巫女姫の仕え人・4

 日差しがふりそそぎ、山道の脇に咲く花が手いっぱいに葉を広げ、その恩恵を受け取っている。ムテでは何もかもが光の恩恵を受け、それを感謝し、祈る。そのようにして長い時間がゆっくりと流れるのだ。

 初夏の陽気だ。かすかに汗ばむが、冷たい高原の風がすぐに乾かしてしまう。

 エリザは、仕え人の後を追って、とぼとぼと山道を進んだ。エリザの回りはどんよりとした空気が漂っていて、さわやかな風も太陽の恩恵も届いていないかのようだった。

 さすがの仕え人も、これ以上の追い討ちは気の毒と思ったのか、引きずられている囚人のようなエリザの足取りに文句もいわなかった。二人は言葉も交わさずに、ただ黙々と歩きつづけた。

「わたしはここでタウリ草を探します。あなたはあちらで竜花香をお探しください。ただし、たくさんはいりません。それよりも時間はお守りください。採れた採れないにかかわらず、三の刻までにこちらへお戻りください」

 エリザはぼんやりと言葉を聞いて、うなずいた。

「しっかりしてください。その後、取ってきた薬草を並べ、名前と薬効を言い当てていただきます。学習の成果を確認させていただきますからね」


 不思議な一致。あの日と同じ。

 最高神官と会ったあの洞窟に、エリザは仕え人に竜花香をとってくるよう言われ、再び入ったのだ。

 天井の水晶を含んだ岩が陽光を透過させて、あちらこちらに陽だまりを作っている。日差しをほんのりと柔らかくして、強い光が苦手な苔や草を包み込むように育てている洞窟だ。

 まったくあの日と変わらない。寒くもなければ暑くもない。しかし、あの時よりも太陽は明るく、明るいところからきたエリザには、薄暗く怖い空間に思えた。

 早く目を慣らさなければ、薬草なんて見つけられない。エリザは、自分の籠を見つめた。これをいっぱいにしなければ……。

 ? 違う……いっぱいにしなくてもいいのだ。時間だけをきっちり守れと言われたのだわ。でも、きっと量が少なかったら、何か文句を言うに違いない。

 優しさの欠片も感じない仕え人の瞳を思い出し、エリザはほろりと涙をこぼした。

「頑張らなくちゃ……」

 ひとりごとを言って涙を拭くと、必死になって薬草を集め始めた。

 竜花香はほとんどなかった。

 香り苔とのより分け方は……。ちゃんと憶えている。葉のつき方に注目するのだ。

 それを優しく教えてくれた人は……。だから、頑張らなくちゃ……と、言い聞かす。

 目が潤んでしまって、よく見えない。エリザは目をこすった。

 でもだめだった。仕え人たちの冷たい目を思い出すと、くじけそうになる。

 このまま、時間なんか守らずに、ここで果ててしまってもいい。

 ずっとあの人のことを想いながら、石になってしまってもいい。

 戻りたくない!

 こらえきれない涙のせいで、もう葉のつき方など確認できなかった。

 エリザは次の手段をとった。日に当てれば色でわかる。籠の中の草を岩の上に広げてみれば、竜花香ならば青く見えるはずだ。

 エリザは、最高神官と香り苔を広げたあの岩を目指して歩き出しだ。が、すぐに足を止めた。手から籠が滑り落ちた。

 日差しふりそそぐ岩の上に、銀色の髪を投げ出して眠っている人を見つけたからである。

 

 先日、エリザは会えなかった最高神官のことを想い、あの岩の上でまどろんだ。同じように、最高神官はそこでまどろんでいるのだ。自分と同じその場所で。

 エリザの心臓は高鳴った。まったく力なく緩んでいる彼の腕の中に、身をゆだねている自分の姿を想像して、体の芯が熱くなる。

 エリザはゆっくりと彼に近づいた。

「会いたかったんです……」

 そっと顔を近づけて、勇気をだして囁いてみた。心臓が止まりそうだった。

 まったくの無反応にエリザは少し落胆し、少しほっとした。さらに耳元まで顔を近づけて呼んでみる。

「……サリサ・メル様」

 祈りの祠からこっそりと抜け出してきたのだろう、薄い絹の上等な衣を身に纏い、銀の長い髪に日差しを絡ませて、ぴくりともせずに眠っている。

 まるで死んでいるようだ。ヴェールのような銀糸の髪の隙間から薄い唇がのぞき、かすかに髪を揺らすことだけが、彼が生きている証拠である。

――もしも眠っていたら起こしてくれてかまいません。

 それは、必ず起こしてくださいね……という意味だとエリザは思っていた。会えたらまた、お話がしたい。そう言ってくれたのだと。

 しかし、あまりに安らかな眠り。無垢な顔。

 百年以上生きているというこの少年に、その時間を感じろというほうが難しい。目覚めている時は、圧倒的なムテの魔力を感じる最高神官も、すべての結界を外して眠っている時は、あどけない少年の顔になる。

 胸が締め付けられた。

 この方を守ってあげたい……。

 不相応とも思える願いに、エリザは驚き、とまどった。

 肩に触れ、揺り起こそうとした手は躊躇した。

 起こしてどうしようというのだろう? お話して何かこの方のためになることでも? 巫女姫として何もできない少女が、疲れ果てて眠っている人を起こして、何を話そうとしているの?

 辛いこと? 悲しいって? 家に帰りたいって?

 優しい目で見られたら、きっと私は泣き出してしまう!

 冷たく辛抱のない子どもと思われたら、きっとその場で死んでしまう!

 あまりに情けない自分。

 この方を煩わして眠りを邪魔することなんて、とてもできない。

 エリザはあわてて籠を拾うと、落としてしまった薬草を再び籠の中に突っ込み、ばたばたと逃げるように洞窟を飛び出した。



 時間を半刻も早く戻ってきたエリザに、仕え人は驚いたようだった。

 きびしい薬草試験を行い、散々、間違いを指摘したあと、彼女は立ち上がった。

「夕の祈りまですこし時間がありますが、早めに戻って少し休みましょう」

 エリザもふらりと立ち上がる。休む……という言葉が、仕え人らしからぬように思えたが、もう休まないとエリザの体は限界だった。

 下り坂、足早に帰路につく。

 仕え人は、エリザの籠の薬草に時々ちらちらと目を移す。思ったよりも豊富な量に驚いているようだった。

「……何か変わったことはなかったのですか?」

「え?」

 エリザは、あまりにも奇妙な仕え人の質問にとまどった。

 ――まさか最高神官のことを言っている? 

 質問の意味を一度で理解しないと、怒られてしまう。エリザが、再度質問を聞こうかどうか悩んでいると、仕え人は視線を落とした。

「いいえ、何でもありません。急ぎましょう」

 彼女はそういうと前を向き、二度と質問を繰り返さなかった。籠の中も気にしなくなった。

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