第2話 忍び寄る声

 新中野にある見栄えのしないバーで僕はイーグル・レアをダブルで飲んでいた。

 「クセのあるウィスキーを呑む奴はたいていセックスが淡白なんだよねー、でも君はちょっと違うのかな?」

 レイカと初めてセックスした夜、このバーで彼女にそう言われたことを思い出した。


 僕は今、1人でカウンターに腰掛け、雌雄鑑別師になる為の専門学校時代に知り合った先輩を待っている。

 先輩と言っても決して褒められた部類の人間ではなく、オンラインカジノやFXにはまって大きな借金をしていたり、腕利きの風俗ライターばりにあっちの世界に詳しい。風営法の内側にある店も、外側にある店も。

 ちなみに僕は風俗へは一度も行ったことがない。女性に不自由したことがないのも理由のひとつだけれど、どうしても金で女を買う気にはなれなかったのが大きいのかも知れない。

 関係を持った女性が離れていくまで、僕からその縁を切るようなマネをしたことは今まで一度だってない。ただ不思議なことに、その繋がりが向こうから切られると、次の女性が自然と僕の前に現れた。そして、そんな女性は僕に強い好奇心を持った。レイカはその14人目の相手だ。多分。



 「おお。やってるなぁ、勝悟くん」

 寝ぐせのひどい、パッと見40代の無精ひげ。カピパラに似た面長の顔。ピチピチのピンク色したポロシャツにガラガラ蛇のようなド派手な布ベルト、だらしないヨレヨレのハーフパンツ姿で先輩は現れた。ちなみに先輩は僕の1つ上、29才だ。


 「お待ちしてました、先輩。“いつも”通りですね」

 先輩はいつも15分くらい遅刻してくるので、若干の皮肉を込めたが、それが届いているのかは分からない。恐らく届いていないだろう。 

 

 「俺は沖縄時間だからしょうがない!それより、レイカちゃんは来てないの?」

 僕は呆れた。大事な話があるから1人で来い、と言ったのはこの風俗狂いなのに。先輩は返事を待たずに僕と同じものを注文した。


 「実はな、勝悟くん。例のヒヨコの親玉なんだけど、とうとう動き出したみたいなんだ。俺は嫌な予感しかしない。そして、嫌な予感は良い予感よりずっと高い確率で当たる。経験上、間違いない。嬢を選ぶ時だって嫌な予感したらステイだ。良い嬢を探し当てるまで、忍耐強く待たなくちゃならない。」


 僕は話の後半部分を無視して言った。

 「いつからです?ヒヨコの親玉。そんな動きがあるような気配すらありませんでした。それに待つってどういう意味です?」


 「そうだねぇ、今日の午後にはその兆候が見られた。というより、俺自身にそういう変化があった。見える?これ」

 先輩は大きなスヌーピーがペイントされているポロをめくった。ちょうどみぞおちあたりに“3本”のヒヨコの足跡がくっきりとアザのように浮かび上がっていた。

 真ん中の1本が15cm、左右2本が11cm程度。一般的にイメージされるヒヨコの足跡の何倍も大きい。


 僕は珍しい骨董品を見つけた古物商のように先輩に刻印されたその足跡を見つめた。


 「勝悟くん。人間はいつか必ず死ぬ。誰一人として例外はない。キリストだって、釈迦だってそう。あのドナルド・トランプ君だっていつかあの世に送られちまう。100パーセントね。俺は人間であるうちに、こうして面と向かって話しておきたかったんだ。今後、イーグルアイに勝悟くんが口をつける時、たまにでもいい。頭の片隅に人間であった俺の姿を思い出してもらいたいから」


 ヒヨコの親玉がどこかでささやく

 「ズンズクズクズン」

 


 


  

 

 

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