第十五計 つぎの送別会は?

 


 ちょっと余裕のできた玄徳は、ゆっくりと周囲を見回し、にっこりと笑う。


「シボーさんのおかげです。ぼく一人ではとてもこうは盛りあげられなかった」

 暑苦しいサルスーツのフードを下ろして、頭を露出させた。

 すっと汗が引いて、涼しさが首筋を撫でる。


「一休みしたら、会費を計算して集めるぞ。3900円ってことになっていたが、少し安く上がりそうだな」


「このサルスーツの代金も払えるんじゃないですか?」


「これは、あたしの奢りだ。また今度送別会の幹事をやるときは、ちゃんと着るんだぞ」


「着ませんよ、二度と」玄徳は笑った。


「ねえー!」

 体当たりするように、玄徳に背中に抱き着いてきた柔らかい身体に押されて、手にしたビールがこぼれた。「わっ、ちょっと」


 驚いて振り返ると、密着してきているのは、宮園零花。顔が赤く、あきらかに表情が緩んでいる。息が酒臭い。


「ちょっと、宮園さん」


「ねえー、そのサルスーツ、あたしにも貸してよー。あたしも、着たーいー」

 甘えるような声でダダをこねる。



「いや、これは……」


「いーじゃねえか。着たいって言ってんだから」

 隣でシボーさんが苦笑する。

「動物アイドルの実力、見せてもらおうぜ」


「じゃあ」玄徳も苦笑すると、グラスを置いて立ち上がり、サルスーツを脱ぎはじめた。「ここから盛り上げるのは、宮園さんにお願いするとして、ぼくは一休みさせてもらいますよ」



 玄徳は取ってもらっていた料理に手を付け、つぎつぎと掻き込む。つがれたビールは異様に美味かった。ビールをおいしいと思ったのは、このときが初めてだ。それまではなんか苦い飲み物だと思っていたが。


 しかし、あんまり酔ってしまうわけにはいかない。


 ことのあと、会計というお仕事が待っているのだ。

 人心地ついたあたりで、名簿を取り出し、店員さんからもらった会計レシートと用意してきた電卓を、卓上につくったスペースに並べた。


 背後では、サルスーツを着た宮園零花の撮影会でもりあがっている。彼女がポーズを決めるたびに、会場からは歓声とどよめきがあがっていた。



 が、玄徳は、会計に集中する。


「百円でいいから、女子を安くしろ」

 シボーさんが横から口を出してくる。

「百円じゃ、変わらないでしょ」

「気持ちだよ、気持ち」

「三百円安くします」

「まぁーた、これ、高い花束買ったなぁ」

「任せるっていったじゃないですか。花束って案外高いんですよ」


「ちゃんと自分も数えろよ」

「数えますって」


「南雲は会計人数に入れるなよ」

「……そうでした」

「主賓から金とってどうするんだよ」

「すみません」

「スカポンタン」

「謝っているじゃないですか」

「うわ、ぎりぎりだなー。ちょっと金策が必要か?」



 というようなわけで、男性3900円、女性3600円の明朗会計。それで集めようとすると、シボーさんが、「最初に毛塚主任からもらってこい」という。


「え、なんでですか?」


「玄徳、おじさんに恥をかかせるなよ」


「は?」


 そのときは、なんのことか分からなかったが、会計金額を伝えると、毛塚主任は黙ってそっと一万円札を渡してきて、「これ使って」と。


「え、だいじょうぶですよ」と小声で辞退したが、毛塚主任が、

「今日はほんとうに、素晴らしい送別会だったと思うよ。社員でも送別会はささやかながら催したけど、こういう風にはなかなかできなかった。これ、使ってよ」


「えー……」

 ちらりとシボーさんを見ると、彼女は惚けてそっぽを向いている。玄徳の裁量で決めろということだ。

「じゃあ、ありがとうございます。遠慮なくいただきます」


 そして、

「みなさん、毛塚主任から、いただきましたー!」

 と両手で一万円札を掲げる。


 その場の全員が、「うおー!」と盛り上がり、拍手喝采。


 調子に乗ったインフォの米本主任が真っ赤な顔で玄徳に財布を渡してきたので、さらに玄徳がそれを掲げて、

「米本主任から財布ごといただきましたー!」


「うおー!」とさらに盛り上がる。が、米本主任、「冗談冗談」と財布を慌てて回収して、それでも中から一万円を取り出して玄徳に渡す。

「おー!」と少しトーンの下がった落胆半分の声が上がり、「財布! 財布! 財布!」とコールがかかる。


 いやいやいや、とジェスチャーで両手を振る米本主任を放っておいて、玄徳は席に戻ると再計算をした。


「五百円ずつ、安くしましょう。男性3400円、女性3100円」


「安いなー」シボーさんが感心したように数字をみる。「よし、それでいこう」


 すると、シボーさんの向こうの席から大宮店の社員の飯山さんが口をはさむ。

「女子は3000円にして、端数はあたしが払うよ」


「大丈夫です」玄徳は即答した。外部からきた人間に会計を負担させるわけにはいかない。


「でも、会計の端数が100円じゃあ、お釣りが大変でしょ」


「平気ですよ」玄徳はにやりと笑ってカバンの中から巾着袋を取り出し、ごん!とテーブルの上に置いた。この中には100円玉の棒金が2本、すなわち100枚入っている。シボーさんに言われて事前に用意したものだった。


「参りました」

 飯山さんが苦笑した。


「名軍師がついてますから」

 玄徳は微笑する。




「松山くん」

 背後から声をかけられ、振り返ると南雲さんがいた。

 椅子の背もたれに手を掛け、顔を近づけてくる。

「今日はありがとう。本当に素敵な送別会だわ。昔の人たちにもたくさん会えたし。こんなに大勢呼ぶの大変だったんじゃないの?」


「いえ」玄徳はにっこり微笑んだ。「シボーさんがついてましたから」


「そうだね。亮子もありがとう」

 にっこり笑う南雲さん。


「なぁに」なんか妙に男前な調子でシボーさんが口元を歪めた。「麻衣、おまえの人徳だろう」


「つぎは、亮子の番だね」


「いや、あたしの送別会はやらない」


「え?」

 玄徳はびっくりしてシボーさんの顔を見つめた。

「シボーさんの送別会? え、シボーさん、やめたりしないですよね?」


「バイトであれ、社員であれ」シボーさんは、なんか達観した哲学者みたいな口調で肩をすくめる。「職場を辞すときは、やがて来るもんだ」


「何言ってんの」南雲さんが柔和な笑顔で、シボーさんの肩を小突いた。「社員に採用されたんでしょ。辞めるんじゃなくて、本店に異動でしょ」


「え……」玄徳は茫然とした。「それ、何の話ですか? おれ、聞いてませんけど」


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