第十二計 幹事は世のため人のため
シボーさんの言う通りである。
当日急に休んだメンバーがいるとして、その欠損分を幹事や参加者が払うのはおかしい。
だが、もし今回急に送別会を欠席するメンバーがいたとして、その人の気持ちも玄徳にはよく理解できる。最初の飲み会っていうのは、なかなか行き辛いものがあるのだ。とくに、そういう場に慣れていない玄徳みたいな人間にとっては。
「あの、やっぱ、お金は当日会場で集めるってことにしては、ダメですかね?」
「いいけど、急に欠席したやつがいたら、そいつの支払いはどうする?」
ぼくが払います、と言えればいいのだが、一人休めば料金は2倍。二人休めば料金は3倍だ。うーん、怖い。さすがにそこまで太っ腹ではない。
「それとも、きちんと約束通りに出席してきた正直者のみなさんに負担させるか? それでもいいが、それは却って不公平じゃないのか?」
「そうなんですが」玄徳は頷かざるを得ない。だが……。「でも、シボーさん。たとえば風邪で急に行けなくなったりして、その場合もお金とられちゃうと分かったら、次からみんな誘っても『行く』と言わなくなるんじゃないでしょうか? つぎに送別会を開くとき、来てくれない人がだんだん増えてくるのでは?」
「当然そうなるが、別にいいじゃねえか。南雲の送別会なんか、今回一回こっきりなんだし、次なんか考えなくても」
そうか、それで南雲さんは当日急に欠席した人からお金をとったりしなかったのか。
玄徳はやっと理解できた。
たしかに玄徳はあのとき、さしたる理由もなく、しかも連絡もせず、南雲さんが主催した送別会を当日いきなり欠席した。もしそれで、後日あのときの料金を請求されれば、つぎから送別会に参加する、いや正確には参加しますと言うことはなかったろう。ここで、南雲さんのために送別会を開こうとすら、していなかったかもしれない。次があるから、南雲さんは後日料金の請求をしなかったのだ。
「あの、南雲さんの送別会なんで、南雲さんのやり方に倣ってもいいですか?」
「あたしは軍師として、事前に金を集めることを進言するよ」シボーさんは眼鏡のむこうから鋭い目で睨んできた。「だが、あくまでそれは軍師としての進言だ。幹事のおまえがどうしてもそうしたいなら、そうすればいい。だが、もし当日欠席が出た場合は、その料金はどうするつもりだ?」
「ええ。そこのところは、どうしてたのか、南雲さんに直接聞いてみようと思います。このあと、店にいらっしゃるらしいですから」
「いいだろう。そうしろよ」とそこで、ふっとシボーさんの表情がゆるんだ。「それ、あたしも一緒に行っていいか?」
「ええ、もちろんです」
なぜか玄徳はほっとしてしまった。
「ああ、なるほどね」
久しぶりに見た南雲さんは私服姿であり、以前にくらべて少しやせた感じだった。
退社後、家族で旅行にいっていて昨日もどってきた彼女は、旅行のお土産を手に店に挨拶にきたのだ。送別会の細かい連絡ついでに、玄徳は会費の問題について南雲さんに教えを乞うた。
ふんわりと微笑んだ南雲さんは、得心したようにうなずく。
「よくそこに気づいたね」
南雲さんによると、玄徳とシボーさんの論争の通り、そこにはちょっとしたジレンマがあるそうである。
玄徳のように、当日休んでしまう者、その理由がちょっと二の足を踏んだりとか風邪ひいたりとかの病欠、忌引き、すっかり忘れていたなどと理由はさまざまだが、いきなり当日来なければ、人数変更が利かず、予約した人数分のコース料理がだされてしまうこととなる。
「いろいろ方法はあるんだけど、まず事前に予測しておくことよね、そういう事態を。だから、会費にはある程度の余裕を持たせておいて、多い分は返せばいいから、三千円かかりそうなときは、三千五百円ということで伝えておくの。当日の『飲み放題』の金額はもちろん実際の人数分しかかからないから、問題は『コース料理』の金額でしょ。あたしは基本的に頭割りにしてみんなの支払いに乗せているかな。そこは毎回来てくれるみんなは、お互い様だから、八重垣さんとか岩田君とかはわかってくれてるし。だから、予約するコース料理は一番安くしておいて、すくなければ追加すればいいし。でも足りないってことは滅多にないわね。あと、あんまり当日人数が減っちゃうような非常事態の場合には、当日だれかを呼ぶわね。そうやって、なんとかやり繰りしてきたかな」
「だが、もともとの責任は、当日急に欠席したやつにあるんじゃないのか?」
横からシボーさんが口をはさんできた。タメ口な上に、腕組みして、バイトのくせに社員の南雲さんに対してもスゲー偉そう。『南雲さんに軍師として扱ってもらったから、軍師として送別会を手伝う』と言っていた、あのちょっといい話はなんだったんだと思ってしまう。
「そこは玄徳くんの考えと、あたしは全くおなじ。急に欠席しちゃった人から会費としてお金を取ることをすれば、みんな怖くて次から参加しづらくなるわ。『迷惑かけちゃうから』って参加を遠慮するひとも出てくる。そうすると半末転倒じゃない? みんな善意で動いてくれているんだし、義務じゃないんだから」
「むぐっ」とか変な声を上げてシボーさんが喉をつまらせた。
『韓非子』を引用して「人は利害で動く」とか、『孫子』を引用して送別会を兵法、すなわち軍事行動として運用しようとしていたシボーさんとしては、痛いところを突かれたはずだ。
「しかし、誰かがきちんと指揮をとって、みなを導いてやらないと、集団はめちゃくちゃな動きをして、収拾がつかなくなるだろう」
ちょっと声に元気がないシボーさん。
「だから、幹事さんが縁の下の力持ちになって、あっちこっち動き回るんでしょ」南雲さんは口を尖らせる。「もう何年も前だけど、朝礼で松下幸之助の言葉が紹介されたの忘れた? 『商売は世のため人のための奉仕活動であり、売り上げはその当然の報酬である』って。商売ですら世のため人のための奉仕活動なんだから、送別会の幹事なんて、もっと奉仕活動でしょ?」
さも当たり前といった風に南雲さんがいい、玄徳の方を振り返る。
玄徳は頷いた。
たしかにそうだ。
幹事は送別会という作戦行動の最高指揮官であると同時に、みなの下僕として走り回る下働きでもあるのだ。
『幹事は、世のため人のための奉仕活動』。それが南雲さんのスタイルなのだろう。ならば、南雲さんの送別会の幹事は、そのスタイルでやらせてもらおう。どうせぼくは、下君であるから、自らの力を尽くすしかないのだし……。
玄徳は「幹事」とか「君主」とか言われて、自分が偉くなったような勘違いをしていたことを激しく反省した。いつの間にか、自分がシボーさんと完全に同調してしまっていたことに気づき、はっとなる。
軍師と君主は、いい関係でなければならない。そのためには、軍師の言いなりではいけないのだ。聞くべきところは聞き、拒絶するべきところは拒絶する。
だけどね。そう、孔子の「だけどね」だ。
ここまでやってこれたのは、シボーさんのサポートあってのことでもある。そこも忘れてはならないのだ。
「ありがとうございました」玄徳はそれ以上聞かずに、南雲さんに頭を下げた。「送別会の幹事としての先輩の意見、たいへん参考になりました」
「まあ、けっこう失敗もあったんだけどね」ぺろりと舌を出す南雲さん。「あと、あたしの送別会、けっこう来てくれるみたいだけど、ほんと、無理しないでね」
「だいじょぶです」玄徳は胸を張った。「シボーさんがついていますから」
「そうだね」南雲さんがにっこり笑った。「亮子がついているから、安心だね」
「けっ」
シボーさんがそっぽを向いて吐き捨てるような声を出す。いつも真っ白いその頬は、ちょっと赤かった。
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