第二十六計 密かに飛ばされる檄
「となると、まず最初は、シボーさんを食事に誘わなきゃならないな。それはまだなの?」
八重垣さんは、運ばれてきたビールの中ジョッキを、お茶でもすするみたいに口先で吸い込んだ。
「まだです。ただ、食事の話はもうしてあるんですよ。相談したいことがあるって。で、シボーさんの最終日が今月末、10月31日。その3日前の28日が日曜日なんです。まあ、これは昼間も言いましたが、日曜の夜ならどこの店も夜は空いているし、店自体も暇じゃないですか。その日ってことで指定して誘うつもりです。なにしろ相手はシボーさんですから、あんまりしつこく誘ったり日付を確認すると、怪しんでくると思うので、まだ細かく話してはいないんですが」
「いい手だな」八重垣さんは顎をこする。「まだ2週間あるから、それまでにメンバーを集めて、店を決めて、そこにシボーさんを誘い込む。店の場所と時間は。1週間くらい前に一度シボーさんに伝えるくらいにした方がいいかもね。零花ちゃんも、まったく知らないふりしていてよ」
「そうだぞ」玄徳はちょっと厳しい表情で零花を睨む。「シボーさんの顔見て、ぷぷぷとか笑ったりするなよ」
「ええー、それ難しそう」とすでに笑っている。
「シボーさんのことだから、松山くんとの約束を忘れたり、ドタキャンしたりはないと思うけど、気づかれたら逃走しかねないね」
「ええ。気づかれたら、おしまいです。つまり、気づかれないこと、それが一番重要になります。ま、気づかれて逃げられたときは、みんなで楽しくお食事会にして解散しましょう」
「なにそれー」けらけら笑っている零花は、通りかかった店員をつかまえる。「すみません、おなじものもうひとつ」
空の大ジョッキを渡す。もう飲んでしまったようだ。
「なにか、シボーさんの気を逸らす餌がいるね」八重垣さんが提案する。
「なにかありますか?」玄徳は身を乗り出す。
「恋の相談ってことにしよう」
「シボーさんに恋の相談する人、いますかね?」
「いないよー」
零花がけらけら笑いながら、口をはさむ。
「でも、計略にかけて口を割らせてくれって話なら、すぐ乗ってくるでしょ。玄徳くんが、大澤フーちゃんのことを好きなんだけど、彼女の気持ちを知りたいとか、振りむかせる方法ないかとか、そういう方向に持って行けば、尻尾ふってついてくるんじゃないの? あたしのときみたいに」
「あ、あのときのこと、バレてた?」
「シボーさんが自分で言ってたよー、自慢げに」
零花は可愛く口をとがらせる。
「AV女優だなんて噂を流されるくらいなら、本当のことを言った方がマシだと、だれでも考えるはずだろうって」
「そういう話、本人に言うなよ、あのアラサー軍師」
「ひどいね」
八重垣さんが深くうなずく。
八重垣さんの同意をえて、さらにご満悦の零花。
「じゃあ、ここは二人の驕りだね」
「なんでそうなる?」
「すみません、大もう一杯」
「呑みすぎだろっ!」
◇◇◇◇◇
極秘計画書
これは極秘計画書ですので、絶対内容に関しては他言しないでください。
来たる10月28日、日曜日、長い間わが大公堂書店でアルバイトとして働いてくれた子房亮子さんの送別会を開きたいと思います。19時から21時の予定です。会場はお好み焼き屋『豚ちんかん』を予定しています。
ただし、この送別会は子房さんには内緒にしておいてください。当日も本人に送別会とは告げずに連れて行きます。もし事前にバレたりしたら、主賓が逃亡する恐れがあります。
よって、メンバー表はつくりません。すべて極秘に幹事であるわたくし松山玄徳が計画を進めます。絶対に他の人を誘ったり、この極秘送別会について話したりしないでください。
また、計画の性格上、日時、場所、会場が予告なく変更になる場合もあります。ご了承ください。
そして、この計画書を読まれたあとは、このことを一切他言せず、黙ってこの紙をあなたのポケットに確実にしまってください。
会費は3500円を目標にしております。みなさんの集合場所は、うちの店の一階下、9階の百貨店催事場。集合時刻は18時30分。子房さんに見られないよう集まってください。
集まっていただいたのち、八重垣さんの指揮の元、ぼくと子房さんが大公堂書店を出発したのを確認してから、会場に向かってください。ぼくたちの着席を待って、店内になだれ込んでいただきます。
では、みなさん、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
幹事 松山玄徳
◇◇◇◇◇
玄徳は、シボーさんが昼休憩に出たのを確認してから、1レジ付近を捜索し、棚整理に出ている筒井さんを見つけて、無言で極秘計画書を渡した。
「え? なに?」
大きな目を見開いた筒井さんは、長くてさらさらの髪を掻き上げながら、玄徳から受け取った紙にだまって目を通す。
モデル系のその美貌がすぐに緊張で強張り、ついで、ちょっと笑いをかみ殺したように口元を引き締めると、きらりと光る眼で玄徳を見上げて、しっかりとひとつ、うなずいた。
そして、周囲を見回し、だれもいないのを確認すると、渡された紙を丁寧に四つに折ってポケットにしまう。そののち、ちいさいがはっきり聞こえる声で、「分かった」と言い、ちょっと笑った。
玄徳は難しい顔を作って頷き返すと、周囲をさっと警戒して、2レジに戻った。
玄徳が声を掛けているのは、送別会に呼びたい人ではない。口が堅い人だ。この計画がシボーさんにバレれば、送別会のとん挫は必至。よって秘密裏に人を集めなければならないのだが、人数が増えれば増えるほど、シボーさんへの発覚の可能性が高くなる。
玄徳が幹事。他のメンバーは、八重垣さんと宮園零花、義理堅い塚田くん。ガンタは危ないと踏んで呼んでいない。そしていま、筒井さんが参加。
発覚の危険を少なくするために、もうメンバーはこれくらいに抑えておくのがいいだろう。上記五人に、主賓であるシボーさんを含めた六人。ちょっと少ない気もするが、これ以上増やして計画が露呈しては、元も子もない。
六人でお好み焼き屋『豚ちんかん』の席を予約しよう。
そして、このあと。難題である、シボーさんを誘うというシーケンスに計画は突入することになる。
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