ハニー・スイート・キャンディ・3

「あら、どうしたの? あなた、この近くの子?」

 突然の声に、サリサは慌てて大きく首をふった。

 話かけてきた少女は、小さな水がめを持っている。

 見かけ年齢は十三歳くらい。だが、見かけ十歳のサリサから見ると、かなり年上に感じる。ムテにしてはこぼれそうなくらいの大きな目をした、あどけない顔立ちの少女である。

 見あげると土手の向こうに大きめの馬車が止まり、人がたくさん乗っている。どうやら、やはりマサ・メルの葬儀に出た辺境の村の一行らしい。

「はぐれたの? 行き先が一緒だったら、馬車に乗れるかどうか、頼んであげるわよ」

 サリサは再び大きく首をふった。

 まさか、霊山まで送らせるわけにもいくまい。さらに、この時間ならば、馬車の一行は帰路を急いでいるはずだった。その証拠に、馬車のほうから大きな呼び声がする。

「エーリーザーァ! 水はまだなの?」

「はーい、今すぐ!」

 少女は返事をする。返事のわりに水を運ぶ様子もない。

「足、痛むの? 大丈夫?」

 サリサはうんうんとうなずいた。

 少女はそっとしゃがみこみ、手を伸ばすとサリサの足に触れた。そしてこぼれそうな銀色の瞳を曇らせた。サリサの足は、見るからに痛そうだったのだ。

「ごめんね。薬も何も持っていないの……。あ、そうだ!」

 少女は、なにやらスカートのポケットをもぞもぞと探った。そして、袋を取り出して、その中に手を突っ込んだ。

 きらりと光る宝玉。少女の笑顔が琥珀色の球を通して大きく見える。

「蜂蜜飴?」

 サリサは、声変わりしていない鈴のような声で呟いた。少女は微笑んだ。

「これを食べると元気になって、きっとまた歩けるわよ」

 少女はうれしそうだった。そして、そっとサリサの口の中へと飴玉を運んだ。

 ふわりと甘さが広がっていった。大好きな味がした。でも、サリサの目からは涙がますますこぼれていった。

「飴なんかでなにも変わんないよ! 気休めだよ! 足が治るわけでも、マサ・メル様が生き返るわけでも何でも無いんだ!」

 八つ当たりだった。

 日が傾いていく。少女はサリサの言葉に押し黙った。甘い飴の味が、サリサの中で苦く変わっていった。

「エリザ! 何してるの? ぐずぐずしていたら置いてゆくよ!」

 馬車から女の声がした。少女は立ち上がった。しかし、サリサが気になるのか、もう一度、サリサの横に膝をついた。

「……ごめんね。私、何もしてあげられなくて……」

 手にごそりと何かがふれた。蜂蜜飴のつまった袋がサリサの手の中にあり、少女の手が添えられていた。

「ごめんね、でも、きっと新しい最高神官がいらっしゃるし、そのうち、いいことだってきっとあるから……これ、全部あげるから……」

 そういうと、少女は再び立ち上がり、馬車に向かって走っていった。



 少女が去ってしまったあと、サリサはしばらく呆然としていた。

 彼女が馬車に乗り込むところ、そのときに母らしき人にお小言を言われているらしいところ、すべてを見つめ、残像に焼き付けていた。

 どうしてもわからなかった。

 なぜ、あの子は謝ったのだろう? どうして大事な飴をすべてくれたのだろう? 

 誰も絶望に心をふさぎ、声を掛けてくれるものはいなかったのに。

 サリサは二つ目の飴を口に含んだ。答えは出なかったが、もう行かなければならない。重たく痛む足を引きずって村へと向かった。

 靴はもう捨ててしまった。ムテの霊山を登るとき、サリサに神官の力があるとしたら、石が足を傷つけることはありえない。

 陶の白いタイルを敷き詰めた道は、足の痛みすら感じなさせないくらいにひんやりとしていた。足がちぎれるほどに冷たい。

 陰気な通りに人影はなく、街全体が死に絶えたようだった。陶質の壁を伝いながら歩いた。しかし、壁の一つ一つに人々の絶望を感じる。死に絶えているよりはましだと、サリサは苦笑した。人々の気をびしびしと受けながら、悲しみにくれる街をよろよろ進んだ。

 ムテの人々が絶望にさいなまれているのは、精神的な防壁がなくなり、外部の殺伐とした気が流れこんでいるからである。

 気だけではない。結界がなくなったと知れば、外部のリューマ族の盗賊や人買いが入り込むのも時間の問題である。もしかしたら、戦争に巻き込まれることになるかも知れない。

 ガラルより東にあるムテは、最高神官の結界をなくして、これから訪れる戦争の時代を乗り越えることはできず、純血種の中で真っ先に滅びゆくことになるだろう。

 恵まれた能力を持った種族。しかし、その能力ゆえに雑草のようにはたくましく生きてゆくことはできない。

 身を守る力を失った民のために、古代の力を備わって生まれて来たものが、その身を捧げて霊山に篭るようになったのは、もうはるか彼方の時代からだ。


 ――その人たちは、やはり自由でいたかったのだろうか?

 逃げ出したかったのだろうか?

 誰かをうらやましく思ったり、悩んだりもしのだろうか?

 長年指導をしてくれたマサ・メルはどうだったのだろう?

 それを……一度だけでも聞けばよかった――

 

 旅に出かけるときは嫌だった。

 大事な後継ぎであるサリサをなぜマサ・メルは今頃になって、危険な旅へと出したのか? 不思議だった。

 しかし、確かにムテの学び舎にいたときよりも、霊山に篭っていたときよりも、旅は思いのほか楽しかった。

 もしかしたら、人生最後の花のような時代だったかもしれない。

 サリサのひとつの時代は終わってしまった。

 しかし、霊山で過ごすということも、またひとつの新たな旅なのかもしれない……。

 霊山の中腹で歩を休め、麻痺してしまった足を軽くさする。見下ろすと、桃色に染まった白い村々が日の終わりに縮みこんでいるように見えた。

 そのどこかに、先ほどの少女もいるに違いない。

 このように情けない――たいした力もない新しい最高神官と、単なる蜂蜜の飴を希望として、絶望を振り切ろうとしている少女が。

 愚かしいけれど、絶望しているよりはましだ。

 セラファン・エーデムが送ることもなく置き去りにしたのは、意地悪ではなく、すがるべき最高神官を持たないムテの人々を見せたかったからかもしれない。

「僕、そんな力はないのに……」

 そういいながらも、もらった紙袋の中に手をつっこみ、飴をもうひとつ舐めてみる。

「それでも……やらなきゃいけないんだよね」



 蜂蜜飴の糖分は、たしかにサリサに力を与えていた。

 尽きかけていた体力を引き出し、霊山の山道を登らせた。

 それでも、仕え人たちの控え所に着いた時、サリサはばったり倒れて立ち上がれなかった。次期最高神官が消えてしまい、騒動になっていた霊山は、更なる騒動に陥った。

 その後、信じがたいほどの癒しを受け、ケガは治った。しかし、体中が痛んでだるかった。骨がきしむような痛さに、日頃の運動不足を嘆くばかりである。

 疲れてはいるのに、サリサは眠ることもできず……。

 翌日、事実上、最高神官サリサ・メルが誕生した。

 休む間もない。あっという間に祭り上げられてしまったのだ。

仕え人が最高神官付きに任命され、さっそく朝の祈りのための着替えを手伝った。

彼女は不思議そうな顔をする。

「すこし……背が伸びましたか?」

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