第二十八計 その時、その場所に全員を集めるだけの作戦
始業まえの休憩室はけっこう人が大勢いる。それを嫌うシボーさんは、朝は2レジの辺りで一人ぼうっと立っていることが多い。それを読んだ玄徳が、人気のない売り場を抜けて2レジに行くと、案の定、レジカウンターに寄りかかっている細い背中と長い黒髪が見えた。
「シボーさん、おはようございます」
自然な口調を心掛けて声をかける。
「おう、おはよう」
「あの、シボーさん、シボーさんが居なくなる前に、一度一緒に食事でも行きましょうって話したの覚えてますか?」
「ああ、覚えてるよ」
「あの、実はちょっと相談したいことがありまして」
「うん、ここではダメな事なのか?」
「えっと、じつは大澤さんのことなんですが」
「ああ。大澤フーか」
大澤風子は、学校の関係で最近ずっと早番で入っている1レジのバイトの子である。背が低く、目が大きい可愛らしい女の子だ。性格も明るく、胸も大きくて、ちょっといい感じなのである。
「さいきん彼女とよく話すんですが、彼氏いるのかな?とか、どんな男性がタイプなのかな?って思うんですけど、なかなか聞き出せなくて」
「あー、あれが好みのタイプか」
シボーさんは、急にこちらを振り向いた。ちょっと目が大きく見開かれている。興味が出て来た証拠だ。
「で、シボーさんに頼んで、その辺のこと聞き出してもらったり、彼女の弱点とかを探り出す作戦とか伝授してもらおうかと思うんですが……」
「おお、いいよ」即答である。「いつにする?」
「来週の日曜日はどうですか? じつはちょっと気になる店があって、下見も兼ねて行ってみたいんですよ」
「下見って、その店にフーを誘うつもりか?」
シボーさんは、にやーっと笑った。この辺、この人は変に頭が回る。
「そのまま酔わせて、北口ラブホ街へとか、考えてるのか?」
ちなみにこれ、冗談ではなく大真面目に言っている。
「いや、そこまでは」
ぼくはそういう男ではありませんと、心の中で宣言しておく。
「彼氏の有無や、弱点は来週までに探り出しておけばいいか?」
もう早速いまから始めるつもりでいる。
「いえ、それは自分でやりたいんです。できれば、その計略や作戦をぼくに授けていただけると、助かるんですが」
「おーし、分かった。来週な」
「お好み焼き屋の『豚ちんかん』って店なんで、あとで予約取っておきますよ」
「二人なら、予約なんていらねえんじゃん?」
一瞬ひやっとした。が、そこは冷静に返す。
「本番の予行演習です」
「なるほどね」
「あ、もしなんでしたら、そのあとみんなも呼んで、大勢でお食事会みたいにしますか?」
一応聞いてみる。
「そういうのは、パスだ」
「じゃあ、二人っきりで」冷静に撤退する。「元幹事と元軍師でってことでいきましょう」
お好み焼き屋『豚ちんかん』を会場に選んだのには、もちろん理由がある。
ひとつは立地だ。店からそこそこ遠く、歩いて10分。距離があるということが重要だった。
しかも、駅から続く地下街の外れにある。つまり地下を歩いて行くことが出来、地下であるが故に、店内からそとが見えづらい設計になっている。
店から距離があれば、シボーさんの着席を確認後に本隊へ連絡すれば、途中で鉢合わせすることはない。駅に近過ぎれは、集合場所に集まろうとするメンバーと、移動中のシボーさんが接触する可能性も出てくる。そして歩いて10分の距離なら、着席後に呼び出しても大して時間をかけずに本隊が到着できる距離でもある。
着席後に本隊を呼び出すのだから、どちらにしろ鉢合わせはないとは思うのだが、そこは正直いって、過信は禁物であると玄徳は思っていた。
連絡を待たずに本隊が出発してしまう事態、なんらかの理由でシボーさんの出発が遅れてしまう事態、集合場所が分からないメンバーが直接店に行ってしまう事態。数え上げればキリがない。頻繁に八重垣さんと携帯で連絡取れればいい。だが、玄徳がスマホを取り出して誰かと頻繁にメッセージをやり取りしていたら、シボーさんはどう思うだろう。
怪しむに決まっている。ならば、いざ作戦がスタートしたら、玄徳は本体とは実質連絡はとれないのだ。
不測の事態を予想し、シボーさんを地上から店へ案内し、本隊には地下を移動してもらうというルート分けをしておく。こうしておけば、本隊が先に会場入りしてしまうか、偶然本隊とシボーさんが店の前で鉢合わせしてしまうというパターン以外での失敗はあり得ない。そしての上記の2パターンは、起こる確率が極めて低い。
シボーさんは、南雲さん送別会のときに言ったのだ。
『その時、その場所に、全員集めるだけの簡単な作戦』と。
今回も、その時、その場所に全員集めるだけの簡単な作戦だ。ただし、部隊が二つに分かれているだけである。シボーさんが先に着き、あとから本隊が到着するだけ。作戦としては、それほど複雑ではないのだ。
そして、もうひとつの理由。
この店『豚ちんかん』はお好み焼き屋であるが、テーブルに鉄板がない。裏で焼いてもらったお好み焼きを店員が運んできて食べる方式なのである。
つまり、テーブルの移動ができる。
ここなら、最初ふたつだけ離してあったテーブルと、あとから来た本隊のメンバーのテーブルをくっつけることができる。
一見二人だけの予約と見せておいて、そののちさらに五人増え七人の予約へと早変わりできるのだった。
玄徳は朝礼後、八重垣さんと売り場の通路ですれ違う瞬間、小声で囁いた。
「誘いました」
とぼけてすれ違って行った八重垣さんは、しばらくしたらこちらを振り返る。
玄徳は目立たないよう、低い位置で親指を立てて見せた。
八重垣さんはちいさくうなずいて、去って行った。
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