第十計 アラサー伏龍めざめる




「気になりませんか?」


 玄徳はシボーさんに訊ねてみた。


 当然返答は、


「気にならん」


 の一言。


「でも、彼女に片想いしちゃっている島崎くんなんかは、気にしちゃってるし、大道寺さんもなんとか探り出してやろうと、こそこそ動いているんですよ」


「バカらしい。なんだっていいじゃないか、そんなの」送別会の参加者名簿に記載された人数を数えていたシボーさんは、不機嫌そうに顔をあげる。


 南雲さん送別会まであと1週間を切った。ほとんどの人から参加に対する返答がきており、参加人数はほぼ確定してきている。


 現時点での送別会参加メンバーは41人。なんと、シボーさんが予想した「42・2人」とほぼ合っている。恐ろしい。名軍師とは、ここまで恐ろしい者なのか。玄徳は背筋が寒くなる思いである。


「案外AV女優とかじゃないだろうな」シボーさんがため息まじりにつぶやく。「そんなんだったら、却って表ざたにしない方がいいと思うぞ」


「AV女優じゃないですね、オータニくんが保証してます」


 玄徳が言うと、シボーさんがにやりと笑った。

「あ、オータニね、風俗刑事」


「ちがいますよ、AV警察です。どっちの呼び名も不名誉ですが、捜査能力は確かです」


「捜査能力が確かだという評価が、一番不名誉だな」


 現在は平日の午前中。比較的暇な時間帯。


 玄徳は新刊のポップをマーカーで書いている。格好いい宣伝文句と、ちょっとしたイラスト。実はこういうの得意なので、あちこちの担当者から依頼がくる。

 いま書いているのは、『電装竜騎士団の飛翔兵』という本のポップ。玄徳は読んでいないが、結構面白い本らしい。そのあとで『剣豪戦隊ブゲイジャー2』のポップも書かねばならない。ちょっと忙しかった。


 ちなみにシボーさんは、送別会名簿をチェックしているので、実質サボっている状態。最近気づいたのだが、この人は仕事する振りしてなんにもしてない時間が異様に多い。


「そろそろ『ミュンヘン館』に連絡して、人数の変更を伝えますか?」


「いや、その必要はないだろう。予約は45人。いま42人だから、大きな変更はない。ここから一人二人人数が変わる可能性もあるし、ここまできたら、前日くらいに正確な人数を一度だけ伝えれば問題ないだろう。でも、一度予約の確認しておいた方がいいかな。予約してから随分日にちが経っている。向こうが忘れていることはないと思うが、本当にあたしちたが来るのか心配しているかもしれないからな」


「そうですね。しかし、見事な読みでしたね。ほぼ予想通りじゃないですか」


 玄徳が褒めてもシボーさんは「ふん」とか鼻を鳴らしている。が、彼女との付き合いも多少長くなってきた玄徳。シボーさんがふんと鳴らした鼻孔がかすかに膨らんでいるのを見逃さなかった。そして、ちょっとからかってやろうかと、玄徳に悪い気持ちが起きてしまったのも、仕方のないことかもしれない。


「でも、その名軍師シボーさんの力をもってしても、宮園さんの芸名を調べたりとかは、出来ないですよねー。残念だぁ」


「なんだと?」

 低く声を出したシボーさんが、眼鏡の上から玄徳を睨んできた。

「そんなのは簡単だ。『韓非子』によれば、人はヘビや毛虫は怖がるくせに、ウナギや蚕は平気でさわる。すなわち人間は、利害で動くものだと説いているのだ。そこを突いてやれば、簡単だろうが」

「え……」

 玄徳は思わず、「やべー」と心の中でつぶやいてしまう。アラサーの伏龍ふくりゅうをその気にさせちまった。




「おはようございます」

 綺麗な声をあげて入ってきた宮園零花の姿に、玄徳は動きを止めた。今この瞬間、話題になっていた当人の登場である。緊張するなという方が無理だ。


「あ、お、おはようございます。宮園さん、これから?」


「はい、ちょっと本職の方で時間とられちゃって」


「芸能関係なんでしょ」玄徳は気さくに、そして軽い調子に響くように訊いてみた。「どんな活動してるの?」


「それは秘密です」


 宮園さんは、にっこり笑って否定する。もしかするとこれは『笑裏蔵刀』なのかもしれない。


「聞いたよ」シボーさんが結構大きめの声をあげた。「AV女優なんだってな!」


 いきなり言った!


 げっ!と玄徳は凍りつく。


「えっ、いや、ちがいます!」

 宮園さんの顔からさっと血の気が引き、声が裏返る。


「別にいいんじゃない?」シボーさんはにっこり笑った。いつもは見せない天使の笑顔。抜いた! 笑いの裏で刀を抜いた。「いまはアダルトビデオっていったって、芸能人も結構出てるらしいじゃないか。昔みたいな偏見もないと思うぞ。立派な仕事だよ」


「ちょっとまってください。どこからあたしがAV女優だって話になっているんですか? ここでそういう噂になっているってことですか?」


「心配するなって。AV女優だって立派な仕事だよ。ある意味世の中のためになる、名誉ある仕事であると、あたしは常々思っている。宮園みたいな美人がビデオに出ていたら、きっと観た人は幸せになるぞ。なっ、玄徳、おまえも……」


「ちがいます。あたしそんな仕事してないです。ちゃんとした芸能事務所に所属して、『動物アイドル』っていうのをやってるんです。AVなんかじゃありません?」


「あれ、そうなの?」

 もっの凄いとぼけたリアクションを返したシボーさんだが、興奮した宮園さんは気づかず、バッグの中から慌ててスマホを取り出し、画面を操作して、画像を表示させてテーブルの上にばんっと置いた。

「これです。本当ですからっ!」


 真っ青な顔で興奮した様子の宮園零花は、スマホの画面を指さす。

 玄徳はおずおずと、そしてシボーさんはゆっくりと、その画面をのぞきこんだ。


「な、なにこれ」


「っていうか、どれが宮園?」




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