第三十計 やばいんじゃない?
日曜日、決行当日。
この朝、玄徳は、この世に神様がいることを切に願った。
もう、緊張で朝から胃が痛い。
とにかく出勤直後、開店前の2レジにいって、ぼうっとしているシボーさんに挨拶する。
「おはようございます。今日、約束しているの、忘れてないですよね」
「ああ」とシボーさん。「ただ、ちょっと遅れるかもしれないな。毛塚主任が終わったら話があるっていってたから、六時半過ぎになると思う」
「ええ、だいじょうぶですよ」
問題ない。
っていうか予想通り。その時間でぴったりだった。
しかし、思うにあと三日でシボーさんともお別れだ。そう思うと、なぜか無性に寂しい。まあ、お別れといっても、同じ会社なのだが。
玄徳は一礼し、休憩室にむかう。
まだ朝礼にはかなり時間がある。
だか、途中、事務所で顔を合わせた八重垣さんの一言は、玄徳を地獄の底に突き落とす種類のものだった。
「ごめん、松山くん。ぼく今日、早くにあがれないわ」
はあ?! なに言ってやがんだ、この親父。あんたが来なかったら、本隊はだれが率いて来るのよ!
とは、さすがに言えない。
「え、それマズいですね」
「ごめん。遅番の富岡さんが急に来れなくなったらしくて、すこし残ってくれって言われたんだ。ぼくが残らないと、玄徳くんが残ることになっちゃうから」
たしかに、それはそうだ。ならば八重垣さんに残ってもらった方がなんぼかマシ。なんぼかマシなのだが……。
「遅くなるけど、必ず出席するから」
八重垣さんは周囲の目を気にしながら、玄徳の耳元に囁く。
たしかに、仕事ならば仕方ない。仕方ないが、どうしよう……。
だれか別の人に本隊を率いて会場に突入してもらうより他に無いのか?
となると、やっぱオータニくんかなぁ?
とにかく今の時間帯は下手な動きはできない。
店が開いたら、暇な午前中のうちになんとか動いておこう。
こういう一日というのは、ほんと早い。
シボーさんの隙をついてオータニくんをつかまえ、18時30分にみんなが一階下の催事場に集合したら、地下街を通って会場であるお好み焼き屋『豚ちんかん』まで連れて来てくれとたのむ。
が、オータニくんは、来るメンバーが誰だかよく分からないとか、店の場所に自信がないとか、おれはみんなを引率するようなタイプじゃないとか、ごにょごにょ言い訳ばかりして埒が明かない。
仕方なく昼休憩のときに筒井さんを捕まえて、事情を話し、みんなの引率をお願いした。
「うん、わかった! オッケー」
と、こっちは快諾してくれたのだが、あんまり簡単にオッケーとか言われると、それはそれで不安だ。
もう今から胃は痛いし、肩は重い。なにかの悪霊にでも憑りつかれたような悪寒までする。
昼休憩のシフトは、八重垣さんと一緒。日曜はいつもこのおっさんと一緒で、本来ならここで二人で休憩に出て、今夜の計画について手順の打ち合わせなぞ出来ると踏んでいたのだが、八重垣さんはすでに戦線を離脱してしまっている。
よって、玄徳&八重垣で面突き合わせても、なんの建設的展開もありはしない。
そんなとき、ふと気づくと、スマホに南雲さんからのメッセージ。
『いま東京に着いたよー』
メッセージが送られた時刻を確認すると、いまから三十分前。
やばい!と慌てて返信。
『絶対に店に来ないでください。シボーさんに見つかるとアウトです!』
が、しばらく待っても返信来ず。
だいじょうぶかぁ?と不安になりつつも、南雲さんのことだからそこは気遣ってくれると信じたい。でも、久しぶりに東京に来たら、やはり以前お世話になったお店に挨拶に来ちゃうかもな、大人だし。とそう考えると、居ても立ってもいられなくなる。確かに、常識としてはそうかもしれないけど、いまはシボーさん送別会のために、そこはぐっと堪えて頂きたいのですよ、南雲さん!
『お願いします。来ないで』
とさらにメッセージを重ねることしか、玄徳にはできない。少し待ったが、やはり返信はこなかった。
玄徳の終業時間はいつもは17時。本日も17時には仕事をあがることが出来そうな様子だった。
が、送別会の会場予約が19時からだし、シボーさんも、毛塚主任から話があると言われているので、すこし休憩室で待たなければならない。
他のメンバーが休憩室で待っていると不味いが、玄徳が待っている分には問題ないだろう。
レジに行って、「おつかれさまです」と伝え、じゃあ着替えて休憩室で待とうとすると、向こうから通路をやってきた八重垣のおっさんが、『もうおれは無関係だから』的な調子で「ねえねえ」と声を掛けてきた。
「なんですか?」
ちょっとむっとした玄徳の声がすこし尖ってしまうのも仕方ないところ。
「いまさ、バックヤードに行ったら、検品台の椅子にすわって、筒井さんが漫画タダ読みしてるんだけど、きっちり着かえて、けっこうお洒落しちゃっているから、あれってなんか、いかもに『これから何か集まりがあります』みたいで、やばくない? バックヤードにはまだシボーさんもいるし」
「はあ?!」
玄徳は声を裏返らせた。
筒井さん的には、休憩室で待っていたらシボーさんに見られると思い、気をつかってバックヤードで漫画をタダ読みしているんだろうが、ダメでしょー! バックヤードにはまだシボーさんだっているはずだし、あれほど9階催事場に集合って言ったのに、全然ひとの話聞いてないしー!
そして、なんか、おれは無関係的に、観客みたいな口調で「やばくない?」とか言ってくる八重垣のおっさんにも腹が立つ。
が、今はそれどころじゃない。
玄徳は裏の通路をダッシュするとバックヤードまで駆けて行って、扉の影から中をこっそりのぞいた。
いるし!
いかにもこれからパーティーに出ますみたいにドレスアップした筒井女史の艶やかな容姿! しかもすぐそばには、まだ仕事の終わらないシボーさんの姿も!
まずい。今すぐ突入して筒井さんを排除せねば。が、あそこにはシボーさんの姿もある。ここで玄徳が飛び込んで、「9階催事場で待ってて!」と叫ぶわけにはいかない。
入れない! が、どうする? ここは一刻の猶予もならない。もし万が一、ドレスアップした筒井さんの姿に、シボーさんが人並みな興味を向けて、「これから何かあるのか?」と聞こうものなら、計画のすべてが水泡に帰す。
玄徳は筒井さんの携帯に電話を掛けようとして、彼女の番号を知らないことに愕然とする。そうだった。メールアドレスは知っているが、携帯番号は知らない。どうする? メッセージで間に合うか? すぐに気づいてくれるのか? 一刻の猶予もないんだぞ。
考えろ! 考えるんだ!
玄徳は心の中で、叫ぶ。
考えるんだ!
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