フィニエル日誌・6

 数日後、意外な提案を最高神官の口から聞くことになった。

「あなたに巫女姫の仕え人になっていただきたいのです」

 ちょうど朝食の時だった。

「私に、あなた様から外れよと命じるのですか!」

 あまりに驚いてしまい、つい反論してしまった。

 この方とお話していると、自分がもはや世を捨てた存在であることを、時々忘れてしまう。

「……いえ、失礼いたしました」

 私の早々な前言撤回に、サリサ様はくすりと笑った。どうやら、私の動揺が愉快だったようだ。

「私は未熟者でした。しかし、あなたの厳しい指導のおかげでここまでくることができました。フィニエル、あなたには感謝してもしきれません」

 朝食を終え、サリサ様は立ち上がると、いつものように窓辺へと寄った。

 銀の目を細めて、我々仕え人たちがとうに忘れてしまったような笑みをたたえるので、私の調子はやや狂う。

 窓の向こう――巫女姫エリザ様が、ちょうど薬学の授業を受けているところだった。

「私にはあなたが必要です。でも、あの人にはもっと必要なのです」

 

 なぜか、一抹の寂しさを感じる。

 この霊山に戻られた時の、不安げな少年はすっかり大人になったのだ。

 喜ばしいことであるはずなのに、なぜだろう?

 二人きりの時だけに見せる最高神官サリサ・メル様の素顔。その子供っぽさを、あきれ果てながらもどうやら好きだったらしい。

 この方のお世話ができなくなることは、とても残念だと感じている。

 マサ・メル様至上主義の最たる者と自己分析していた私だが、すっかりサリサ・メル様の人懐っこさに感化されてしまったのだろうか?

 思わず苦笑してしまう。


「私の指導は厳しゅうございます。あの方には耐え切れず、泣いてさとに帰ることになっても、私は関知いたしませんが」

「大丈夫です。エリザはあれでなかなか強い人だから」

「お名前を呼ぶのは品が悪うございます」

 サリサ様は、いたずらっぽい顔をしてちらりと舌を出してみせた。

 こちらの方も、まだまだ心配な気もするが……。

「大丈夫です。私は意外としたたかなのですよ」

 まさしく、その通りである。

 並み居る老熟した仕え人たちを、見事な嘘でだまくらかしているではないか?

「では、お任せくださいませ。最高神官サリサ・メル様の期待に、私は応えて見せましょう」

 私は敬意を示し、胸に手を当て、お辞儀をした。



 ――さて……。

 最高神官の日々を綴る日誌であるが、こちらも後任の者に引き継がなければならない。

 私は、ぱらぱらとページをめくり、気になるところを読み返し、前に消そうとした文章をそのまま残すことにした。

 しかし、先日書いたところは消した。

 サリサ様の笑顔は、私の……いや、私とエリザ様の秘密にしておいたほうがいいだろう。

 引継ぎのための覚書を書き足す。



【覚書】


 サリサ・メル様は立派にマサ・メル様のあとを引き継ぎ、ムテの地と民を守りつづけている。能力はマサ・メル様に勝るとも劣らない。

 ただ、サリサ・メル様は、マサ・メル様とは好みが異なる。

 朝のパンには、蜂蜜をお出しすることが望ましい。



=フィニエル日誌/終わり=

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