巫女姫の仕え人・3

 無言の糾弾は痛い。だが、それを声にするとさらに痛い。

 今までの仕え人は、無駄なことは何も言わず、冷たい視線ばかりを送ってきた。が、彼女は違った。

「半月もたっているのに、いまだ祈り言葉すら唱和できないなんて、巫女の資質を疑いますわ」

 エリザの服を整えながら、わかりきっていることをしつこくはっきりと言う。このように連呼されてしまったら、頑張ろうとする気力も萎えてくる。

 この女は、かつて巫女姫だった。

 ムテの純血を色濃く残していたので、マサ・メルが何度も巫女にと望んだ女だ。結局、子をなすことはできずに山を降りることとはなったが、山で過ごした時間は誰よりも長い。つまり、それだけ頭が固いと予測できる。

 自己を捨てさったはずの、画一的で個性のない仕え人たちではあるが、かつて歩んだ人生の経験というものは、はい捨てました、でなくなるものではない。

「あなたを巫女姫として徹底的に教育せよ、というのが最高神官サリサ・メル様からの命令でございます。足りない資質は努力で補いなさい。できないなどとは、言わせません」

 ぴしゃりと言い切る仕え人の言葉に、エリザはますます落ち込んだ。


 気が狂いそうだった。

 新しい仕え人は、朝起きてから夜寝るまで、エリザのすべてを観察し、細々文句をつけてくる。言動だけではない。座り方がだらしないとか、立ち姿が綺麗じゃないとか、肩をすぼめて下を向く癖は醜いとか……あげればきりがない。

 祈りに失敗した時も泣いてはいられない。あの寒い洞窟で一対一のきびしい指導が待っている。

「*@*@+……」

「違う!」

「*@*;*#……」

「違う! もう一度!」

「*@*……」

「気がこもっていない! 聞こえない!」

 彼女は、もうどうしようもないといいたげに首を振った。

 祈り言葉とは、音になる部分もあるが、たいがいは心の中で唱える言葉だ。心が萎えればそれだけ小さな響きとなる。声を張り上げれば聞こえる、というものではない。

 エリザはますます萎縮した。少しましなことといえば、仕え人は巫女姫とは違い、やや厚手の服を着ているので、巫女姫であるエリザにもストールを羽織ることを許してくれたことぐらいだ。

「時間の無駄です。今日はこれまで」

 エリザはよろよろ立ち上がり、仕え人の後に続いて祠を出る。その落ち込みに追い討ちをかけるように、彼女は立ち止まった。

「しゃきっとなさい。巫女姫はそのような歩き方をしてはなりません」


 母屋に戻り台所に入ると、仕え人はあっという間にパンを温め、薬湯を出す。窓から差し込む光を利用した日時計は、床にくっきりと時間を示している。

 いつもより早いのだ。永久に続いたのかと思ったほどに、長く感じられたのに……。

 エリザと仕え人は、向かい合ってテーブルにつき、遅めの朝食をとった。

「飲み込んではなりません。ゆっくりと噛んで食べるのです」

 食べ方まで見られていると思うと、喉がかさつき、つい薬湯で流し込んでしまうのだ。それを仕え人は見逃さなかった。

 その後の薬草学の勉強は、いつもはエリザの苦手とするところだが、この日ばかりはほっとした。指導するのは彼女ではない。また別の仕え人だ。彼女の視線から離れられたと思うと、いつもはきびしく感じる薬草学の先生も、なんだかかわいく見えてしまう。

 仕え人たちは名を捨ててしまっているので、役割でお互いを呼び合っている。

 たとえば、薬草学の先生は「薬草の」と呼ばれる。新しいエリザの仕え人は、この間まで「最高神官の」と呼ばれていたはずなのだ。今は「巫女姫の」と呼ばれているはず。

 エリザはふっと想像した。

 サリサ・メル様に対しても、彼女はあんな態度なのかしら? それはきっとないだろう。私が未熟ゆえにいじめるんですもの。

 開いた本が『竜花香』の項目を示している。エリザが香り苔ならば、最高神官は竜花香だ。希少価値の高い万病に効く薬草。

 細い指を思い出す――エリザはうっとりとしながら、竜花香の絵を見つめた。

 彼女がもっと優しかったらいいのに。そうしたら、サリサ・メル様のことをたくさん聞けるのに。

 何が好きなのかとか、どんな癖があるのかとか……私のことを何か言っていなかったかとか……。そこまで考えてエリザは赤面した。


 勉強が終わり、昼食の時間になった。

 が、なぜか仕え人は現われなかった。不思議に思いながらも、エリザはかつてそうだったように、一人で食堂に向かい、そこで食事係の世話を受けて昼食を済ませた。

 そして一人で部屋に戻り……直立不動の彼女を見つけた。

「あなたの授業態度を、薬草の者に聞いてきたところです。嘆かわしい!」

 エリザは真っ青になった。彼女は昼も食べずに、事細かにそのようなことまでチェックしていたのだ。

「心ここにあらず……。同じ質問を二度聞く。途中で理由なく微笑む。本は説明しているところを開いていない。他、うんぬん……」

 彼女はぎっしりと書かれたメモを読み、そのたびに、エリザは青くなったり赤くなったりしなければならなかった。

「私にとっても恥ずべきことです。午後からの薬草採りの実習は私が請け負いました。このような不真面目な態度は、二度ととってはなりません」

「不、不真面目なんて、そんな!」

 エリザは悲しくなった。

 今まで、資質がないと言われてきた。でも、巫女に選んでくださったサリサ様のためにも、絶対に負けないで頑張ろうと誓った。そして、耐えてきたのだ。

 それを不真面目……。

 自分なりに頑張ってきたのに……。

 まるで大好きな最高神官を裏切っているような言われよう。

「あなたには根気というものが足りないのです」

「わ、私なりに頑張っているんです!」

 エリザはこらえきれずにはじめての抵抗をした。しかし、耐えがたきを耐えるべきだった。

「これだから、未熟な子どもは困るのです。甘えるのもいいかげんにしてください」

 耐え抜いてきた涙がこぼれた。

 それは、エリザがまだ子どもだと証明してしまう涙だった。仕え人は軽蔑の眼差しでエリザを見ると、これ以上はいう言葉もないというように軽く首をふった。

「私は薬草採りの準備をしてまいります。少しお待ちください。これまでのことはよく反省し、二度とこのようなことがないよう胆に命じてください」

 扉が閉まり、彼女の姿が見えなくなると、エリザは床に崩れ落ちた。そしてそのまま号泣した。

 ――もう、嫌! 家に帰りたい!

 巫女としての資質もない。それを補うための努力をする根気もない。何もない。

 そこまで言われて、どうしてここにいることができるのだろう?

 どうして私なんか選ばれてしまったのだろう?

 私にはできない! 帰りたい!

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