第十四計 あとは野となれ、送別会

 


 玄徳は、あちこちの細かい集団ひとつひとつを廻って、出発する旨を伝える。

「じゃあ、出発しまーす!」

 大声で叫び、手を挙げて先頭に立ち、ゆっくり動き始めた。


 なんとなくたむろしていた人混みが動き出し、三々五々と列を成して玄徳についてくる。ちらりと見ると、かなり後方でシボーさんがこちらに目を合わせて頷いてくれた。

 はぐれそうな人をチェックしてくれるつもりだ。

 こういうところは、ホント頼りになる。

 玄徳は背後を振り返り振り返り、ミュンヘン館へ向けて、一番単純で広いルートを選択して進んだ。





 ミュンヘン館に到着するまで、じつに19分の時間を要した。


 なんとか入り口まで到達し、先に中に入り店員さんに挨拶。会場へと案内してもらう。

 薄暗いフロアには無人のテーブルが並び、すでに割りばしとグラスが綺麗に配されていた。そしてそのテーブルの一番端に、静かに着席した南雲さんの姿が。


 玄徳がほっとして一礼すると、南雲さんも立ち上がって会釈。

 だが、すぐあとから入ってきた筒井さんが「きゃー、南雲さーん」とか大声上げて駆け寄ったため、後続の集団がわらわらと入室して来て、ちょっとしたカオス状態に。


 あっという間に場は制御不能におちいった。


「あの、ちょっと、みんな、着席して……」

 と声を上げようとする玄徳をつついて、シボーさんが耳打ちする。

「玄徳、人数確認。いないのは、何人だ?」


 すぐさま室内の人数を確認すると、ここには26人。直接来るはずの人数が14人。遅れて来ているのが、大道寺さんひとり。


「ん?」玄徳はもう一度数え直す。「一人足りない?」


「どうして? 足りるだろ?」

 隣で数えていたシボーさんが口を尖らす。


「でも、ここにいるのが26人で、後から来るのが……」


「27人いるだろ。おまえ、自分数えたか?」


「あ、そうか。自分ね」


「このスカポンタン。だいじょぶか? とにかくみんなを着席させよう。このままじゃあ始められない。次の予約があるから時間延長できないし、飲み放題は時間制限があるから、18時には始めないとな」


 などと話しているうちに、つぎつぎと直接組の参加者が入ってくる。古いバイトの人、そして毛塚主任も時間前に来てくれた。それとインフォの主任米本さん。玄徳は挨拶しつつ、みんなを着席させるために動き回る。


 18時直前になって、なんとか大道寺さんが到着。まだ来ていない人が二人いるが、もう待てないので、会をスタートさせることにして、シボーさんの指示で事前にとってあった飲み物のオーダーを店員さんに通す。

 ビールだのサワーだのが配られ始め、最初の料理が到着しだす。


 運ばれてきた飲み物を「はい、生グレープ・サワーの人!」と声を張り上げて、つぎつぎオーダーした人のところへ誘導するのは、玄徳のつとめ。あちこち走り回り、つぎつぎと声をかけて、飲み物のデリバリー補助をする。もう超下働きである。



「玄徳!」

 前の方に着席していたシボーさんが、立っている玄徳に大声をかけた。

「開会の挨拶をしろ!」


 えっ!と思って断ろうとしたが、全員の割れんばかりの拍手で、玄徳の言葉はさえぎられる。


 みんなの前で挨拶するなんて無理!と思ったが、もう会は盛り上がってしまっているし、ここで断れる雰囲気ではない。


 もう行くしかない。前に出ると、大きく息を吸い込んで、叫ぶように声を張り上げた。

「え、えー! 本日はお忙しい中、おあつまつり……」噛んだ。「お集まりいただけけ」また噛んだ。


「長いぞー!」

 シボーさんが野次を飛ばす。

 そんなご無体な。


「えー、では、南雲さんの送別会を始めたいと思います。南雲さんには、のちほどご挨拶していただきますので、まずは乾杯の音頭をとらせていただきます。みなさん、グラスは行ってますか? 足りない人、いない?」


「あ、ちょっと待って」シボーさんが手を挙げて立ち上がった。椅子の下からビニール手提げを取り出して、小走りに前に出てくると、袋の中身を玄徳に渡した。


「なんですか、これ?」

 玄徳は透明ビニールに入った茶色い布を手にして首を傾げる。

「それを着て、やれ」

「は?」


 玄徳は首を傾げるが、みんなが見ている。その40人以上の視線に促されて、ビニール袋を開け、中から茶色い布を取り出して、広げてみた。

 でかい。全身タイツ? お尻が赤い。耳がある。……猿? サルだ。これはサルスーツだ!


「こんなもん、着れませんよ! なに用意してるんですか!」


 が、大爆笑と割れんばかりの拍手が玄徳を包み込む。


「いいぞ、幹事。サルスーツ! 早く着ろ!」


 誰かが叫んでいる。


「いや、これ」広げたサルスーツを手に、玄徳は茫然と会場を見渡すが、そこにいる全員が期待と興奮の目でこちらを見ている。


 やられた。うちの軍師に、乗せられた。水底の石が、勢によって動かされている。ここで断れる雰囲気ではない。


 玄徳は勢いよく、サルスーツに片足を突っ込んだ。

 割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 もう片方の足をつっこみ、シボーさんが着るのを手伝ったくれて、すぐそばの席にいた筒井さんがたちあがって、背中のファスナーをあげてくれる。耳のついたフード部を頭にかぶり、これで完全に玄徳はサル!


 彼は一歩前にでると、両手を広げた。

 会場がさらなる拍手で包み込まれる。

 ええーい、ままよ! あとは野となれ、送別会!


「みんなぁー、始めるぞぉー!」玄徳は拳を突きあげた。「グラスをもてぇーい! いくぞ、かぁんぱぁーーい!」


 サルの姿の玄徳の檄に答えて、41名の参加者がグラスを掲げた。


「乾杯!」


 大声がうねるように響き渡る。


 そこへ、仕事でちょっと遅れた宮園零花が扉を開けて入ってきた。

 立ち止まり、目を見開いて、そして小さく手を叩く。

 彼女を知っている人も、知らない人も、そこにいる全員が一番の新人を拍手で迎えた。


 場の盛り上がりに目を輝かせた零花は、小走りに南雲さんの場所までいくと彼女と握手を交わし、零花のためにとってあった席について、周囲の人に挨拶している。


 そののち、玄徳は南雲さんに挨拶をお願いし、プレゼントを渡した。結局プレゼントは花束にし、それを筒井さんに持ってきてもらったので、まあ、あまりサプライズ感はなかったが、それでもやはり花束はいい。写真をめちゃくちゃ取られ、一応毛塚主任に挨拶もお願いしたら、主任が前に出た途端、「引っ込め、毛塚!」とめちゃくちゃ野次られ、とカオスに次ぐカオスな展開で会はもりあがった。





「おい、こっちきて、一休みしろ」

 座の盛り上がりが最高潮に達したあたりで、シボーさんが玄徳の肩を叩いた。


「ええ」

 自分のために空いていた席に腰をおろし、やっと一息つく。

 シボーさんがグラスについでくれたビールをぐいっと一息に飲み干して、ほうっと大きく息を吐いた。


「おつかれ。もう大丈夫だろう。会は勝手に盛り上がってるから」空いたグラスにシボーさんがもう一杯注ぐ。「よくやった。このいくさ、おまえの勝ちだ」


「いえ」乾いた喉をビールでうるおして、玄徳は笑った。「の、勝ちです」


 ニヤリと笑い合い、シボーさんと乾杯した。


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