相合傘で笑いあおう

くちもち

くるくる、くるくる、まわる傘



 朝食を取りながら見た天気予報は、曇り時々晴れ。6限目の体育の授業の時は、厚く重そうな雲が垂れさがった空模様だった。時々晴れ、と言っていたが太陽が顔をのぞかせたことは今日一日で一度もない。


 今日の体育の授業も、僕はそれなりに活躍して、女の子たちにもかっこいいと言われた。普段は僕の事を女の子みたいとか、可愛いとか言う女子たちも、スポーツをしているときだけは、かっこいいと言ってくれる。だから体育の授業は好きだし、終わった後はすごく満足した気持ちになる。今日も帰りの会をニコニコと溢れる笑顔で過ごした。心が満たされていたこともあり、誰に頼もうか困っていた先生に自分から声をかけて、資料室の整理整頓のお手伝いを引き受けた。先生は手伝ってくれたお礼だと言ってこっそり飴玉を一つくれた。今日はなんだかいい日だな。そんな風に思っていた。手伝い場所の資料室から出るまでは……。


 雨が花壇の花やレンガ、校舎の壁に強く叩きつけられ、勢いそのままに小躍りしている。窓から見える外の様子に、先ほどまで浮ついていた空良の気持ちが飛沫と同じように一気に地面に叩きつけられた。

「……どうしたんだよ?」

「鳴海。アレ、みてよ。あの雨」

 遅れて資料室から出てきた鳴海は、先ほどと違って、隣にいるしょぼくれた空良を不思議に思い、声を掛けた。返ってきた言葉は、廊下の窓。そこから見える大雨を指す内容だった。

「? 雨がどうかしたのか」

 なぜ、空良が落ち込んでいるのかわからないという声。きょとりとした目が、窓からすぐ横にいる空良に移動する。

「もしかしてお前、傘持ってきてねぇの?」

「……持ってきてる」

「じゃあ、別に雨降ってても帰れないってわけじゃないじゃん」

 自分より頭一つ分下にある空良のつむじを見ながら言う。

 空良は同じ男とは思えないほど綺麗な顔をしていた。女子たちがよく空良のことを「空良ちゃん」なんて呼ぶくらいだし、何かあるたび、可愛いだの、女の子みたいだのと言っている。本人はそれがとても嫌だと言っていた。同じ男として、女みたいだと言われるのは確かに嫌だが、こいつの場合は、綺麗な顔をした男をどう褒めたらいいのか分からない女子たちが一生懸命考えた結果による、可愛い。だと思うのだ。まぁ、それはあくまで第三者からの視点であって、当の本人はどんな理由があれ、嫌なものは嫌なのであろう。

 ぶすっと唇を突き出している空良の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。

「ちょ、なにするの、鳴海!」

「お前、そんな顔してると、また可愛いって言われるぞ」

「!」

 鳴海の言葉でハッとする。男にしては色の強い赤い唇をムスっと突出し、頬をうっすら林檎色に染め、長くカールしている睫毛を少しだけフルフルと揺らしていた自分が廊下の窓に映っていた。その表情は、一週間前に観たアニメ映画の、少しわがままなお姫様みたいだで、がくりと肩を落とした。視界に入ってきた鳴海と自分の足の大きさの違いに、さらにへこむ。

「傘があるなら、早く帰ったほうがいいぜ」

「鳴海は?」

「おれは少し先生に用事があるんだ」

「ふ~ん」

「たぶんこの雨やまないよ。天気予報は曇り時々雨だったから」

「えっ!?」

 空良は色素の薄い焦げ茶色の瞳を零れ落ちそうなほど開き、こちらを見る。口も少しだけ開いていてピンク色の舌が見えた。

「曇り時々雨? 僕がみたのは曇り時々晴れだったよ!」

「空良が見たのってテレビ?」

「うん」

 こくりと肯き、大きな瞳で見上げてくる。

「今時テレビの天気予報は当てにならないって兄ちゃんが言ってた」

 今朝父親に送ってもらった車の中で、高校生の兄がスマートフォンを弄りながら言っていた。アプリの天気予報・雨レーダーによると、夕方近くに大雨が降るとのことだった。そのため、自分も兄も車に置いてあった傘を持って下りた。

「そのアプリ? っていうのには、雨は止まないって書いてあったの?」

「うん。それどころか夜になるにつれ激しさを増しますって。だからもう用事ないならさっさと帰った方が良いよ。俺も早く用事終わらせて、これ以上激しくなる前に帰りたいし」

 そういうと、鳴海は下駄箱とは反対にある職員室に向かって歩き出した。






 空良は下駄箱で上履きから外履きに履き替える。下駄箱前には少しだけ階段があり、そこには屋根がある。そのギリギリ、雨に濡れない位置で、今朝姉に、無理やりランドセルに押し込まれた折りたたみ傘を開く。バッという音と視界を遮った傘は藍色の生地にピンク色の桜が舞っており、白猫や白兎、白い小鳥など、白色で動物がところどころに描かれていた。派手なデザインではないが、傘を一周するように描かれている桜や動物は十分に愛らしく、教室で女子が可愛いと口々に言いながら読んでいた雑誌のデザインに似ていた。

 空良も、隣の席の子に「可愛いと思わない?」と聞かれて少しだけ雑誌を見せられていたので、こういうデザインは女子に受けがいいと知っている。

「もぉ~なんでなの、姉さん……」

 

 姉は天気予報を見ていたが、リビングの窓から見える空の様子で、もしかしたら雨が降るかもしれない、と声をかけてくれた。でも、体育の授業がある日は普段よりも少しだけ荷物が増える。さらに増えるのは嫌だと言って空良は傘を持って行こうとしなかった。だから、悪いのは自分であって姉ではない。けれども、なぜ空良の傘ではなく姉さんのを入れたのだろうか……。

 じっと激しく降る雨を見つめる。正門が、少しだけ白っぽく見える。手元の折りたたみ傘を見る。折りたたみ傘は少しだけ、この雨脚には頼りない気がする。

 何度か雨と折りたたみ傘を交互に見ていると、どうせ折りたたみ傘を差したところでこの雨なら濡れてしまうだろうという気持ちが強くなってきた。同じ濡れるなら傘を差さずに走って帰ってしまえばいいのではないか、とさえ考える。

「そうだよ、そうすればいいんだ」

 丁寧に折りたたみ傘を畳んで専用の布袋に入れる。六限目が体育だったので着ているのは体操着だ。今更ちょっと汚れたところで問題ないはず……。


 ぐっと足に力を入れて駆け出そうとしたしたちょうどその時、後ろから空を呼ぶ声が聞こえた。

「空良~~!」

 振り向くと廊下を小走りで走って来る鳴海がいた。

「鳴海?」

 空良は足から力を抜いて、靴を履きかえている鳴海をぼんやり見つめる。コンコンっとつま先を軽く打ち付け、よし、と呟いた鳴海はガシャンと傘立てから乱暴に傘を取り出した。

「まだ残っていたみたいだから、一緒に帰らないかって思ってさ」

 ニカッと笑う。空良よりも高い位置にある顔。自分も鳴海みたいに大きくなれば可愛いなんて女子にからかわれないかな。なんてふと思う。

「それに、空良ってば傘はちゃんと持ってるって言ってたのに、差さずに走って帰ろうとするから思わず声かけちまったわ」

「ご、ごめん……」

「別に、濡れる前に止められたからいいよ」

 なぜ謝ったのかは自分でも良くわからない。けれど、鳴海に言われると、悪いことをした気持ちになった。鳴海は同い年で友達だけど、どこかお兄ちゃんのように感じる。自分に兄はいないけど、たぶんいたら鳴海みたいなんだろうと思っている。クラスの子たちもそう思っているらしく、以前鳴海本人に兄のようだと伝えている人もいた。その時鳴海は、上に1人兄がいて、下に1人保育園児の弟がいるっていってた。それに、確か、「たぶん俺の行動って兄ちゃんの真似してるところもあるんだよな~。兄ちゃんすげー面倒見よくってさ、俺もそうなれたらな~って思ってるんだ。まぁ、ちびっこい弟もいるし、自然とそうなっちまってるのかも?」って笑い飛ばしてもいたっけ……。

「で?」

 ボーっとしていた空に、鳴海の声がかかる。

「手に持ってるように見えないけど? 傘持ってるっていうのはもしかして嘘だった?」

 ボフォッという音を立てて開かれた鳴海の傘はとても大きかった。子供二人が入ってもまだまだ余裕がありそうだ。

「あ、俺の傘、大きいな~って思っただろ?大きさ70cmなんだ。この大きさならランドセルも濡れないし、結構雨しのいでくれるんだぜ」

 手前でくるくると回される傘は、真っ黒な色をしていた。

「もし傘がないなら、一緒に入る?」

「え?」

「この大きさなら俺とお前でも問題ないと思うから」

 こてっと首をかしげる鳴海。その鳴海を見上げる空は、どうするべきか悩んだ。

 自分は折りたたみ傘を持っている。けれど、可愛らしいデザインだから使いたくないという理由で濡れて帰ろうとしていた。そんなことを知らない鳴海は、空良を心配して気を利かせてくれている。

「僕は……」

「うん」

「その、傘はちゃんと持ってるから、大丈夫」

 スッと視線を地面に下ろして俯きながら応える。鳴海の顔が見えなくなり代わりに靴が見える。足の大きさもやはり自分と違う。

「傘あるのに、差さないの?」

「えっと……」

「ないならないって言っていいんだぜ?」

「それは……」

 言っていいのだろうか。可愛いのを使ってるところを女子に見られるのが嫌なのだと。だから傘を使わずに帰るなんて、そんな……。

「もしかして、傘を使いたくない理由がある?」

 ブファ~と、傘をくるくる回していることで風の音が聞こえる。

「あ!もしかして、傘壊れてたりとか? ん~でもそしたら持ってるなんて言わないか。じゃあ、なんだろう……」

 ムムッと考える鳴海。横から一向に動く気配がない。

「……壊れてなんかないよ。ただ折りたたみ傘だからこの雨だと頼りないなって思っただけ」

「あー確かにそれは思うかも。でも、だからって傘差さない理由にはならないよな……?」

「――から」

「え?」

「傘が、お姉ちゃんのだったから」

「は?そんな理由で濡れて帰ろうとしたの?」

「そんな理由って!! 僕にとっては大問題だよ! 可愛いって、ただでさえ女子にからかわれてるのに、もし僕が女物の傘なんか差してるとこ見られたらもっとからかわれちゃうだろ!!」

「お、おう」

「鳴海は大きくてお兄さんみたいって言われてるからわかんないかもしれないけど!僕としては大問題なんだよ!」

 ぐぬぬっと唸り声が聞えるように下から睨みつける空良。鳴海からしてみると体格差のせいでそれほど怖くはないし、兄と取っ組み合いの喧嘩の経験もあるので何とも思わない。けれど、空良の必死さや、普段の女子の言葉を考えると、自分の発言が軽率だったと感じられた。

「ご、ごめん。空良がそのこと気にしてるって知ってたけど、それと傘が何で関係してるんだろう、って思ったんだ」

 眉尻を下げて真っ直ぐに見つめてくる鳴海に、空良もハッとして謝る。

「僕の方こそ、八つ当たりして……ごめん」

「ハハ、別にいいよ。俺が無神経ってやつだっただけだから。だからさ、ごめんの証に一緒に傘はいれよ」

「え?」

「どうせ方向は一緒なんだ。一緒の傘使えば空良は濡れずに帰れる。この大きさだから俺と一緒に入ってもランドセルまでばっちりカバーできるんだ。問題ないだろ!」

「でも」

「ごめんなさいの証だって言ってるだろ!気にすんなって!それで仲直りってことにしようぜ!」

 くるくる、くるくる。

 鳴海の背後で大きな傘が回る。空良が「うん」と言えば、ピタリと止まり、中棒が二人の間に真っ直ぐ立たされるのだろう。

 くるくる、くるくる。くるくる、くるくる。

「じゃあ、その、…………よろしくお願いします」

「おう!」

 鳴海の元気な返事と同時に傘もピタリと回転を止める。空良が予想したように、中棒が二人の間に真っ直ぐに立った。

「俺が持つからな。もし濡れてたりしたら教えてくれよ」

「この大きさなら大丈夫だよ」

「そっか。じゃあ行くぞ~」

 空良は肩ひもを握りしめながら、鳴海に近づくように少しだけ寄った。二人は歩幅を合わせながら雨の下に出る。ドボボボ、バラ、バラララという雨音を聞いて二人は、ふはっと笑った。 







【夏目空良】

 小学6年生。身長は150センチくらい。

色素が薄く細い。整った顔立ちから女の子見たいと言われる。それが嫌。

姉2人の3姉弟。


【春崎鳴海】

 小学6年生。身長は160センチくらい

成長が早いため他の子より大きいしがっしりしている。面倒見のいい兄がいるため、その影響と、弟がいることもあり面倒見がいい

兄と弟の3兄弟 

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