フィニエル日誌・4
私は、祈りを済ませたあとが一番忙しい。
最高神官は自室で食事を取るので、その準備をしなければならない。母屋まで行き、パンと薬湯を入れ、運ばないといけないのだ。
おのずと台所で働いている仕え人たちの気が読めてしまう。彼らはさほど無駄な会話をしないのだが、お互いを読める程度に気を許して仕事をする場合もある。
本日の話題も巫女姫だ。
昨夜の最高神官拒絶事件が主な話題である。
食堂の扉が開いて巫女姫が現れても、仕え人たちは挨拶もしない。
本来は、主人に挨拶無しなどありえないが、それに文句を言える本人ではない。さすがに自分を見下す気を察して、かすかに顔色が悪い。
祈りの時間が最高神官よりも短い巫女姫は、仕え人に連れられて食堂の上座で食事を取る。通常はこの母屋の女主人であるべき立場なのだ。しかし、まったくそぐわない少女である。
私にはこのような巫女姫の存在自体、許しがたい。
もっとしゃきっとしてほしいが、この少女の実力からして無理であろう。
――ならば、早く山を降りたほうがいいのに。
昨夜のサリサ様の落ち込みようが浮かんでくる。
最高神官に仕えて以来、一人にしてほしいと懇願されたのははじめてのことだった。
このようなくだらない少女のために、最高神官が愚かにも力を浪費していることが腹立たしい。
巫女姫は最高神官の補助をする存在でもあるのだ。それが足を引っ張っているうえに、精神的にも傷つけるとは。
私は席に着こうとしている巫女姫の横をわざと横切り、すれ違い様に聞こえるように呟いた。
「マサ・メル様の時代には、このようなばかげたことをする巫女姫はいませんでした」
未熟な少女はその言葉を聞くと震えだし、席に着くこともなく、脱兎のごとく走り出して食堂を出て行ってしまった。
さすがに他の仕え人たちも呆然と見送った。その日、巫女姫はもう朝食をとらなかったらしい。
「遅くなってしまいまして申し訳ありません」
母屋からもどってきた時には、もう最高神官は部屋に戻っていて着替えたあとだった。少し、余計な話をして時間を浪費してしまったことを、私は悔いた。
サリサ様の顔に不機嫌な色は見えない。軽い微笑みすら浮かべてはいるが、いつもよりも疲れているように見える。
「別にかまいません。食事よりも、昼の行までの時間、少し休みたい……」
「いえ、食事もおとりください。お体に障ります」
サリサ様は頭をがくりと落とし、あきらめて朝食の席についた。
「フィニエル。あなたって容赦がありませんねぇ……」
「私は常に、最高神官サリサ・メル様がお力を充分に発揮できるよう、務めるだけでございます」
「マサ・メル様の時と同じように?」
薬湯を注ぐ手が一瞬止まる。私はポットをテーブルに置いた。
「マサ・メル様でも、サリサ・メル様でも、最高神官にお仕えするためだけに、私はおります」
「ふーん……。でも、私はマサ様とはまったく違うから、少し甘くしてくれたほうがうれしいのだけれども」
サリサ様は、パンをちぎって薬湯の中に浸した。
本当は、パンには蜂蜜たっぷりが大好きなのだが、マサ・メル様が甘党ではなかったため、霊山に蜂蜜の蓄えはない。
彼は、私に蜂蜜を用意するように、散々言い続けてはいるのだが、マサ・メル様至上主義の霊山の掟はそう簡単に覆らない。私もそうするつもりはない。
だいたい、甘い物などは大人には不要な食べ物であり、泣いている子供のご機嫌をとるためだけのものである。
もちろん、甘く……というのは、蜂蜜のことではないのだが。
まったく甘くはない朝食を終えると、サリサ様は一人の時間が持てる。それもわずかな時間ではあるが。いつもその時間を読書に当てたり、昼寝したり、時に窓から巫女姫の姿を見ていたりしているらしい。
「今日は食堂であの方を見かけましたか?」
突然聞かれて、私はすこしどきりとした。
意地悪をしたのがばれてしまったのだろうか?
「いいえ」
私は平然と嘘をついた。
「フィニエル……」
空になったカップをもてあそぶようにして、サリサ様は言葉を漏らした。
「私は……やはり酷なことを強いているんでしょうか?」
「はい」
はっきり答えた。
そのほうが、このお二人のためにはいいことだ……。
私はそう思う。
しかし。
「そうですよね……。好き嫌いで人を選んでいては、公平な判断とはいえませんね」
そう呟いてうつむかれると、なんともいえない気持ちにもなる。
サリサ様は、あの方によく似ている。
特に、悲しそうに眉をかすかにひそめると、あの方がお戻りになったのか……と思うほどだ。
マサ・メル様は、いつも暗い顔をしていらっしゃった。
サリサ・メル様のように微笑まれることは、皆無だった。
そして、氷のように冷たい手で私を抱き……。
そう、凍てつくような鋭利な視線で……。
私は思わずぶるりと震えた。
「フィニエル?」
サリサ様が不思議そうな顔をしている。
「いえ……。何でもございません」
そう、何でもないことだ。何でもない。
子を産むという一番の仕事をなすことはできなかったが、巫女としての責務を果たしてきた自信はある。
マサ・メル様も、そのような私を認めてくださっていた。
「そういえば、本日巫女姫は薬草採りに午後からお出になるようです。竜花香を集めさせると言っておりましたから……。巫女姫の仕え人もお人が悪いですわね」
部屋を出るとき、私は食堂で聞いた情報をさらりと伝えた。
人が悪い――
それは、最高神官であればふれただけで見分けがつく薬草も、経験の浅いエリザ様にはより分けるのは無理、誰が考えても荷が重い仕事を押し付けているということ。
サリサ様の顔がやや歪んだ。
扉を閉める前に、もう一度ちらりと様子を見る。
サリサ様は窓辺によって母屋を眺めている。そこには今日も薬学を学ぶ巫女姫の姿が見えるはずだ。
なんともいえない複雑な横顔。怒りなのか、哀れみなのか?
私は扉を閉めて、自室に戻る。
あとは……私の知ったことではない。
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