最終話 二人の「リーフェ」
次の日、y15番は無事に釈放された。この刑務所暮らしで蓄えたわずかな貯金、衣服を鞄に詰め、姫の形見の野の花を大事に胸に飾って、彼は監獄を出た。サライは、仕事で見送ることができなかったようだが、朝の点呼の際に簡単に言祝ぎをしてくれた。そしてy15番は、無理を承知で姫の遺骸を乞うた。異郷の地で葬られるより、彼女の故郷に埋葬してあげたいと思ったのである。サライは、やはりこの点でも便宜を図ってくれた。既に遺骸は火葬されていたものの、遺骨をきれいな白木の箱に入れて、渡してくれた。そして、「斬声の血族」の生き残りが住む森のありかを教えてくれた。
y15番は、馬を借りて走らせた。久しぶりの娑婆の空気は、きんと冷たく、それが彼の悲しみを倍増させた。そして、郊外に出てしばらくすると、「斬声の血族」が住む森が見えてきた。ここには、もう姫の兄しか住んでいないという。
y15番は下馬して、森の入り口で声を張り上げた。
「『斬声の血族』の末裔の方よ! 私の名はリーフェ・エルンスト、元死刑囚だ。姫の遺骸を弔いにきた。案内を乞う!」
少し間を置いて、木のうろのすみかから、25歳くらいの青年が出てきた。顔は若いが、髪は老人のように白く、y15番の――リーフェ・エルンストの方が若く見えるくらいだ。青年は、涙を流していた。
「妹は……ラウラは、亡くなったのですか」
「そうです。遺声――「リーフェ」という言葉を発して、自害しました」
「リーフェ……それが、遺声だったのですね」
青年は、ため息をつき、リーフェを住処に招き入れた。そこは、貧しくはあるが、こぎれいに整えられ、隠者が結んだ庵のようだった。
「あなたのお名前も、『リーフェ』なのですね」
「というと、あなたも……」
「そうです。僕の名も『リーフェ』、『森のリーフェ』と呼ばれていました。一族が存命だったころは。今は、ただの『リーフェ』です」
青年は寂しげに笑った。
「『斬声の血族』は女系で、女しか能力を持ちません。男たちは女に一生仕えて過ごします。そして、13歳の『成人の儀』の時に、能力を悪用されないための自害用の言葉、『遺声』を決め、それは一生彼女たちが守って暮らす秘密です。もちろん、僕も知りませんでした。それで、妹が捕らわれた後、あの監獄であなたと接触しました。囚人になりすまして。こんな時が来るだろうと、予感していたのです……」
青年は、目をそらしたが、元死刑囚のリーフェには、それが涙を隠すためだとわかった。
「特別な絆があったのですね」
「……妹は、僕を愛していました。僕も、ラウラを、心から愛していました。何しろ、ほとんど人の交流がない森ですから、絆はとても強いのです。しかし、僕の名を遺声にしていたとは……」
「何か、意味があるのかもしれません」
「意味は」
青年は、うつろに笑った。空気が、かすかに揺れた。
「古代語で『生きて』、近世語で『あなたは希望』です。あなたも、もしかしたら、ラウラに愛されていたかもしれません。あなたは、元死刑囚だとおっしゃいました。生きてください。それが、妹の望みです」
リーフェ・エルンストはうつむいて、大切に胸に抱いてきた白木の箱を、青年に手渡した。青年は、丁寧に受け取ると、森の奥の墓地へ彼を案内し、自ら墓を掘った。そして、箱を穴にそっと安置した。姫は、一族と共に眠り、愛する兄のそばにいられるのだ。リーフェは、静かに一礼して、黙祷を捧げてぬかずいた。そして、あの櫛を供えた。青年も、それに続いた。彼らは、いつまでもうなだれていた。
その後リーフェは、弟の元に帰った。そして、そこを拠点としながら、放浪の吟遊詩人となった。姫の野の花を押し花にして、竪琴に飾った彼の姿を見ると、こぞってだれもが喜んで詩を聴いた。彼は、「斬声の姫御前」という自作の叙事詩を歌った。姫は伝説となった。いつまでも、人々の記憶に生き続ける、可憐な夕空に映える花となったのだった。
********
【あとがき】
「斬声」の能力をもつ姫の犠牲により生き延びたリーフェ・エルンスト。彼の詩により、久遠の生を得た姫、ラウラと兄「森のリーフェ」。そして、死刑囚に対して父のような慈愛をこめた目で見守っていた看守、サライ。彼らの優しさ、思いやりが紡いだ、幻想のお話でした。
魔王も勇者も出てこないし、なにが正義かを明示することもないお話。けれど、ふつうの生活はこうしたやさしさのかけらが重なってしあわせな時となる。このお話で、あなたのこころにラウラとリーフェの絆がからまって、あたたかさを添えてくれますように。
猫野 拝
斬声の姫御前 猫野みずき @nekono-mizuki
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