約束・3

 同じ星をサリサも見ていた。

 個人的な謁見をするための小さな部屋と奥の寝所が続き部屋になっている。

 サリサは、祈りと昼の行以外は、ほとんどをこの部屋で過ごす。

 前最高神官の住む祠は広く、本来ならばこの奥にあるのだが、サリサはマサ・メルが散ってしまった場所を嫌い、入り口近くに木造の小さな部屋を増築させて住んでいた。 

 最高神官の部屋が狭いのは、結界の力が発散しないようにするためなのだ。

 まるで上衣を羽織ったような結界の銀のヴェールは、風に吹かれてなびくように、神官の自由にならないこともある。

 力ある者は、その力に飲み込まれぬよう、様々な工夫をしなければならない。

 しかし、常に工夫や努力を強いられるのは、サリサの性には合わない。力を制御するには木よりも石のほうが効果は高いだろうが、サリサは居心地のほうを優先した。


 サリサは寝所に戻ると、ベッドの横にある引出しを開けた。

 小さな宝石箱があり、持ち上げて振るとコロコロと音がする。

 そこに、サリサの秘密が隠されている。

 ――大事な宝物である。

 時々、気がめいると、この中にあるものの使い道を考えることもある。

 


「一生懸命、お探しさせてもらいます」

 はじめて二人で会ったとき、巫女姫はそう言ってくれた。

 だから、サリサはそれ以来、洞窟に来る時はいつもすぐに見つかるように、日のあたる石の上で休んでいた。

 しかし、彼女は間違いなくここを訪れたその日に、サリサを探すことはなかった。

 約束は反故にされた。

 それを残念に思うのは、お門違いというものだ。

 少女の言葉は、上の者に対する社交辞令に過ぎないのだろう。紅潮した頬がどんなに愛くるしく感じても、恋をしているからとは限らない。偉い人と話していると思えば、誰だってそうなる。

 別に責めることではない。当然といえば当然。少女は巫女姫として選ばれ、なすべきことをなすのが仕事。

 同じ想いを抱いているなんて、期待するのは間違い。期待するから傷つくのだ。

 そう自分に言い聞かせて、あの夜に向かった。

 

 適任だから選んだわけではなかった。

 そばにいてほしかったから、選んだ。

 そんなことは、心の奥底に封印してしまえばいい。

 こっそり力を補ってやれば、エリザもなんとか巫女姫らしく、使命を全うできるだろう。

 癒しの巫女としてふるさとに帰れば、彼女は富も名誉も与えられるのだから。


 サリサはほしかったものを手に入れたはずだった。

 でも、分かち合ったはずの少女は泣いていた。壊されて置き去りにされた人形のように、そこにいた。

 まるで自分が引き裂いた人形のようなのに、彼女はすがって離れなかった。そのまま泣き疲れて、寝てしまった。不思議だった。

 が、やがてサリサは気がついた。

 一人ぼっちなのだ。

 回りには敵しかいない。苦しい時に泣く場所はない。この霊山ですがるべき者は、彼女には最高神官しか見出せない。

 そう仕向けたのも自分だということに。


「あなたを選ぶのは、わがままですか……」


 目をつぶると、闇の中で一人、投げ出されて泣き続ける少女の姿が浮かんでくる。

 香り苔の香りが強すぎる。睡眠不足が体にこたえる。

 もう自分のわがままで巫女姫としての責務を押し付けるのは無理だと思った。フィニエルのいう通り、早くふるさとに返してあげるべきか? とも迷った。

 エリザの気持ちを確かめようと思うものの、「帰りたいです」の一言を、聞きたくなくて。本心を言わせないよう、無意識に暗示をかけてしまったのかもしれない。

 今日の彼女はしばらく口がきけなかった。

 そんな重苦しい再会だった。


 でも、どうやら、心配は危惧に終ったらしい。

 寛容……とでもいうのか。

 おとといの夜のことなのに、もうすっかり許してくれている。いや、それともただ驚いて泣き出しただけで、ひどい扱いを受けたとは思っていないのかもしれない。

 逞しい……とでもいうのだろうか。

 自分がくよくよ考えてきたことに比べると、拍子抜けするくらいに明るいのだ。

 女の子というのは、弱々しく見えて、実はけっこう強いらしい。


 才能が至らないのだから、エリザが失敗するのは当たり前。失敗して落ち込むのも、当然。

 でも、その責任はすべて選んだ最高神官本人が背負うべきである。彼女の気持ちがどうであれ、落ち込んでいる場合ではない。最高神官に落ち込む自由などないのだ。


 大事にしたいと思った。

 一緒にいたいと願った。

 ――だから……守ってあげなければならない。

 あの人に降りかかるすべてのことから――


 この宝物を、子供じみた情けない悩みで費やすべきではない、エリザにかけて誓おう。

 そう決意をすると、今度は急に笑えてきた。

「サリサ・メル様にそのような時代があるなんて、信じられません……」

 エリザがそんなことを言うので、つい、おかしな約束をしてしまったのだ。

 あの時、彼女が霊山を降りたいと言ったなら、おそらく今、この宝物は使ってしまうだろう。そして、幼き日の思い出に浸って、その日の気分に戻って、泣いて過ごしたかも知れない。

 そう……この宝物は、まさに自分が至らない情けない子供だった証拠の品だ。


 サリサは、宝石箱の秘密をエリザに打ち上げようと決心した。

 この狭い霊山の世界で、二人で生きてゆくために。

 夜空の星は、宝石のようにキラキラと輝き、ひとつ、糸を引くように流れた。 


 ――秘密を分けあうように、今、この瞬間、二人で星を分けあっている。

 きっと、同じくらい愛してくれていると思う―― 



=約束/終わり=

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