ハニー・スイート・キャンディ・2

 かなり長い時間、サリサは道の真中で泣きつづけていた。

 セラファンが再び戻ってくることを期待して……。

 しかし、薄情な友人は二度と戻ってこなかった。サリサはあきらめて立ちあがった。

 友人が去って行ったほうを選ぶのは、死を選ぶに等しかった。

 この先、何もない荒地が続く。食べ物も何もないサリサには、馬車に追いつくという奇跡しか頼るものがなかった。そのような奇跡はありえないのだから、道はおのずとひとつだけしかない。

 ムテの世界へ戻る道。

 子どもの足だ。こちらも歩けば、霊山まで数時間はかかるだろう。その上、帰ったら最高神官という重圧が待っている。地獄を選ぶようなものだった。

 日差しがじりじりと照りつける中、サリサはよろよろと歩き始めた。地獄のような現実に向かって。

 

 途中、何度か馬車とすれ違った。そのたびに埃が舞い上がり、サリサの目を痛くした。

 これだけの数の馬車を見かけるのは、ムテでは珍しいことだった。何の馬車かと考えたが、サリサにはすぐに思い当たることがあった。

 最高神官マサ・メルを悼む祈りの会に参加した人々が、それぞれの村へと帰ってゆくのだ。その馬車だ。中には、リューマの馬車もある。おそらく、特別に借り入れたものなのだろう。結界に守られたムテでは見かけることのない、特別な光景である。

 それだけ、今がムテにとって、日常ではないということだろう。

 ムテにはあまり馬がいない。御せる者もほとんどいない。

 自らの地にとどまり、長い一生を過ごすムテにとって、速く遠くに移動する手段はあまり必要ない。祈りの儀式などの催しがある時とか、このような不幸があった時ぐらいか……。故郷を離れることですら、ムテの人々にとっては苦痛なのだ。

 馬車は村ごとの乗合ではみださんばかりの人が乗っている。人々の顔は皆暗く、よろよろと反対方向に歩いてゆく子どもになど、誰も声もかけはしない。

 少なくても、サリサが知っているムテの印象とはかけ離れたものだ。人々の暗い感情が感覚に闇を投げかけ、ますますサリサを暗くした。



 今までのサリサの人生はおそらく楽だった。

 ムテにしては大家族の家に生まれ、にぎやかな兄弟姉妹に囲まれ、つつしまやかな家庭に育った。その楽しい日々を、サリサはいつまでも過ごしたかった。家族全員が、まるでムテではないような早さで齢を重ね、旅立った後もサリサは子供だった。

 成長の遅さがマサ・メルの目に留まり、晩成の相と見込まれてムテの霊山に引き取られたあとも、神官の学び舎に入れられたあとも、サリサは成長せず、子供として扱われた。

「なぜ、おまえは大人になろうとしないのです?」

 祖父であり、最高神官であるマサ・メルが、鋭い刃のような冷たい瞳でサリサを睨んだ。何度、その瞳にさらされたことだろう? サリサは、祖父を怖がった。

 しかし、頼るべき人も祖父だけだった。彼は美しい顔をいつも歪ませ、常にムテのことを考えていた。自分もその後を継がなければならない……。そう思うと、正直気が重くなった。だが、逃げ出せばたった一人の肉親も失うことになる。

 成長は自分で調整できるものではない。なぜ、自分が大人にならないのかはわからなかった。

 だが、サリサはどこかで知っていた。

 大人になれば、自由を捨てて、責任を果たさなければならなくなる。マサ・メルと同様の最高神官にならなければならないのだ。それは、まったく、本来の自分からはかけ離れた姿に違いない。



 疲れた足がもつれて転んだ。

 今までの旅の続きならば、燃える髪をした友人が、やれやれ……などといいながら、助け起こしてくれたことだろう。 

「アルヴィ……。僕、疲れちゃったよ……」

 サリサは、いもしない友人に向かって呟いた。一人で起き上がる元気もなく、しばし、ぺたんと地べたに座り込んだまま、友人のことを思い出していた。

 サリサの旅。セラファン、そして……。

 アルヴィラント・ウーレンは、一緒に旅をしたもう一人の仲間である。今頃、ガラルの里で新婚気分を謳歌しているに違いなかった。

 ウーレンの王であるべき少年は、愛する女性のためにその権利を主張することもなく、一農民として過ごす生き方を選択したのだった。ウーレン独特のきつい顔はどこへやら、鼻の下を伸ばした締りのない恋狂いの表情が眼に浮かぶ。

「アルヴィだって、自分の運命を捨てたじゃないか……」

 サリサはぶつぶつと文句を言った。


 ――なぜ自分だけが貧乏くじなのだろう?


 思えばセラファン・エーデムだって、自分の運命を捨てさったともいえる。

 そもそも、彼はエーデム王になるはずだったのに、戴冠式の場でそれを放り出して、歌うたいとして自由を謳歌しているではないか? 現エーデム王は、いまだにこの歌うたいを「わが君」と呼んでいる。マサ・メルだって、彼にはいつも敬意を払っていた。

「もう……セラファン様なんか、本当にずるい。自分だけ美味しいところばかり……」

 それを、サリサに――一応は、サリサのほうが、かなりの年上なのに――説教して置き去りにするとはあんまりだ。

 誰だって、自分で自分の生き方を選んだっていいと思う。

 しかし、サリサにはそれが許されない。

 友人の生き方を否定するつもりはないのだが、自分だけががんじがらめに運命に絡みとられたようで、彼らの自由がいたたまれないのだ。

 マサ・メルの目に留まってしまったことを、サリサは何度悔やんだことだろう?

「アルヴィとガラルにいればよかったよ……」

 仕方がなく立ち上がり、服の埃を払いながらも、サリサはつぶやいた。

 そう、早春のきらめく光の中、アルヴィとエーデム巫女姫の結婚の楽しい宴が催されたのは、つい数週間前のことなのだ。その幸せが、自分にもずっと続くと思っていたのに。

 でも、今、アルヴィはいない。

 情けなく転んでも、助けおこして豪快に笑い飛ばすことはない。

「俺は俺の運命を見た」

 彼はそういってガラルに残った。

「僕も僕の運命を見たよ……」

 そう独り言をつぶやくと、サリサはそびえる霊山を憂鬱そうに見上げた。


 へとへとに疲れはてた時、やっと霊山のふもとの村に着いた。これからさらに山登りかと思うと、さらに気持ちが萎えてくる。

 すでに夕陽となった光が、陶製の村を赤く染め始めている。サリサは川辺に降りると、手ですくって水を飲んだ。

 そして、恐る恐る靴の紐を解き、そっと脱いでみた。

 むくんでしまったのか、靴はなかなか脱げない。痛みをこらえてやっとの思いで引き抜いた。

 熱をもって痛む足を水につけてみた。

「痛い!」

 足は豆ができていて、血が出ていた。

 情けなかった。

 サリサは憂鬱な行き先を見て、再び泣き出した。

 それが、いったいどれぐらいの時間だったのか、サリサにはわからなかった。

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