フィニエル日誌・5

 その日、夕の祈りを捧げて戻られた時、サリサ様はかなりお疲れのようだった。

 普段と全く変わらないように見せても、私の目はごまかせない。誰にも気取られないようにしているのは、知られると困ることをやらかしたからに違いない。


 たとえば……。

 祈りをしているふりをして、どこかに遊びに行ってしまった……とか。


 サリサ・メル様は、そういった嘘やごまかしが大得意なのだ。案の定、他の者は誰も不審に思ってはいない。でも、三歩後ろを常に歩いている私には、サリサ様の結界の強弱すらもはっきりと見えている。

 心配した通り、部屋に戻られたとたん、彼はめまいを起してよろめいた。私は慌てて体を支えた。

「無理をなさってはいけません。夕になって一気に力を使われたからです」

 祈りは光があってこそ、効果が強い。

 夜を無事に過ごすために、特に朝夕祈りは行われるが、日中は常に最高神官の力は放出されている。今日のように天気の良い日には考えられない消耗である。

 しかし、彼は私が抱きとめたとたんに、力いっぱい抱きしめかえしてきた。

 さすがに驚いた。仕え人になって以来、初めての事態である。


 それと、もうひとつ……。意外に大人であることに。

 当然かもしれない。ムテの力は、成長の度合いと比例する。最高神官になられてから、サリサ様は急激に成長したのだ。誰もが驚くような早さで……。

 背の高さも、今ではマサ・メル様とほとんど変わらない。その能力も、抱きしめる腕の力も……。


 私はこほんと軽く咳をした。 

「サリサ・メル様、めまいは仮病ですか?」

 とたんに彼は破顔して、私の頬に口づけした。

 私の顔は、おそらく奇妙なくらいにしかめっ面になっていただろう。が、サリサ様は、これ以上ないくらいに上機嫌で、今度は額に口づけした。

「ありがとう、フィニエル。大好きだよ!」

 大好きだよといわれても……。

 どうやらあの情報が、何か役に立ったらしい。


 いいことをしたのか?

 悪いことをしたのか?


 結論付けるには早すぎる。

 お二人のことを思うと、このような繋がりに恋心を抱くことは、後々不幸なことでもあるし、ムテの最高神官としての負担を考えても望ましいとは思えない。

 しかし――



 湯浴みの薬草は、疲労を回復させる薬草を中心にして、さらに安息効果が期待できる香り苔を配合した。今夜の最高神官は疲れている、と同時に、興奮しすぎだ。 

しかし、それでもサリサ様は、少しも落ち着いてはくれない。まったくお子様のままなのだから、本当に困る。

 鼻歌まじりで、お湯を叩くのはやめてほしい。こちらまでびしょ濡れになってしまう。それにつまらない話をふってくるのも勘弁してほしい。

「ねぇ、フィニエル。こういう気分って、なんていう? もしかして恋?」

 長い銀髪を洗っている間も、彼は私に質問ばかりを投げかけて、おとなしくしていてくれない。

「世を捨てた私にはわかりません」

「でも、マサ・メル様のこと、少しは好きだったのでしょう? うわ!」

 思いっきり頭の上からお湯をかける。

 さすがにうるさい口が一瞬静かになった。が……。

「それともかなり好き……うわ!」

「口を閉めていませんと、お湯を飲み込むことになります」

 私は何度もサリサ様の頭にお湯をかけた。

 髪から泡が消えるまで、口から話題が途切れるまで、それはいつもよりも念入りだったかも知れない。

 銀色の髪に泡の粒が煌いて流れてゆく。

 お湯のせいか、まだあどけない顔が紅潮している。

 口はふさがれたままだったが、彼は何かを夢見ているのか、かすかな微笑みをたたえていた。

 マサ・メル様は、このような表情をなされたことがない。



 ――その夜は、日誌に「お子様……」と書きかけて、

「サリサ・メル様は、笑顔の美しい方である」

 と、記入した。

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