第十六計 下君は、その一を知って二を知らず

 


 シボーさんこと、子房しぼう亮子の社員への採用決定と本店への異動が発表されて、バイトの何人かが担当を変更させられた。


 玄徳は1レジから2レジに異動。なんとシボーさんとともに高校学参の担当になった。シボーさんの異動後は、玄徳ひとりで高校学参を担当することになる。

 これから受験シーズンだっていうのに、新人の玄徳が担当で大丈夫なのかと玄徳自身が一番心配していた。


 とりあえずやらされたのは、各大学の過去問題集、通称『赤本』の補充。


 売れるものは、倉庫から大量に持ってきて、あまり売れないものは倉庫からちょっとだけ持ってくる。いずれにしろ、倉庫にある在庫がすべてで、追加注文とかは一切ない。去年のうちに発注した部数で、配本されてきて増刷とかは一切なし。また、人気の商品は、満数くることは少ない。当然予約も受けられない。

 つまり、売れたからといって、重版がかかったりは、絶対ないのだ。



 棚で補充作業をしていると、受験生たちにやたら「〇〇大学の赤本ありますか?」と聞かれるのだが、そもそもが600種類以上あるシリーズ。いきなり大学名で言われても分からない。問い合わせを受けて、シボーさんに在庫を聞きに行く。それが当初の玄徳の仕事だった。


 いま棚にないだけなのか、もう売り切れてしまって入荷がない状態なのか、玄徳には判断がつかないのだ。




 で、裏で作業しているシボーさんに在庫を聞くと、返答はふたつのパターン。


「すみません、シボーさん。帝京大学……」

「324」


 在庫があると、番号だけ教えられる。

 基本『赤本』のシリーズは北から番号順にならんでいるので、そこまで教えてもらえれば十分だ。が、この人、もしかして、すべての大学のナンバーを覚えているのだろうか?


 これについては、訊いてみた。


「聞かれる大学は決まっているから、そこだけ覚えればいい」という返答であった。

 つまり、どの本屋にもないから聞かれるだけであって、逆説的に、聞かれるような本は、そもそもどこにもない可能性が高いのだ。



 そして、その在庫がない場合は、「ない」の一言。

 だが、さすがに何度も聞かれる大学は、玄徳も覚えてきた。


「成蹊大学って、もう理工学部しか残ってないですよね」

「そうだな」

「人気あるんですね、成蹊大って」


「今年はな」

 シボーさんは興味なさそうに説明する。

「成城大学と成蹊大学って、名前似てるだろ。成城大学は、成城って場所にあるから成城大学なんだが、成蹊大学はちがう。『史記』の著者司馬遷が親友の李広将軍を評して『桃李もの言わざれど、下おのずからこみちを成す』と記したことから名前をとっている。命名の由来は違うが、名前は似てる。そして、ランクも近い。となると、なんか、おんなじような大学だというイメージがあるんだろうな」


「……はあ」


「で、大学案内で、その入試難易度を見ると、両校ともだいたいおんなじ難易度だ。ところが、競争率を見てみると、成蹊大学の方が成城大学よりずっと低かったとする。玄徳、おまえなら、どっちを受験する?」


「そりゃあ、競争率の低い成蹊大学を受験しますね、ふつー」


「というわけで、成蹊大学が人気なんだ」


「『今年は』、なんですか?」


「うむ。こういうのを、『荘子』では『その一を識って二を知らず』と言うんだろうな。去年は逆に成城大学が人気があった。成蹊大学と成城大学は両校とも、隔年傾向、すなわち一年ごとに倍率が高くなったり低くなったりする傾向があり、しかも交互にこれが来る。理由は、前年度の競争率の低さだ」


「えーと、それはつまり」


「去年は成蹊大学の競争率が低かったから、今年は高い。逆に、去年競争率の高かった成城大学は、今年は競争率が低い。狙うなら、今年は成城大学だな。で、あたしたちは、商売で受験に関わっているから、今年は成蹊大学の過去問を多めに発注しているということだ」


「え、そうなんですか? じゃあ、それ、ポップに書いて宣伝して、成城大学の赤本売りまくりましょうよ」


「多少売り上げは伸びるかもな」シボーさんはにこりともしなかった。「だが、受験生は案外真面目だから、志望校を本屋で見たポップで変えたりしない。そのくせ将来の進路とかは安直に決めてる。漫画で『牧場』ものがヒットしたら、畜産学部の競争率が高くなるみたいにな」


「はあ、そんなもんですか」


「そんなもんですよ。なので、来年の発注は成城大学を増やすように。あと、受験のデータってのは、必ず三年過去までさかのぼって確認しろ。一を知り、二を知り、三を知るようでなければダメだ」


「はい」玄徳は素直にうなずきつつ、話題を変えた。「あの、シボーさんの送別会のことなんですが」


「だから、やらなくていいって、何度も言っているだろう」


「ええ、でも、結構みんなから、いつやるんだ?って聞かれて困っているんですよ。やらないの?って結構聞かれてますよ」


「あたしは、南雲じゃないから、そんな人望はないよ。おまえ、誤解するなよ。みんな、あたしと別れるのが寂しいわけじゃない。前回の南雲の送別会が盛り上がったから、また理由をつけて盛り上がりたいだけなんだ。人間は利害で動く。つぎの送別会は注意しろよ」


「え?」


 そのときは、シボーさんの言う意味がよくわからなかった。



 だが、シボーさんの送別会が開催されないということが、みんなの耳にだいたい伝わり切った翌々日。休憩室にこんな紙が貼りだされた。



『動物アイドル宮園零花さん、歓迎会、開催! 幹事・大道寺』



 宮園零花の歓迎会を大道寺さんが開催するらしい。

 すでに、彼女のファンを標榜しているオータニくんと島崎くんが参加者の欄に名前を書いており、他にも何人かの名前がある。、真面目で義理堅いキャラの塚田くんとか、単に酒好きのガンタとか。ただし、ガンタは遅番みたいで、二次会からの出席だ。


 玄徳も名前を書くことにした。

 宮園零花に関しては、シボーさんが彼女の正体を暴いたり、それが理由で彼女がちょっと肩の荷を下ろしたりした経緯もあったが、やはり南雲さん送別会に零花が出席してくれたお返しの意味が強い。大道寺さんが幹事をしてくれるというのも、楽でいい。


 日時は来週。会費は3500円で、プレゼント代含む、だった。



 玄徳が名前を書き終えて、バインダーを壁に吊るしていると、休憩室に入ってきたシボーさんが「へー」とかワザとらしい声をあげて、のぞきこんできた。


「宮園の歓迎会をやるんだ。あたしも行きたいけど、大道寺が幹事じゃなあ。危なくてしょうがない」

 くくくくと、含み笑いをもらす。あきらかにあざ笑っている。

「玄徳、おまえも、行くのやめておけ。『君子、危うきに近寄らず』、だ。剣豪塚原卜伝は、足癖の悪い馬のうしろを大きく迂回して通ったというぞ」


「べつにただの歓迎会ですよ。なんで危険なんですか」玄徳はあきれる。「シボーさんも、来たいなら来ればいいじゃないですか」


「こりゃ換骨奪胎だぞ。前回の南雲送別会の成功例を引き合いにして、今度は自分が上手くやろうとしているんだが、大道寺には無理だ。あたしゃー、参加しないね」


 偉そうに顎を突き出して、玄徳のことを上から見下ろしてくる。


「もう。好きにしてくださいよ」

 玄徳は、偏屈女は放置しておいて、仕事にもどることにした。



 名古屋に行った南雲さんから、電話がかかってきたのは、その日の夜だった。




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