ハニー・スイート・キャンディ・4

 巫女姫の失敗談を聞いているうちに、当時のことが走馬灯のように走り抜けた。

 つい思い出し笑いをしてしまっただけなのに、エリザはとても気にしたようだ。笑われたのだと気にして、何度も不安げに質問してくる。

 だから正直に至らなかった自分を思い出したと説明したのだけど、彼女は不思議そうに首をふる。

 蜂蜜飴のように丸い目をさらに丸くして、エリザは言葉をもらした。

「サリサ・メル様にそのような時代があるなんて、信じられません……」

「では今度、お会いする時に、証拠の品を持ってきますよ」

 サリサは巫女姫にそう約束した。

 つい、気がほどけてしまい、とんでもない約束をしてしまったのかもしれない。



 その日はなかなか訪れず、気が変わり、何度か躊躇もしたのだが、いよいよ明日という日になって、サリサは心を決めた。

 ベッドの上で寝返りを打つと、引出しを開ける。

 中から小さな宝石箱を出す。しかし、中味は宝石に似て非なるものが入っている。

 大事にしてきた宝物――自分が小さな存在であった証拠の品である。

 台座の代わりに粉砂糖が詰まっていて、宝玉の代わりに琥珀色をした蜂蜜飴がひとつある。

 初めはたくさんあったのだが、辛いことがあるたびに食べてしまい、今は最後の一個になっていた。

 時は流れた。

 辛いことが、全く無くなったわけではない。

 今まで何度となく食べてしまいたい衝動にかられたが、最後のひとつと思うと、もったいなくてやめてきた。

 飴には、表面こそ粉砂糖でヴェールをかけたような曇りがあるが、にごりはない。

 透明な飴色の向こうに、巫女選びの日に目立たぬように小さくなっていたエリザの姿が浮かんでは消える。

 正直いうと、サリサは飴をくれた少女の顔までは覚えていなかった。名簿に【エリザ】という名前を見ても、思い出しもしなかった。


 セラファン・エーデムに置き去りにされたあの道は、まるで水のない砂漠のようで、サリサは乾ききっていた。厳しい現実と自分の運命を思い知らされる旅路で、運命を呪うばかりの道だった。

 たかが小さな飴だろう。だが、あの飴の甘味と少女の優しさが、サリサの乾いていた心に癒しを与え、霊山への道を歩ませたことに違いはなかった。

 辛い時に優しくしてくれる人がいた……サリサの思い出はそれだけだった。思い出の結晶が少女という姿をとっていただけで、少女という個人を愛したわけではない。運命を呪うだけの身に人を思いやるゆとりもなく、恋などということは当時は頭にも上らなかった。

 思い出だけが成長していった。

 その姿は小さな少女から慈愛に満ちた母の顔に置き換わり、さらに大きく、広く、優雅に変貌していった。

 紙袋の中の飴をひとつ食べるごとに、美化された寛大で優しい人はサリサの中でよみがえり、ムテの守護としての運命を受け入れた時の気持ちに戻してくれたのだ。

 だから、どうにか乗り切ってきた。

 

 ところが……思い出は破綻した。

 エリザと再会した瞬間に、サリサはすぐに彼女だと気がついた。

 サリサの胸の中の慈愛の少女はあっという間に消えてなくなり、ただそこに現実があった。

 胸が途方もなく痛んだ。

 大人と思っていた少女は、小さくてはかない存在で痛々しく見え、どうしてその弱々しさで、サリサを励まそうとしてくれたのかわからない。

 自分よりも大きかった人は、今ははるかに背が低い。まだ成長期にある少女。あの日守りたいと思ったムテそのものだった。

 傷ついた。

 少女は当時の等身大を取り戻し、サリサも等身大の自分に戻った。そしてつい、うっかり手をとってしまったのが、すべてのはじまりとなった。


 偶然の再会。

 おそらく、彼女を選ばなければもう二度と会うことはない。


 運命というものは、そんなものなのだろう。

 嘆けば不幸になり、受け入れるとそれなりに幸せを運んでくる。

 これから一生、ムテの霊山から離れることのできない身。朝から夕まで祈りつづける毎日。ムテを守っているという使命をはたす喜び以外、何も見出すことができない。

 その中で、ほんの小さなわがままくらい許されてもいいはず。

心の命ずるがままに、好きな人を選んでも――おそらく運命が偶然を装ってそれを許してくれたのだから。

 自分の選択と少女の一瞬驚いた顔に、サリサは一瞬戸惑ったが、すぐに神々しく微笑んだ。

「この人にしましょう」

 サリサは、最高神官としてそう宣言した。



 ベッド横の蝋燭に照らし出されて、蜂蜜飴の中に自分の顔が倒立して写った。

 この飴をエリザに見せたら、彼女は泣いていた少年を思い出すだろうか?  あの日を思い出すだろうか? 思い出したら、がっかりするだろうか?

 尊敬する最高神官が、あのようなハナタレの泣き虫小僧だと知ってしまったら、幻滅されてしまうかも知れない。

 正直なところ、それがとても怖いのだ。

 でも――

 もしもすべてを思い出して、それでも微笑んでくれたとしたら?

 弱かった自分も、今の自分も、そのまま、受け止めてくれるのだとしたら?

 勇気を出して、抱きしめて口づけをし、

「あなたが好きだから、選びました」

 と、本当のことを言うことにする。

「すべては……エリザの反応次第だけど」

 ふっと息を吐き、大丈夫……と言葉を飲み込む。


 二人の間には、嘘がある。それを白状してしまいたい。

 巫女制度ゆえに、結ばれているわけではないと、はっきり宣言してしまいたい。

すべてを分かち合って、真に恋人であれたなら、ムテの霊山の無機質な色合いも、また変わってくるだろう。


 サリサは、ムテの最高神官である。

 身は霊山にあり、すべてはムテにささげ、日に月に星に祈りをささげる。

 その運命は受け入れた。しかし――

 この身は風のように生きることはできなくても、心だけは自由であってもいいはず。

 何もかも犠牲にしたわけではない。

 すべてを捨て去ったわけではない。

 小さなサリサも、家族のことも、旅も学び舎も、生きてきたすべてのことは、無駄ではない。

 幸せだった幼き日々も、それを失った苦しみの日々も、それを乗り越えてきた日々も……いつか、エリザに語りたい。

 そして、受け入れて欲しいと思う。心から……。


 サリサは、再び宝石箱に飴をしまった。

 そして、蝋燭の火を消し、銀の結界を外した。

  ――夜は……深い。



=ハニー・スイート・キャンディ/終わり=

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