第三十一計 そんなのこっちが聞きたいよ



 そうだ!

 玄徳は天啓のように打開策を思いつく。誰かに筒井さんを呼んでもらおう。


 それだ。ありがとう神様!


 事務所だ。事務所に内線を掛けて、筒井さんを呼び出してもらえばいい。


 事務所とバックヤードは、薄い板壁一枚で仕切られているだけ。事務所の人に、ちょっとご足労願って、筒井さんを呼びに行ってもらえばいい。


 名案を思い付いた玄徳は、2レジに走った。

 レジの中には呑気に立っている八重垣さんがいるが、無視して内線電話をとり、事務所にかけた。


「もしもし、事務所、内藤でしゅー」


 いつもの舌ったらずで綺麗な声がこたえてくる。

 玄徳は一度咳払いをすると、めいっぱい低い声を作って言った。


「あー、もしもし2レジのですけど……」


 隣で八重垣さんが、は?という顔で振り返るが無視。


「……バックヤードに筒井さんがいると思うんだけど、ちょっと呼び出してくれるかなぁ?」


「はぁーい、少々お待ちくださぁい」

 内線電話は保留ができない。ゴトリと受話器を置いた耳障りな音とともに、大声で叫ぶ内藤さんの声が聞こえた。


「筒井さーん! 2レジの玄徳くんから内線電話でしゅー!」


 こらー! まてーい! いま八重垣って言ったじゃん。八重垣って言ったよね? なんでぼくの名前だすのよっ! ちゃんと人の話、聞こうよ!



 しばらくして、受話器がゴトっと鳴り、筒井さんの甘いソプラノが響く。


「もしもしぃ、筒井です」


「ああ、筒井さん」

 玄徳は怒鳴りたいのを抑えて、努めて冷静に告げる。

「いまバックヤードで待たれたら、シボーさんに計画がばれる危険があるから、すぐに! すぐにね、9階催事場へ移動して。そこでオータニくんや塚田くんと合流してくれ。二人ともすでに仕事はあがって、そっちにいるはずだから。で、時間になったら計画通り出発して、地下を通って会場までみんなを連れてきて」


 最後の方はもう、懇願に近かった。頼りは彼女しかいないのだ。


「え? あたしが連れて行くの?」


 だから、昼にそう話したじゃん!


「零花ちゃんと南雲さんもそっちに行くから、お願い、連れてきて」


「え! 南雲さんもくるの!」


 うわー、叫ぶな! いや、いまのはぼくが悪いけど!

 玄徳は首をすくめる。


 まずい、バレたか?


「ごめん、静かにして」玄徳は呻くように言い、「そばにシボーさん、いないよね?」


 一応確認する。


「いないけど」


 ちゃんと確認したのか? 声が聞こえちゃったんじゃないのか?


 詰問したい気持ちを抑えて、玄徳は神に祈る。バレてませんように!


「とにかく、『おつかれさまです』って店を出て、ただちに9階に移動して。で、みんなと合流して」


「わかった。で、それからどうするの?」


 そんなのこっちが聞きたいよ!



「あとで連絡するから。そしたら出発して」


「うん、わかった」

 と言っているが、信じていいんですか? 筒井さん!


 玄徳は震える手で受話器を置いた。






 とにかく、シボーさんの様子を確認しにいこう。もし今のでバレてしまっていたら、もう諦めるしかない。


 重たい気持ちで玄徳はバックヤードへ向かった。

 そろりそろりと中に入ると、筒井さんの姿はすでになく、壁に寄りかかって棚の雑誌をめくっていたシボーさんが声を掛けてきた。


「おい、玄徳」


「……はい」


「あたし、もう上がれるけど、おまえは?」


 バレてない! シボーさんの表情を見て、玄徳は確信した。ほっとする。だが、と同時に焦りもする。


「あれ? シボーさん、毛塚主任とお話があるって、いってませんでしたっけ?」


「ああ、あれ? もう終わったけど」


 え?


 玄徳は壁の時計を確認した。


 17時5分。


 ……まだ早い。


 早い、早いよ、シボーさん……。



 冷静に考えて、予約の時間が19時からですと言えば、なにも問題はなかったろう。

 だが、このときの玄徳は、計画の一部であれ、シボーさんに知られてはいけない、と思い込んでいた。


「ちょっと待ってください」変な言い訳をしてしまう。「すぐに終わらせますから」


 慌てて事務所に駆け込み、周囲を見回し、そこから売り場に走る。レジに行き、台帳を取り、ふたたび事務所に戻って台帳を開き、目を通すが内容はまったく理解できない。立ち上がって台帳をレジに戻し、ふたたびシボーさんのいるバックヤードへ。


 そこで玄徳が見たのは、シボーさんに楽し気に話しかける大澤風子フー


 おいおい、まさかフーちゃん、ぼくたちについてくる気じゃないだろうな。そんなことを考えつつ、事務所へ向かおうとすると、シボーさんが声を掛けてきた。


「おい、玄徳」


「はい。あ、もうちょっと待ってください。もうすぐ終わりますから」


「ああ、分かった。ときに、今晩のお食事会だが、フーも連れてって構わないよな?」


「え?」

 ダメに決まってるでしょ!と言いかけた。

 が、シボーさんが、にへらぁと嫌な笑顔でこっちを見てきた。


 そうだ、忘れてた。ぼくはフーちゃんとの恋愛話を相談するという嘘の理由でシボーさんを誘っていたのだった。だから、ここでフーちゃんが来ることに賛成しないと、話の辻褄が合わないのだ!


「あ、あーあー、はい! そうですね。えーえー、もちろん大歓迎ですよ。フーちゃんこそ、都合はいいの?」


「はい。喜んで」

 快活に笑ってくる。やはり可愛い。たしかに、このままシボーさんの策略に乗って、フーちゃんとくっつけてもらっても構わないかもしれない。

 が、いまは作戦行動中だ。まずはシボーさんの送別会。


「あ、じゃあ、店に電話して、人数二人から三人に増やしてもらいますね」


「おお、たのむよ」


「よろしくお願いしまーす」



 玄徳は休憩室に駆け込むと、スマホを取り出して、お好み焼き屋『豚ちんかん』へ電話をかけた。緊張とプレッシャーで指が震えてしまい、うまく掛けられない。


「もしもし……」


「はーい、毎度ありがとうございましー、お好み焼きの『豚ちんかん』でしー」


「あ、斎藤さんですか? 本日──」首を伸ばしてバックヤードの方を確認し、「──7人で予約した松山ですが……」


「ありがとうございましー。松山様、7人のご予約で19時からでございますね?」


「はい、そうなんですが、一人増えて8人になりました。変更可能でしょうか?」


「かしこまりました。8人でございますね。変更いたしましー」


「で、ですね。ややこしくて申し訳ないんですが、この8つの席のうち、3つだけ離して並べておいて欲しいんです。いいですか、離しておく席が3つに変更になってます。大丈夫ですか?」


「かしこまりました。ですが、8つの席のうち、3つは離せないので、4つ離しておくんでも宜しいでしょうか?」


 そうか。テーブルはひとつに二人座る計算なのだ。


「あ、それで構いませんので、お願いしましー」

 斎藤さんの口癖がうつってしまった。



 電話を切ったあとで、画面で時刻を確認する。

 少し早いが、そろそろ出発しても良い頃合いだ。

 というか、これ以上この精神的プレッシャーに、玄徳は耐えられそうになかった。


 彼は、シボーさんに「そろそろ行きましょう」と伝えるため、バックヤードへ向かった。


 9階の催事場では、すでに本隊が集結しているはず。


 玄徳は筒井さんあてにメッセージを送った。


『みんなを率いて、18時50分になったら出発して。地上は通らず、地下から来ること』


 少し待ってみたが、返事は来ない。だか、待っている時間もない。

 玄徳があきらめてスマホをポケットにしまおうとした、まさにその瞬間。着信が来た。


 画面を見た玄徳は、はっとなり、慌てて通話ボタンを押した。


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