第二十九計 ありがとうございましー

 


 その日のバイトが終わってから、玄徳は地上を歩いてお好み焼き屋『豚ちんかん』へ行ってみた。本番ではシボーさんを連れて歩くことになるルートの確認を兼ねていた。


 とくに問題はないと思う。


 信号が多いため、地下ルートより時間がかかるが、こちらの到着連絡を入れてから本隊に移動開始してもらえば、追い越しや鉢合わせはないだろう。到着連絡くらいは、トイレにいくとかなんとか言って座を外すことはできると思う。


 信号脇にある地下へ降りる階段から、玄徳は『豚ちんかん』の店先まで行き、店頭から中が見えるか再確認する。


 大丈夫。見えない。これなら着席しているシボーさんを急襲することが可能だ。

 ここまでは問題なし。


 あとは、最大のネックである店の予約だった。


 参加メンバーは、今朝増えたオータニくんを含めて七人。

 だが、七人の予約をいれるだけではダメなのだ。うまく事情を店側に説明する必要があった。


 とりあえず店内に入る。


「いらっしゃいましー」


 変な発音のお姉さんが出て来た。

 ちょいメイドっぽいベージュの制服に黒いエプロンをしている。中国の人かと思ったら、ネームプレートに「斎藤」と書いてあった。


「ああ、すみません。予約お願いしたいんですが……」


「ありがとう、ございましー」


 なぜに語尾が「しー」?


 と思いつつも、お姉さんが予約台帳を出してレジカウンターの上に広げるのをまつ玄徳。


「いつでございますか?」


 「しー」じゃねえ、と思いつつ、冷静に説明を開始することにする。


「あの、来週の日曜日、28日なんですが、7人で」


「ありがとうございましー」


 やっぱ「しー」がきた。

 斎藤さんは、台帳のページを繰り、当日の予約状況を確認した。

「空いておりましー。7人さまで、ございますね」


 そうか、語尾が「す」のとき、「しー」になるのか。

 って、んなことはどうでもいい。


「あのですね、実は7人なんですが、うち一人を騙して連れてくる予定なんですよ。ですので、7つの席のうち、2つだけ離しておいて欲しいんです。そういうこと、できますかね?」


 もし出来ないと言われたら、店を変えるつもりだった。


「できますよ」斎藤さんは気さくに応じて、台帳に鉛筆で掻き込む。


『7席のうち、2席離しておく』


「ありがとうございます。で、注意しておきますが、一人騙して連れてくるんで、ほくが来たら『予約の松山です』っていいますけど、決して『7人で予約した松山さまですね』とか言わないで欲しいんです。だいじょうぶですか?」


「かしこまりました」


『7人で予約とは言わない』

 とさらに書き込んでくれた。


 玄徳はほっとし、自分の名前と電話番号を斎藤さんに伝える。


「じゃあ、当日、なにとぞよろしくお願いします。人数の変更があったら、前日までに連絡しますんで。あ、あとお店のパンフレット、何枚か下さい」


「かしこまりました」斎藤さんは丁寧にお辞儀して、パンフレットを何枚か渡してくる。


「じゃ、当日、くれぐれもよろしくお願いします」


「かしまこりました。ありがとうございましー」


 玄徳はほっとしてお好み焼き屋『豚ちんかん』を後にした。




 帰りは一応の確認を兼ねて、地下から行ってみる。地下道を通るルートは一本道なので、たぶん本隊のみんなは迷ったりはしないだろう。おそらく玄徳が連絡してから、10分はかからずに到着してくれる。


 シボーさんとの約束もとりつけたし、店の予約も済んだ。

 予定通りなので、変更点をメンバーに連絡する必要もない。


 一度玄徳は地上にでて、池袋の夜空を見上げた。


 繁華街の空は、いつも地上のネオンを映して明るい。薄曇りの今夜は、とくに明るかった。


 計画は動き出した。

 あとは当日を待つのみ。問題はないはずだ。こちらが迂闊な動きをしなければ、シボーさんに気づかれる心配はない。

 玄徳は自分を元気づけ、帰宅の途に就く。

 名古屋に行った南雲さんから電話がかかってきたのは、その夜だった。




「玄徳くん、こんばんは」電話口の南雲さんは、機嫌が良かった。「亮子って、池袋店、今月末までなんだって?」


「あ、そうですよ。よく知ってますね」

 答えてから気づいた。

 南雲さんとシボーさんは、昔からの同僚なのだ。南雲さんが新入社員で太公堂書店に入ってきたとき、ちょうどシボーさんもバイトで入社してきたらしい。二人は実は友達みたいな関係らしいのだが、なにせシボーさんがあの調子だから、二人で仲良くしている場面は滅多に見ることができない。シボーさんの最終日も、南雲さんはシボーさん本人から聞いたのだろう。


「送別会はしないって聞いたけど」


「ええ。あっ」玄徳ははっとなった。「それ、シボーさんが言ってました?」


「ええ、亮子から聞いたよ」


「良かったー」玄徳は心底胸を撫でおろした。「気づいていないんだー」


「なんの話?」


「え?」玄徳は笑いを噛み殺しながら、南雲さんに説明する。「実は、秘密裏にシボーさんの送別会を計画していて、本人に知らせずに騙して連れてっちゃおうと思っているんですよ。でも、シボーさんに勘付かれないか、冷や冷やもんで」


「やっぱりぃ」南雲さんが嬉しそうな声をあげた。「前に電話したとき、そんなこと言ってたもんね。じゃあ、本当にやるんだ」


「ええ。あ、でも、シボーさんには絶対内緒にしてくださいよ。バレたら逃げられちゃいますから」


「わかった──」じゃあ黙ってるね。そう続くと思った。が、南雲さんの言葉は玄徳の予測変換を裏切った。「じゃあ、あたしも出席するね」


「……は?」


「あたしも、行くわ」


「いま、南雲さん、名古屋ですよね」


「そうよ」南雲さんはこともなげに言い切る。「名古屋から行くわ」


「シボーさんの送別会に?」


「当たり前じゃない」


「あ、でも……」


「こんな面白い企画、不参加なんてあり得ないでしょ。あの子房亮子を騙そうっていうんだから。で、いつやるの?」


「あの、えっと、一応28日の日曜日に……」


「じゃあ、その日は実家に泊まるから安心して。詳しい計画を教えてよ。あと会場とか」


「あ、はい。えーと、南雲さんちは、ファックスありますか? なければ、画像で極秘計画書を送ります」


「ファックスは調子悪いから、画像で送って。うわー、楽しくなってきたなー」


「あの、くれぐれもシボーさんにバレないように……」


「わかってるって」


 だいじょうぶかなぁ。玄徳はちょっと心配になったが、いまさら断るわけにもいかない。


 そして、すでに人数が一人増えてしまった。予約を変更しなければならないな。


 そんなことをぼんやりと考えていた。


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