Born Legend
snowdrop
Saturday, February 17, 2018
十三時九分。
最終グループの六人がリンクに入っていくと、気の抜けていた江陵アイスアリーナ内の雰囲気が一変した。トイレの順番待ちに並んでいた人たちも戻り、一気に応援がはじまる。
紹介される選手たちはさながら戦士のようだった。
なぜなら彼らにとって、氷上こそが闘技場なのだから。
王者として君臨しているのは、国内四冠、世界三冠、前回のソチオリンピックチャンピオンの羽生結弦、二十三歳。
華奢で繊細な身体からは、他の選手を圧する気迫が満ちていた。
二〇一七年十月のロシア杯同様、今回も陰陽師・安倍晴明にちなんだ平安装束の狩衣をイメージした衣装を着ている。三代目となるこの衣装、以前よりも派手さが増していた。
背中には陰陽師の象徴、五芒星が金色に輝いている。
襟元の色も外側から紫、金、緑、白の順となり、白くて薄く透き通る紗に流雲のような涼しげな唐草模様が施され、肩から下方に向かって流れるように着けられた金と銀、黒のラインストーンが煌めいていた。
前日の十六日に行われた出場選手三十人による男子ショートプログラムにおいて、羽生は自己ベストに迫る111.68点で首位に立った。
曲目は、ショパン「バラード第一番」。
静かなピアノの音色に合わせて滑り出した二十秒後、羽生が跳んだ四回転サルコウは、軸が乱れることなく、しなやかに降り立った。出来栄え点は2.71点。九人の審判のうち六人が満点の「3」を評価したほどの美しさだった。
二つの四回転を含んだ三つのジャンプを決め、指先まで神経を行き届かせて滑り、ぶれず、速いスピンを回りきったのだ。
怪我から復帰してやってくれると信じ、応援してきた人たちの想像を遙かに超えた演技に、号泣した者は少なくなかった。
そんな羽生を追いかけるのは、同じクリケットクラブに所属し、オーサー・コーチをチームリーダーとするチーム・ブライアンの指導を受けているハビエル・フェルナンデス。
世界選手権を二度優勝している彼は、107.58点で二位にいる。
そして、宇野昌磨が104.17点の三位に着けていた。
ファイナル王者のネイサン・チェンは、82.27点の一七位と出遅れている。
六分間練習がはじまった。
羽生がジャンプを決めるたび、日本から駆けつけたたくさんの観客から拍手と歓声があがる。
平昌オリンピックを迎えるまでに過ごした時間は決して楽なものではなく、傷だらけの四年間だった。
二〇一四年十一月、中国杯の六分間練習で中国選手と激突、出血した頭部に包帯を巻いて本番を滑りきった。演出後、あごを七針、右側頭部を三針縫った。翌日帰国して受けた精密検査の結果、頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫で全治二、三週間と診断をされた。
全日本選手権では三連覇を達成したものの、グランプリシリーズ時より続いていた腹痛の精密検査の結果、尿膜管遺残症との診断結果により翌十二月に手術を受けた。
二〇一六年春には左足の靱帯を痛め、左足リスフラン関節靭帯損傷により全治二ヶ月と診断を受け、リンクから遠ざかる。
グランプリ・ファイナル四連覇や世界選手権制覇を成し遂げた彼に再び悲劇が襲ったのは二〇一七年十一月十日に行われるNHK杯前日の九日、大阪市中央体育館で行われた公式練習での出来事だった。同月に成功したばかりの大技、四回転ルッツに挑んで失敗、ひざが内側に折れ曲がるような不自然な姿勢で着氷してしまったのだ。右足関節外側靱帯損傷と診断され、氷上に立てない日々が続いた。
オリンピック出場も危ぶまれたが、一カ月前から練習を再開できるまでに回復した。
ただし、練習での四回転サルコウは安定感を欠き、降りたときにバランスが崩れて尻もちをついてしまった。
見る者に一抹の不安を残し、直前の練習が終わる。
リンクサイドへ戻っていく選手たちの中、第一滑走のドミトリー・アリエフ選手(十八歳)がリンクに残った。
ショートプログラムで彼は冒頭、四回転ルッツ+トリプルトウループの二連続ジャンプを成功させ、ノーミスでパーソナルベスト98.98点を出して五位にいた。
曲目は、ザ・シネマティック・オーケストラの「トゥ ビルド ア ホーム」。
フリー冒頭、滑りながら壁に当たってしまうも、四回転トウループ+トリプルトウループは着氷。二回目のジャンプ、四回転トウループで転倒してしまった。腰を打ち付けた痛みのせいか、次のトリプルアクセルに影響してしまい、転倒してしまう。後半、疲れが出てスピードも落ちてしまったものの、最後まで滑りきった。総合得点267.51点で暫定三位になる。
二番滑走は、直前に行われた四大陸フィギュアスケート選手権で優勝を果たした、金博洋選手(二十歳)だ。
ショートプログラムでは最終滑走で滑り、冒頭の四回転ルッツ+トリプルトウループを跳び、自己ベストの103.32点を出して四位にいた。
曲目は、ホルストの「火星(『組曲 惑星』より)」と映画「スターウォーズ」をミックス。
フリーでは冒頭の四回転ルッツを壁際で成功させると勢いに乗り、四回転トウループでは転倒したものの、三度も四回転ジャンプを着氷する好演技を見せた。コミカルなステップを滑り、彼の表現技術が観客の目を引きつけた。
演技終了後には右手のガッツポーズが飛び出し、総合得点297.77点でこの段階で首位となる。
三番滑走としてリンクに立ったのは、前回ソチオリンピック銀メダリストのパトリック・チャン選手(二十七歳)。
フィギュアスケート団体では、悲願の金メダルを獲得した。
ショートプログラムでは冒頭の四回転トウループを成功させたものの、課題のトリプルアクセルジャンプは回転不足で転倒、90.01点で六位だった。
曲目は、一九九七年に三十歳の若さで亡くなったアメリカのシンガーソングライター、ジェフ・バックリィの「ハレルヤ」 。
静かでスローな曲調をなぞるように滑り出す。
冒頭の四回転トウループを着氷させるも、コンビネーションの二つ目はトリプルトウループがダブルに、四回転トウループがトリプルになってしまう。その後のトリプルアクセルは手をつきながら着氷させたが、つづくトリプルループがダブルになってしまった。
総合得点263.43点。
ジャンプにややミスが出たものの、美しいスケーティングを見せたこのフリーが、彼にとって現役最後の試合となった。
四番滑走の羽生結弦選手がリンクに入る。
この段階で一位は金博洋選手、二位は四回転ジャンプを六回挑戦し五回を完璧に成功させたネイサン・チェン選手(十八歳)、三位は今シーズンがシニアデビューのビンセント・ジョウ選手(十七歳)だった。
彼らを抜き、後続のハビエル・フェルナンデスと宇野昌磨にも勝つには、総合得点300点をはるかに上回る高得点が必要だ。
足ならしを終えた羽生は、リンクのフェンス際にいる、スーツ姿の恰幅のいいコーチたちの元へもどった。
ケーキデザインのティッシュボックスに手を伸ばして鼻をかみ、ペットボトルのドリンクを口にする。
ブライアン・オーサー・コーチとうなずき合って手を握る羽生は、隣のジャンプコーチ、ジスラン・ブリアン・コーチにも右手を差し出す。手と手が合わさる音が響き、ジスラン・コーチが羽生の手を両手でぎゅっと包み込む。
昨年の練習中に右足首を怪我したとき、靱帯損傷と診断されていたが、一カ月後には骨と腱にも炎症がみつかり、二カ月もリンクから遠ざからねばならなかった。
羽生の筋肉が一カ月で回復することを見越し、オリンピック本番より一カ月前の一月十六日から練習をはじめた。最初はスケート靴を履いてリンクに立つだけ。翌日は軽く滑るだけ。練習再開から一週間で三回転や四回転ジャンプが跳べると思われていたが、現実は違っていた。
ジャンプ練習の再開を伸ばせば伸ばすほどオリンピックは近づき、不安が増していく。再度痛めたら、連覇の機会が失われてしまう。調整には慎重を要していた。
オリンピックに間に合わせるため、痛み止めを飲んで練習することを羽生は決意した。たとえどんなに痛くなろうともこの先歩けなくなったとしても、絶対に金メダルを獲らねばならない使命感と強い意志だけがあり、諦める選択肢は浮かびさえしなかった。
元の状態に戻ろうと賢明に練習する中、羽生はトリプルアクセルを跳んだ。ジャンプが跳べたのである。くり返し練習してきたことを、身体が覚えていたのだ。トリプルアクセルは三週間前から、四回転ジャンプは二週間前から練習を再開。その過程を見守ってきたのが彼、ジスラン・コーチだった。
観客席からは、静かに歓声が起きはじめていた。
コーチと視線を交わしたあと、羽生は手を離し、フェンスに両手をかけてしゃがみ、かるくフェンスを叩いてから滑り出していった。
沸き上がる大歓声の中、リンクをゆっくり流していく。
ユヅル・ハニュー、と場内にアナウンスの声が響き渡る。
彼は両手を広げて滑り、中央へと回り込みながら、縦に手を動かした後、顔の前で横に「一」を書き、そのまま手を下へ動かし腰の高さでもう一度横に「一」を書くような手の動きをする。ジャンプを失敗しないよう、縦も横もまっすぐ、体幹と水平軸を確認するための大切な儀式だ。
十三時四十三分。
胸の前で手を合わせながら位置を決めて羽生は止まると、呪を唱えるかのような二本の指を立てた右手を胸の前にかざす。
静まりかえる館内。
観客たちは、祈るように見守った。
自らが吹き込んだ息の音とともに、太鼓と龍笛の音が鳴り響く。刹那、素早く左手を天へと向け、天地人を司る陰陽師・羽生結弦の怨霊退治がはじまった。
曲は、映画「陰陽師」より「SEIMEI」。
梅林茂の楽曲を七曲繋ぎ合わせ、羽生自ら編曲を手がけた。 日本人の羽生が演じるにふさわしい勝負曲を、世界が注目するオリンピックに選んできた。
にじり寄って行くような独特のステップ、フォアクロスロール。
陰陽師が代々受け継ぐ足さばき、「兎歩」と呼ばれるマジカル・ステップではあったが、いつもよりややゆっくりな滑り出し。
左足に履いた靴のブレードで氷を深く削り、舞い上がる。冒頭の四回転サルコウを鋭くきれいに決めると、悲鳴のような声援と拍手が湧き上がった。
右足で前向きに滑って二回ターンしつつ、内側のエッジから外側へと変わるイーグルをなめらかに流してターンで締める一連の動きは、秀逸を極めていた。
四回転トウループも跳ぶと、またも拍手と歓声が沸いた。
完璧に跳んだ二本の四回転ジャンプの出来栄え点は、満点だった。
次に、ソチ大会ではミスをした三回転フリップを跳べば、またも喝采が起きた。後ろ向きで右足の外側のエッジで着氷してから、流れるまま内側のエッジに変えてからターンを入れる。
まさに、最高の出だしだった。
スピンの中で基礎点が一番高い、跳び上がってから入るフライング足替えコンビネーションスピンを決め、ステップシークエンスへと続く。
時計回りに、前、後ろ、前、後ろ、ときれいに百八十度ずつ向きを切り替え、なめらかに滑りつつ右膝を曲げて左足を伸ばし左足のかかとのエッジだけで滑るムーブス・イン・ザ・フィールドを決め、両脚を横に広げてつま先を外に向けて開いた状態で腰を落とし、膝を外側に曲げたまま内側のエッジでベスティスクワットイーグルを滑って時計回りにターンする。
流れるような動きに観客の目は引き込まれていく。
逆時計回りに多回転するツイズルのあと、すぐに顔を上げて跳び上がり、左足のエッジをより外側に傾けて滑っては向きを変え、今度は時計回りのツイズルから異なる組み合わせからなるエッジワークがはじまる。
ジャッジ席前を練り歩くようなステップ、フォアクロスロールに観客の手拍子が重なった。
一つひとつステップを行いながらスピードが速くなり、見る者の感情が噴出するはずなのに、スピードが足らない。本来はもっと軽やかで、魔法のように舞っている。今日の滑りからは、氷にしがみついて滑ろうとする強い意志がひしひしと感じられた。
チリンと鈴が鳴り、スローパートがはじまる。
前半とは打って変わり、はんなりした雅な雰囲気のなか、後半の四回転サルコウ+トリプルトウループが決まる。
より強い歓声が沸き上がった。
勢いに乗ってこのまま行けばノーミスでいける。
一瞬の安心が、羽生の集中を切らせた。
得点源である四回転トウループ+一回転ループ+トリプルサルコウの三連続ジャンプが、最初の四回転トウループでステップアウトし、単独ジャンプになってしまう。
歓声が、落胆の悲鳴に変わった。
◇ ◇
試合当日の朝、羽生は公式練習へ行く前に、フリーの戦略を練っていた。
オリンピック前に考えていたジャンプ構成では、四種類の四回転が五本、トリプルアクセルも二本組み込まれていた。怪我から復帰したこの一カ月、考えていたジャンプを跳べるだけの体力と練習量は積んでいない。そのため、当初はループ、サルコウ、トウループの三種類の四回転ジャンプを跳ぼうと考えていた。得点の高いループは、現地入り直前に跳べるようになったものの、完成度に不安があった。
何を残し、何を削るのか。
ライバル、ハビエル・フェルナンデスと宇野昌磨の構成を、羽生は分析した。
フェルナンデスとのショートプログラムの点差はわずか四点。ただし、フリーで跳ぶジャンプは羽生よりも少ない三本。フェルナンデスがノーミスで滑りきれば高い点数を得られるかもしれないが、構成では負けていない自信があった。
七点差の宇野昌磨は、三種類四本のジャンプを跳ぶことを明らかにしていた。フリーの得点で負けることがあるかもしれないが、ショートとの合計点では勝てる自信があったからこそ、ループを外してサルコウで自分の演技をしようと決めた。
羽生は、前半の四回転サルコウと四回転トウループで出来栄え点を狙い、基礎点が1.1倍になる後半に高得点を狙える三連続ジャンプ、最後にトリプルルッツをプログラムに組み込んだ。
すべて回りきり、質のいい演技をすれば勝てる!
羽生には勝利の自信があった。
◇ ◇
三連続ジャンプが一本だけになってしまった。
得点を取りこぼし、羽生の計画が狂いかけたときだ。
観客から、応援の拍手がわき起こる。
その瞬間、羽生の瞳に闘志が増した。
続く二連続ジャンプを咄嗟に、トリプルアクセル+一回転ループ+トリプルサルコウの三連続ジャンプに切り替えた。
すぐにリカバリーするのが羽生結弦だ、といわんばかりに観客は歓喜の声を上げ、手を叩く。
これまでの試合で、何度も何度もコンビネーションの難度差で負けてきた経験が、負けない気持ちと意地でミスを挽回したのだ。
問題なくトリプルループは着氷し、最後のジャンプは怪我の原因となったルッツだった。
トリプルルッツを跳んで着氷した瞬間、リンクに顔が近づくほどバランスが崩れる。
三カ月前、公式練習で足首をひねったときとおなじ、転倒する降り方だった。
「あっ」
歓声に悲鳴がまざる。
だが、すぐにより大きな声援が湧き上がった。
信じられないことに、怪我明けの右足で持ちこたえたのだ。
固唾をのんで見守っていた観客の思いが、体勢を立て直させたかのようだった。
ルッツから、すぐにフライング足替えショットスピンを回りきると、和太鼓のリズムの中、気合いの入ったコレオグラフィックシークエンス、再び激しい怨霊たちとの戦いがはじまった。
最高難度のラストスパート。
エッジを深く倒し、体を非常に低い姿勢で水平に伸ばしながら両腕を大きく開いて滑るハイドロブレーディングが、氷上に結界を張る。
弓を射る動きなど所作を演じれば、観客の声がひときわ大きくなり、リズムにあった手拍子が会場に響き渡っていく。
羽生の目は、絶対に勝つという強い意志に満ちあふれていた。
上半身を反らしながらイナバウアーで暗雲を引き裂けば、またも観客から声が上がる。
神懸かったいつもの滑りとは別の、人間である羽生結弦の姿がそこにはあった。
怪我からこれほど戻してきた、と見る者に感動の涙を流させたショートプログラムとは打って変わりフリーでは、こんな状態だからこそ今できることを全身全霊を傾けてやりきろうとする姿を見せつけていた。
音楽をかき消すような歓声の中、最後に高速の足替えコンビネーションスピンを回りきる。
戦いの終わりを告げる太鼓の音ともに、印を切る両手を左右に広げ、足は地に、目は水平線を見据えて羽生の演技は幕を閉じる。
「勝った!」
最後に印を結んで式神たちを収める動きをし、右の人さし指を天にむかって突き上げた。
十三時四十八分。
演技直後、やや悔しそうな表情を見せた羽生だが、すぐ笑顔になる。
無数の日の丸の旗が揺れ、息もできないほど興奮した観客の大歓喜の渦に江陵アイスアリーナは包まれた。
リンクに黄色の雨が降るごとく、放物線を描いて投げ込まれていくプーさんぬいぐるみは、軽く百体を超えていた。そんなリンクの中央で、羽生は荒い息をしながらうつむいた。
「がんばってくれて、ありがとう」
ねぎらいの言葉とともに右足首を両手でさすり、立て膝をついてリンクにも感謝を込めて手をつき、三回やさしく触れた。
応援してくれた観客へ深々と頭を下げたあと、リンクサイドへ戻った羽生をオーサー・コーチが抱きしめる。喜びもつかの間、コーチは門下生のフェルナンデス選手の元へと急いで向かっていった。
キスアンドクライで点数発表を待つ羽生は、肩で息をしていた。その隣には、顔の丸いジスラン・コーチが座る。
プログラム自体素晴らしかったが、もっといい出来を羽生は期待していた。いくつかミスがあったのは否めない。ショートプログラムでは、ライバルに差はつけている。暫定トップになれるかもしれないが、演技構成点が高く出ない限り、チャンピオンになれるかわからなかった。
結果が発表された。
技術点109.55点、演技点96.62点、フリーの得点206.17点。
総合得点は317.85点を獲得。
金選手、チェン選手より20点差をつけ、羽生は首位に立ち、メダルを確定させた。
「ありがとうございました」
ガッツポーズする羽生は、ジスラン・コーチが差し出した右手を堅く握ると、抱き合い喜びを分かち合った。
だが、すぐに険しい顔になる。
まだ終わっていない。
これから、二人のトップスケーターが登場する。
羽生とカナダでトレーニングしてきた友人、スペイン人のハビエル・フェルナンデス選手(二十六歳)が、第五滑走者としてリンクに現れた。
初メダルを狙う三度目のオリンピックの彼は、ショートプログラムで107.58点を出し、羽生に続く二位にいた。
曲目は、「ラ・マンチャの男」。
スペインの作家セルバンデスの小説『ドン・キホーテ』をベースにしたミュージカル作品の選曲は、フェルナンデスの集大成となる勝負曲に相応しかった。
冒頭の四回転トウループを着氷させるも、つぎの四回転サルコウ+トリプルトウループでは、ダブルトウループになってしまう。羽生が出した得点のせいか、身体が少し堅くなってしまった。続くトリプルアクセル+ダブルトウループで、トリプルトウループを跳び挽回した。
だが、後半の四回転サルコウが二回転になってしまう。トリプルループ、トリプルアクセルを決め、トリプルルッツ、トリプルフリップ+一回転ループ+トリプルサルコウも着氷させた。演技後は少し悔しそうな表情を見せ、ひざに手を当てた。
総合得点305.24点で暫定二位となり、メダルが確定した。
最終滑走、全日本選手権二連覇をしている宇野昌磨選手(二十歳)の演技がスタートした。
ショートプログラムは大きなミスもなく、104.17点で三位につけていた。
曲目は、「トゥーランドット」。
二〇〇六年トリノオリンピックで荒川静香が使用して金メダルを獲った曲であり、欧米人にもよく知られる中国を舞台にした作品だからこそ、アジア選手がやるにふさわしい選曲だった。
演技冒頭、スピードに乗りきれず四回転ループで転倒した宇野からは、おもわず笑みがこぼれた。すぐに気持ちを切り替え、続く四回転フリップは軽やかに跳び、トリプルループを着氷させた。
後半、イーグルからのトリプルアクセルは出来栄え点で加点を得るジャンプだった。しかし、四回転トウループ+ダブルトウループは着氷が乱れてしまう。つぎの四回転トウループはきれいに決めて、トリプルアクセル+一回転ループ+トリプルフリップ、トリプルサルコウ+トリプルトウループも着氷させ、場内を沸かせた。
最後のコレオシークエンス、スピンまでスピードが落ちずに演じ切った。こぶしを振り下ろし、やや残念そうだったが、技術点は羽生を上回る111.01点を獲得。
総合得点306.90点で、二位となる。
宇野の演技を控室でみていた羽生は、連覇が決まった瞬間、肩が震えて涙があふれた。同じクラブの、フェルナンデス選手の銅メダルが決定した瞬間でもあったのだ。
泣きながら羽生は、フェルナンデス、オーサー・コーチ、共同リーダーのトレーシー・ウィルソンと抱き合った。
羽生自身の気迫のこもった演技はさることながら、怪我でこれまでどおりの練習ができない中、オリンピックに照準を合わせ、コンディションを上げて調整し、支えてきたトレーナーやーコーチたちの組織力が実を結んだ勝利だった。
「あなたにチャンピオンになってほしかった」
羽生は、フェルナンデスに思いを告げた。
ソチオリンピックのとき、フェルナンデスはメダルを取れず悔しがっていたのを、同じクラブにいる羽生は知っていたのだ。ライバルの彼がいたからこそ、拠点をカナダのトロントへ移し、六年間ずっと共に練習をして高め合ってきた。彼がいなければ、金メダルを獲れなかったかもしれない。
「王者は一人だよ。二人一緒にチャンピオンにはなれないんだ」
そう応えたフェルナンデスから、これが最後の五輪だと告げられ、羽生はまた泣いた。
フラワーセレモニーで、表彰台中央に飛び乗った羽生は、二〇一八年平昌オリンピック、フィギュアスケート男子一位となり、今大会の日本選手団最初の金メダリストとなった。
ソチオリンピックに引き続いての男子シングル連覇はフィギュアスケート界において、一九四八年のサンモリッツオリンピックと一九五二年のオスロオリンピックを制したアメリカのディック・バトン氏以来、六十六年ぶりの快挙であり、冬季オリンピックの個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初だった。
さらに羽生が手にした金メダルは、アメリカのチャールズ・ジュートローが一九二四年の第一回シャモニー・モンブランオリンピック、スピードスケート男子五〇〇メートルで第一号金メダルを獲得して以来、冬季オリンピック通算一〇〇〇個目であると公表され、彼の名はオリンピックの歴史に刻まれた。
Born Legend snowdrop @kasumin
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