巫女姫の仕え人・2
同じ霊山にいて、サリサとエリザは会うことがなかった。
それは、この霊山がいまだ前最高神官のマサ・メルの影響を色濃く残し、長年彼に付き添ってきた仕え人たちの意識も変わることがなかったからである。彼らは、巫女姫と最高神官は子どもを作る目的以外は会う必要はないと考えていた。
マサ・メルは、非常に合理性を重んじた厳格な神官だった。彼はムテを維持する力を温存するために、余計なことは一切しなかった。医師たちに巫女姫の体の周期を予測させ、徹底的な管理体制のもと、ムテ人では異例の百三十五人もの子孫を残した。
そこに愛という観念はない。いや、むしろその感情を嫌っていたのでは? と思うほどの徹底ぶりなのである。仕え人たちも皆、それにしたがっていた。
元々、仕え人たちは、高い能力と知識を持ち合わせている。地方の神官だったり巫女姫だったりした者が、時を終え、死に場所を探してさまようかわりに山に篭るのだ。彼らは自分の名を捨て、家族を捨て、すべてを捨てて、ただ最高神官に仕えるためだけにこの世に残っている。霊山の力が彼らを保っているだけで、山から下りてしまえば、時を終えたムテとして散ってしまうのだ。
ただひとつの目的のために、姿を残している仕え人に自分というものはない。彼らにとって、目的のためだけを重視するマサ・メルの方針は、とても理にかなっていた。
エリザは泣きはらした目を見られないように、そっと母屋に戻ってきた。
食堂にはもうだれもいない。台所に残され固くなったパンを、立ったまま口にほおばり水で流し込む。それで朝食をおしまいにして部屋に戻り、医師の診察を受けねばならない。むせて涙が出てきてしまう。
気が重かった。
部屋で待っているだろう医師は男で、エリザの身の回りの世話をする仕え人も男。すでに時を終えた彼らにとって、性別は何の意味もないことだが、それでもエリザは嫌なのだ。
はじめて医師に内診された時、エリザはショックのあまりに卒倒し、仕え人の冷たい看護にさらされた。その時の恐怖が、そのまま性交への恐怖と繋がってしまった面もある。大事な夜をふいにして、エリザの巫女としての立場はますます悪くなっている。
もうさすがに医師の検査で卒倒することはないが、歯を食いしばって我慢しなければならないほどに痛いし、怖い。その辛さをわかってくれる人は誰もいない。
そして……。胸がドキドキする。どうしよう……。
医師は、エリザが妊娠できる状態にあるかどうかを確認するために来るのだ。結果がよければ、今夜明日にでも最高神官と再び会うこととなる。
あれから一度も会えていないのに。
「無理ですね」
医師の一言はそっけなかった。エリザは月病みが始まったばかりの少女だ。大人の女とは違い、体の周期が不安定で予測がつきにくい。医師は眉をひそめる。
エリザはほっとする反面、どこかでがっかりした。
会えないのが寂しい。でも、あの黒い八角の部屋では会いたくない。
会うならやはり、あの香り苔の洞窟で会いたい。
偶然会った洞窟で、エリザははじめて最高神官サリサ・メルと言葉を交わし、ほのかな恋心を抱くようになった。サリサもエリザを気に入っているように思われた。
その洞窟でまた会えると、エリザはそわそわした日々を送っていた。
しかし、いつもは薬草採りのはずの時間を、何かを察したのか、エリザの仕え人は別の予定を立ててきたのだ。意地悪としか思えない。
エリザがやっと一人でその洞窟を訪れたのは、サリサと会った日から一週間後。
洞窟に最高神官の姿はなかった。岩の上に広げた香り苔が、充分乾燥しきっていてほのかに香りを漂わせていた。
なぜか悲しくてじわりと涙がわいた。
あの人は、ここに来てくれていたのかしら? それとも、あれはただの挨拶代わりだったのかしら?
エリザは岩の上に身を投げ出した。香り苔をベッド代わりに、しばしうとうととまどろんだ。
「いい香り……」
そうひとりごとを言って切なくなる。あの時、サリサ・メル様はなんと言っただろう?
――枕に入れるといいですよ。
そう、とても優しそうな笑顔で……それから?
――香り苔でもいいのです。
エリザは平凡な少女だ。巫女にふさわしくないのかもしれないと、何度も自分を責めていた。たぶん「あなたは素晴らしい」といわれたところで、かえって落ち込んでしまっただろう。最高神官は極上の笑顔で、香り苔でもいいとおっしゃった。それは、エリザが摘んだ薬草のことを言っていたのだが、エリザは自分のことを言われたような気がして、とてもうれしかったのだ。
「聞いているのですか?」
突然の声に、エリザはびくっとした。声は仕え人である。
すっかり思い出に浸ってしまった。エリザはあわててこくこくうなずく。
「……ということで、サリサ・メル様のご命令で、私はあの方の担当となります。これからは、この者があなたの担当になります」
突然の仕え人の配置換え。それも最高神官命令だという。
エリザは一瞬期待した。
サリサ様は、うすうす私が辛い目にあっていることを知っている。だから、少しでも気のあいそうな仕え人を私に回したのでは? そのために、私の担当を自分の下へと引っ張ったのかも? そう考えたのだ。
しかし、紹介された女を見て、エリザはみるみるうちに落胆した。
他の仕え人たちと変わらない人形のような顔、銀の髪、銀の瞳。しかし、立ち姿が際立っていて凛としている。目付きが鋭く、口元がしまっていて、いかにも自尊心が高そうだ。
――かつてそのような馬鹿げたことをした巫女姫はいませんでした。
大失敗の夜を冷たい言葉で批難した女がそこにいた。
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