第三十二計 救いの女神、……じゃねえ!



「もしもし、零花ちゃん?」


「あー、お待たせ、玄徳ぅ」零花の甘ったるい声が流れてくる。「やっと仕事終わって、いまお店に行くところ」


「助かった」地獄に女神。玄徳は早口にまくしたてた。「お願いがあるんだ。9階催事場に行って、そこでみんなと合流してくれ。あと絶対にうちの店には来ないで。シボーさんに見られたら疑われるから」


「わかった。9階催事場ね」


「そう。で、みんなの集合を確認したら、会場まで連れてきて欲しいんだ。会場のお好み焼き屋の地図は送ってあるよね。そこまで地下を、いい? 地下道を通ってきて欲しいんだ。で、ぼくらが店に入ったら連絡するから、その連絡を待って突入して来てほしい」


「わかった。りょーかいでーす。あたしに任せてちょうだい。見事に突入して見せるから」


「わかった。頼りにしてるよ」


 玄徳はほっと一息ついて、通話を切る。


 よし。一時はどうなることかと思ったが、これで何とかなりそうだ。


 予約の時間にはまだ早いが、問題はないはず。

 玄徳はシボーさんとフーちゃんを連れて出発する決断を下した。本隊は零花が連れて来てくれるはずだ。



 彼は急いでロッカールームで着替えると、バックヤードですでに待っているシボーさんとフーちゃんの所へもどった。


「おまたせしました。じゃ、行きましょうか」と声をかける。


 が、一人多い。

「ん? なんで三人いるの?」


 とよく見ると、私服に着かえた内藤さんが混じっている。

 そうか、内藤さんも上がる時間か。が、なにこの、一緒に行きます感。


「おお、玄徳。一人増えてもいい?」

 シボーさんが、別に構わねえだろうという顔で聞いてくる。


「は?」

 さすがに顔がひくひくと引き攣った。


 いいわけ、ねえだろー!


「あたし連休なんで、今日でシボーさんとお別れなんでしゅよ」

 内藤さんが笑顔でいう。


 なるほど。玄徳は心の中で納得する。そういうことか。それでいま挨拶に来て、シボーさんが折角だからと誘ったのか。


 しかし、となると……。


 もしふだんの玄徳であれば、この申し出を断ることはないはずだ。ならば、ここで変な動きをするわけにはいかない。


「ああ、じゃあ、ちょーっとお店に電話して、人数変えてもらいますね」


「お手数かけちゃって、ごめんなさいでしゅ」


「ああ、全然。全然全然だいじょうぶでしゅよ」


 玄徳は素早く売り場に走り、レジの近くでスマホを取り出す。


 筒井さんからも南雲さんからもメッセージは届いていない。が、いまはとにかく『豚ちんかん』に電話だ。



「もしもしぃ?」


「お電話ありがとうございまし──」


「松山ですけど」斎藤さんがまた出た。声をもう覚えてしまっている。なんとか「しー」を言わせまいと遮って、話を割り込ませた。「ごめんなさい、たびたび。また人数が増えちゃったんです。8人から9人へ変更お願いします。だいじょうぶですか?」


「はい。だいじょうぶでございま──」


「助かります。ですので、離しておく席は、4つ。で、残り5人分の席の確保もお願いします」


「かしまこりました。ご来店おまちしておりま──」


「たのみます!」


 電話をガチャ切りした。一瞬「しー」を封じられた斎藤さんの舌打ちが聞こえた様な気がしたが、それはきっと気のせいだろう。




「八重垣さん」レジに立っている暇そうな八重垣さんを手招きする。「これから出発します。9階催事場に集まる本隊は、零花ちゃんに引率してもらうことにしました。八重垣さんは何時頃、来られそうですか?」

「うん。ぼくは一時間もしないで行けると思う。ごんめんね、肝心な時に手助けできなくて」

「だいじょうぶです。なんとか形になりそうですから」

 玄徳はにやりと笑うと、小さく敬礼してレジから離れた。



 胃が痛い。寒気がする。だが、興奮もしている。たのむ、うまく行ってくれ、あと少しだから。そして、みんな、ちゃんと会場に来てくれよ。



 これからシボーさんを連れて移動を開始する玄徳に、本隊との連絡はとれない。あとは零花を信じて待つのみだ。


 もう、事ここに至っては、じたばた足掻いても仕方ないのだ。


 バックヤードに戻った玄徳は、待っていたくれたシボーさん、内藤さん、フーちゃんに笑顔で伝えた。


「お店の方は大丈夫です。じゃ、これから向かいましょうか」


 4人で出発する。



 裏の従業員用通路を抜けて、コンクリート剥き出しの従業員用エレベーター・ホールへ。「下」のボタンを押してハコの到着を待った。



 百貨店は、従業員が売り場から帰ることを禁止している。


 必ず従業員通路を通り、従業員用エレベーターを使い、従業員用出口から荷物検査を受けて外に出なければいけない。


 綺麗に内装された売り場とちがい、従業員用通路も従業員用エレベーターも、コンクリート剥き出しで、ロクに塗装もされていないというのが百貨店の内実だ。

 それどころか、避難階段のまえに使わない什器が放置されており、これらは消防査察のときだけ、取り繕うように片づけられる。これは、百貨店の何十年も続く悪癖であるそうだ。毛塚主任の話だと商業施設などではこういうことは、滅多にないことらしい。



 エレベーターを待ちながら、玄徳は素早く地上の移動経路をシミュレートしておく。


 シボーさんと玄徳。そこにフーちゃんと内藤さんという、余計なのが二人ついてきちゃっているが、ここまでの計画は順調。あとは本隊への入店確認の連絡さえクリアできれば、なんとか辻褄は合う。

 玄徳は、シボーさんたちにバレないよう、ほっと一息ついた。


 が、そのとき、4人が立つエレベーターホールの奥にある、鋼鉄製の巨大な扉が開いた。非常時には避難階段としても使われる従業員用階段。ただし、ここは10階なので、この階段を使用する者は滅多におらず、よってこの扉が開くことは、まずなかった。


 ぎりぎりと錆びの浮いた蝶番を軋ませて、騒音とともに開いた扉から中に入って来た者。


 それは、綺麗に着飾った宮園零花だった。

 しかも、手には大きな花束を抱えている。



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