第3話 風の悪戯

 東京中野に雌雄鑑別所がある。通称、“夜泣き館”。深夜ヒヨコでも人間でもない声が聞こえてくる、と高校生達の間で話題になり週刊誌で取り上げられたこともある。“ふ化したばかりのヒヨコの雌雄を瞬時に判別する専門家”を育成する専門学校を卒業した者の多くがここに世話になる。そして僕もその1人だ。


 先輩と仲良く飲みに行くようになったのはここに勤めて1年半が過ぎた秋。その夜も冷たい木枯らしが吹き“夜泣き館”の窓を叩いていた。行き場を失った亡者がささやかな温もりを求め隙間を探しているように。


 「勝悟くん。さっきからあそこがムズムズする。どうも梅毒やクラミジアじゃないらしい。借金取りが外で待ち構えているのとも違う。俺が思うにこれは神様からの啓示だと感じるんだけど、どう思う?」

 週報を記入していた僕はペンを止め、本当にこの人はバカだなぁと思った。でも、決して憎めなかった。いや、むしろ親しみを覚えていた。カピパラに似ている人間らしいこの人を。いつか立川談志がテレビで言ってた。人間は、食って、寝て、やったら終わり。先輩は先人の教えを忠実に守る為に借金を重ねているのかも知れない。

 

 「で、その神様は何とおっしゃっているんですか?」

 僕は真顔で聞く。税務署の職員が確定申告にやってきた人に接するように。


 「うむ、それはだな、泣き声が呼んでいる、だ。つまり俺たちはその鳴き声の主にご招待されてるってこと。主は地下にいる。断言できる。今行かなきゃ絶対後悔する!」

 先輩は股間を手でギュッと握り満面の笑みを浮かべた。モテない男子中学生がそうするように。


 泣き声・・・きっと風のせいでしょう、あるいは噂が噂を呼んだだけで、何も声は聞こえないのかも知れない。もしかすると、先輩の脳に梅毒の菌が入り込んで、頭がおかしくなっただけかも。

 一瞬、そう頭をよぎったが言葉には出さなかった。もちろん顔にも。

 僕は今夜、気分が良かった。お昼に食べた食堂のサバ味噌がアタリだったからかも知れない。ルーティンワークに飽きてた、というのもある。それにちょっとくらいハメを外したって罰は当たらないだろう、と安易に考えた。


 「いいでしょう。行きましょう」


 「そうと決まったら週報なんかほっといてさ。とっとと降りようぜ」


  夜泣き館の地下には大量のヒナ達が厳重に保管されている。幾重にも重ねられ、綺麗に整頓された長方形のプラスティック・ケースではヒナ達が大合唱していた。


 先輩に先導され歩みを進めると地下室の一番奥まった場所にステンレスの古びた扉があった。地下で何らかの工事が行われたという記憶はなかったので、僕は強い好奇心に駆られた。


 「俺が見つけたんだ、勝悟くん。この扉はここにいる誰もが知らない秘密の扉なのさ。何しろ普通の奴らには見えないんだから。でも勝悟くんには見える。つまり、声の主は求めているってこと」


 

 「すみません、先輩。ちょっと何言ってるかわからないです」


 「無理もないさ。よくわからんドアに、風の悪戯だと思われてた声の主。信じられないだろ?そりゃそうさ。俺も最初はそうだった。論理的な勝悟くんにはとても耐えられないお話さ。信じられるか信じられないか、さぁ開けてのお楽しみ」


 ドアは音もなく簡単に暗闇を覗かせた。


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ひよこの親玉 よもぎもちもち @yomogi25259

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