巫女姫の仕え人・5
「今夜です」
医師がそっけなく告げた。
エリザが山に来てから一ヶ月になろうとしてる日のことだった。
エリザは、遠い彼方でその言葉を聞いたような、放心状態に陥っていた。かわりに仕え人が返事をした。
「かしこまりました。万全を期して準備に当たらせていただきます」
その日は、夕の祈り以外のすべての予定は白紙とされた。
夕の祈りも、エリザは緊張のあまり、まったく務め上げられなかったのだが、誰も文句は言わなかった。そのことが、かえって今夜が特別であるということを印象づけた。
エリザのことを好いていない仕え人たちとはいえ、だからといって、巫女の仕事を教えないわけではない。薬草の知識はもちろん、子をなすための努力を欠かさない。
彼らは充分に大人なのだ。意地悪ではあっても、巫女姫としての使命をエリザが果たすことを一番に望んでいる。
「そのようなことは一瞬で終わるのです」
仕え人は言った。
前回、暴れたエリザに暗示をかけたのは、彼女だったかもしれない。だが、狂乱状態に陥っていたエリザは、誰が誰だか覚えていない。
一人で湯浴みしたいというエリザの願いは、虚しくも無視された。
仕え人は念入りにお湯の温度を確認し、布にくるんだ薬草を入れ、湯の中でもみほぐす。緊張のあまり震えているエリザの元に、かすかな香りが伝わってくる。
前回の薬湯とは違う、木の香りに似たほのかな匂いだ。
「男だった者は無神経なものです。女は感じればいいと思っている」
ぶつぶつと仕え人はひとりごとを言った。
仕え人である彼女が、他の仕え人の考え方に異を唱える。思えば、仕え人の「ため口」ははじめて聞いたかもしれない。彼らは世捨て人であるから、人との係わり合いで文句を他人にいうなどということはしない。
不思議な気がした。みんな揃って意地悪だと思っていたが、彼らも一枚岩ではないらしい。
「さあ、準備ができました。あなたに必要なことは、感じることよりもまずは緊張を解くことなのですから」
そうは言われても無理である。エリザは緊張したままお湯に入り、前回の恐怖の夜を思い出し、温かなお湯に包まれて、なお震えた。
そして、優しい最高神官の顔を思い出し、ほんの少し期待した。それもつかの間、情けない自分に落胆し、嫌われるかも知れないと妄想し、絶望する。
それでも、行為は行われるのだ。
するりと肩を伝わる感触に、エリザは驚いて悲鳴をあげた。
「そのように驚かないでください。体を洗うだけですから」
仕え人が海綿でエリザの肩をなぞっただけだった。たったそれだけで、このように驚くなんて、自分はどうかしている。エリザは大きく息をすって吐き出した。
「そうです。緊張を解いて……。体を楽にして……」
仕え人は、エリザの髪を持ち上げて前にたらす。白くて綺麗な背中があらわれた。片手を肩に置いたまま、彼女は背中を洗い出した。海綿の程よい硬さが心地よい。エリザはふっと息を吐き、目をつぶった。
「……あっ」
心地よさに身を任せていたエリザだったが、海綿が背から脇を通り抜け、胸に触れた時に思わず声を上げてしまった。
まだ幼くて発達途中の小さな胸だが、そのためふれられると痛むしこりがある。仕え人は背中から湯の中のエリザを抱きつつむような体勢で、エリザの耳元で囁いた。
「エリザ様」
彼女に名前で呼ばれたのははじめてだった。
湯船の外にいる彼女とは、触れ合っているのは海綿を通しての腕と、肩にかけられた手だけである。しかし、エリザはお湯全体が彼女になったような気がして、抱きすくめられたような感覚にとまどった。
「体を石にしてはなりません。でも、心は石になさいませ」
彼女の言葉が耳元で吐息となったとたん、エリザは目の前が真っ暗になった。
脱衣所の床にタオルをひいて、エリザは横になっていた。
少し湯あたりしてしまった。このような短時間で具合が悪くなるとは、よほど緊張していて体調が悪くなっていたにちがいない。仕え人は、扇を広げてゆっくりと風を送っている。額にのった濡れタオルが気持ちいい。
ぼんやりと、風を生み出す扇と仕え人の白い指先を見つめていた。すでに女ではない仕え人は、それでもなぜか艶かしいまでの女に見えた。
「私が悪うございました」
意外なことに、仕え人は情けなくも湯あたりしたエリザを責めることはなく、かわりに自分の非を認めた。
「私がついていながら長湯をさせてしまいました。気分はいかがですか?」
「気持ち……いいです……」
具合が悪いのに気持ちがいいというのもおかしいが、エリザは本当に風が心地よかったのだ。それに自分が責められなかったことも。
その言葉を聞くと、仕え人はかすかに微笑んだように見えた。風を送りながらもエリザの上にかがみこむと、頬に張り付いていた髪を指でよけた。
「男の甘い言葉など期待してはなりません。信じてはなりません。ただ、受け入れてお忘れになるのです」
そういうと、なにやら小さな小瓶を手渡した。
ひんやりとする硝子の感触。涙型の滑らかな曲線。エリザはぼんやりとしながらも、光に瓶をかざしてみた。切子模様に光が乱反射する中、やや不透明でとろりとした液体が入っている。
「受け入れがたいと思いましたら、その薬を陰部にお塗りなさい。滑らかになります」
「……え!」
一気に顔が火照り、再び体が緊張した。いくら無知とはいえ、仕え人の言ったことが何なのかわかってしまったのだ。あまりに露骨な現実が目に浮かぶ。
「……いやっ! そ、そんなの、いや!」
エリザは涙目になって思わず叫んだ。
これから起きることが不純で汚いことに思えた。エリザの思い浮かべるその人は、清らかで美しく、この想いはけして穢れてはいけないというのに。
「あなたは何を期待しているのです? 優しく抱かれて、夢の世界にでも連れていってもらえるとでも? いたわってもらえるとでも? それとも愛を?」
冷たい銀の目がエリザの目を覗き込む。手に手を重ね、瓶をしっかりと持たせながら。
「所詮、愛など妄想にすぎません。愛にたよればあなたは傷つきます。ご自分の身を大事になさいませ」
言っている意味がわからなかった。
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