ハニー・スイート・キャンディ
ハニー・スイート・キャンディ・1
ムテの田舎道をカタカタと馬車が行く。
日差し柔らかい春の午前中だ。外の血なまぐさい情勢とはまったく切り離された穏やかな時間が、ムテには流れている。
馬車を御しているのはムテ人ではない。
銀白色の柔らかな巻き毛に銀の湾曲した角を持つ男で、明らかにエーデム族の王族である。馬車にはリュタンと呼ばれる楽器と、大きな長い箱、それと馬に与えるための乾草などが詰め込まれていた。
男は鼻歌など歌いながら陽気に馬車を進めていたが、時々小首をかしげるしぐさをした。その回数がだんだん増えてゆき、やがて馬車を止めて後ろの荷台に向かって声をかけた。
「サリサ。隠れていてもだめだよ。出ておいで」
一瞬、乾草がびくりと揺れて静かになる。
「サリサ、私の耳はごまかせないよ」
二度目の呼びかけに、乾草に隠れていた少年はあきらめて顔をだした。
いかにもムテ人らしい子供だった。銀の髪には藁屑がいっぱい。銀の瞳には涙がいっぱい。今にもそれがぽろりと頬を伝いそうな、情けない顔。
見かけは十歳の子どもである。しかし、ムテであるサリサが見かけ通りの年齢であるとは限らない。甘えてすがるような目で、男の顔を見つめながら、声変わりしない鈴のような声で懇願する。
「セラファン様ぁ……。お願いです。僕を見捨てないで……」
セラファン・エーデムは、くすりと笑った。
「見捨てなんかしないよ。でも、お互いに道は別れているんだ。一緒につれてゆくことはできないんだよ」
エーデム族特有の優しい微笑だが、そこには有無を言わさぬものがある。
セラファンは馬車の荷台に移動すると、ひょいとサリサを藁の中から持ち上げた。そしてサリサの銀の髪に絡みついた藁クズを丁寧にとり始めた。
「不安から逃げていてもはじまらないよ。君は君のなすべきことをしなければならない。その時がきたんだよ」
髪から藁クズがなくなるたびに、サリサは悲しくなった。銀の瞳からついに涙がこぼれ落ちた。
「……でも……僕にはできないよ……」
――風のように自由に生きていきたい。
セラファン・エーデムがそうであるように。
サリサは、この異種族の友人と旅を続けていたかった。
いや、本音を言えば逃げ出したかったのだ。これから背負ってゆく最高神官という肩書きから。
誰も頼ることのできないムテの地に置き去りにされるのは辛い。
祖父であるマサ・メルが散ってしまい、その悲しみに暮れる間もなく、サリサの前には問題が山積みにされた。
いくらマサ・メルが後継ぎとして指名したといっても、サリサはまだ子どもだった。しかも、いつまでたっても成長しない子どもだったのだ。
自分の身の丈には重すぎる大役なんて引き受けたくはない。
「僕……大人になんかなりたくないよ……」
べそべそと泣き出し、ついに顔を手でぬぐい出す有様。
しかし、友人は泣き落としには動じない。
泣いているサリサを馬車から下ろすと、何度も頭を撫で、一度だけぎゅっと抱きしめた。
「サリサ・メル。アヴァ・ラ・タリラ」
それは古いムテの言葉で別れを意味する言葉だった。歌うたいらしいきれいな発音でつぶやくと、セラファンはあっというまに馬車に飛び乗った。
もうすでに、ムテの霊山からは距離がある。送り届けてもくれないつもりらしい。
サリサはあわてて、馬車の荷台にしがみついた。
「ま、まって! 僕も連れて行って! こんなところに置き去りなんて!」
その言葉にセラファンは振り返り、にっこりと笑って見せた。
「ここは君の国だよ。霊山までは距離があるけれど、君に危害を加える者はいないだろう。君は自分が捨て去ろうとした分だけ、ふるさとを歩いて霊山に戻らなければならない」
「そ、そんなぁ! セラファン様ぁ……」
エーデム族は争い嫌いで平和主義。ムテよりもはるかに強い結界を持つから、戦う必要もない。しかし、その分、恵まれた種族の足りない部分というか、笑顔で残酷な提案をする。
「どうしても旅を続けたかったら、馬車を追いかけてごらん。追いつかないし、これから先は無法地帯だ。好きにしてごらん。君の道だ。君が選べばいい」
それは、選択の自由……とはいえない。子供が馬車よりも速く走れるならば、馬など不要になるだろう。
セラファン・エーデムは勢いよく馬車を発進した。
勢いでサリサは地面に投げ出されたが、馬車は止まることもなく、たくさんの砂ぼこりを巻き上げてサリサの顔にふりそそいで去っていった。
涙と泥でぐしゃぐしゃの顔で、サリサは地べたに座り込んでいた。
むなしい風が吹いて、埃を払った時には、すでに馬車は小さくなっていた。
セラファン・エーデムはエーデム王の地位を捨て、風のように生きてきた男だ。サリサは力の限り叫んだ。
「セラファン様のばかぁー! 意地悪ぅー! 自分だけずるいーーーー!」
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