涎らしきものに悪寒が走る。悲鳴も上げられない。


 信じるんじゃなかった。ギッと花子を睨むと、不可思議な物を見た。

 少女の足元一杯に、彼岸花が揺れる。


「咲けよ。曼珠沙華」


 花子の細い腕が持ち上がり、こちらに向けられた。同時に揺れ動く赤い花が光り、後ろから呻く悲鳴が上がった。


 振り返る間もなく、扉の枠組みに足を取られて転倒。先程追い詰められたことを思い出し急いで立ち上がったのだが、目の前に化物はいなかった。代わりに、廊下で顎を巨大な蔦の様なもので押さえつけられ、外そうともがく姿があった。

 蔦は仄かに光っており、簡単にほずれないように意志をもって動いている。

 気味が悪い。壁に後ずさっていると、涼しい足音を一つ立て、花子が顔だけを覗かせる。


「そう言えば、私の『担当』を汚してくれた御礼をしていなかったわね。みすぼらしい低級霊の具現に映えるでしょう? 差し上げるわ」


 それと、其処の扉の分はおまけしてあげる。花子はそう言って吹き飛ばされた扉の残骸を指差すと、満足げにスカートの裾を持ち上げ、一礼。呆然と立ち尽くす私を視界に止めると、小首を傾げる。


「どうして突っ立っているのかしら。私は手伝う程度よ。黄昏までに霊を満足させられなければ、私には助けようが無いわ」


「何その気持ち悪い蔦?!」


「私のポルターガイスト、と言ったところかしら。まぁそんなことを聞いてる内に、そこの霊が動き出しても知らないけれど」


 ギョッとしてこっくりさんを見やるも、今だに暴れているだけで必死の様だ。変わった蔦にしか見えないのに、相当強いらしい。


「って、あれで縛れば別に私が逃げる必要ないじゃん?!」


「何度言葉にすれば良いのかしら。私は言ったわ、私の『担当』はトイレだけだと。私の曼珠沙華の出現可能範囲はトイレの中だけよ。『茎』はそれなりに伸ばせても、せいぜいトイレ正面廊下くらいかしら」


 それに。


 言葉を結ぶ少女は、足元一面に広がる、不自然なまでにあでやかに輝く彼岸花を一輪啄み、茎をぽきりと折った。


「贖罪の為の『遊び』なのに、どうして愚かしくも遊んであげないのかしら?」


 茎から落とされた細い花弁の塊が、重々しく落ちる。同時に何かが拉げた、いや、砕けたような、曖昧で不気味な音が廊下に響く。見覚えのあるエメラルドグリーンの欠片が私の足元にまで飛ぶ。


「ニンゲンの童遊びではこう言うのでしょう? ――『おにさんこちら、てのなるほうへ』」


 場にそぐわない、楽しげなリズムと愉快な拍手は、私の耳に入りはしなかった。


 咆哮が廊下中に響き渡り、目の前の壁一面に赤い手形が広がる。小さな悲鳴を上げながらその場を逃げると同時に、そこへ真っ黒な化け物が突っ込んできた。

 壁が破壊されることはなかったが、衝撃によって教室の窓という窓、軒並みの扉を激しく揺さぶる程。ガラスが填まっていたなら、粉々に砕け散る様子が頭によぎる。

 こんなものから、あと二十分も逃げきれだなんて。


「な、何で逃がしてんの?!」


「何を言っているのかしら。最初鬼は十秒数えるものでしょう? もしかして、鬼ごっこやったことがないのかしら?」


 当然とばかりの涼しい顔が腹立たしい。けれど、文句一つ言う時間すら、こっくりさんは与えてくれない。

 化物は壁から離れると、紅く淀んだ目を細ばませ弓成らせる。嗤っているようにも見える。


 私は身震いした。

 ふざけるな。


 何で私がこんな目に合わなくちゃいけないんだ。何も悪いことをしてないし、少し間違えたくらいで命を取られるなんて冗談じゃない。融通が聞かない石頭、時代遅れ。

 そんなものに、殺されてたまるか。

 私は穴だらけの廊下を駆け出した。教室の扉はどれも鍵が締められていて、一本道。逃げられるなんて思えない上に、花子という馬鹿が私を本気で守ってくれるなんて信じられない。けれど、ならば逃げるしかない。何としてでも逃げ切って、助かってやる。

 私はそのまま階段を駆け下りた。

 私が通った場所を大量の手形が覆い尽くしていく。

 建物の悲鳴が煩い。

 それら全て、追いかけてくる音を追い払う様に、がむしゃらに叫んだ。

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