第五計 まずは道、そして天の時
玄徳はシボーさんとともに、さっそく送別会の計画を練り始めた。
台帳を広げ、さも仕事してます風に演出しておいて、二人の会話は送別会の計画だった。
ただし、場所は2レジ内。玄徳の所属は1レジだから、あまり長時間ここに滞在するわけにはいかない。
「なにも仕事中に始めることないですよね?」
「時間がない。決められるところは決めよう」
「時間がないって、まだ日取りも決まってないですよね」
「だから、それを決めるんだ。が、その前にやらなければならないことがある。それは……」
「それは……?」
「送別会を本当にやるか?やらないか?だ」
玄徳はがくっとずっこけた。
「いや、いまその話、します? やるに決まってるじゃないですか?」
「それをもう一度考えようと言っているんだ」シボーさんは眼鏡の奥で目を細めた。
「やはり、送別会を開くにあたってテキストとなる兵法者と言えば『孫子』以外にあるまい」
「いや、兵法書をテキストにする必要ないですよね」
「『孫子』は極めて優秀な兵書で、その内容の半分以上が人間に関して書かれている。二十一世紀の今日でも、『孫子』は実生活に十分役に立つ」
「いや、あのフツーにやりません?」
「そして、その『孫子』の冒頭、始計編では、戦争は決して良いことではないから、戦うか戦わないかはよく吟味すべきだと説いている。そして最初に考慮すべきは『まずは道』であると」
「聞いてませんね、ぼくの話」
「おい、玄徳。この送別会は、人の道として正しい事なのか?」
「いや、戦争じゃないんだから、正しくない送別会なんてないでしょ」
「店のみんなが、そして南雲本人が本当に望んだ送別会なのか?」
「いや、もちろん……」玄徳はそこでちょっと首を傾げた。「そういえば南雲さんにはまだ話してなかったですね、送別会のこと」
そうだ。
南雲さんにはまだ送別会のことを話していない。当然喜んでくれると思い込んでいたが、もしかしてプレゼントのときのように、迷惑をかけてしまうかもしれない。
玄徳は、はっとして背の高いシボーさんを見上げる。
彼女はちいさくうなずいた。
「聞いて来いよ、南雲本人に。で、本人が良いっていうなら、退社の日付と都合の悪い日付。あと、時間帯とか場所のリクエストとか、要望を聞いてこい。送別会を開いたが、南雲が都合が悪くてこれなかったら、洒落にならん。ひとつ、付け加えておくと、孫子では『まずは道』のあと、『天の時、地の利、将の器』と続く。道のつぎは、時だ。タイミング重要。急げよ」
「はい」
玄徳は動き出した。
送別会の計画も、具体的に動き出している。
事務所で発注書を書いていた南雲さんに送別会の話をすると、
「えー、気をつかってくれなくてもいいのにー」
と笑顔で答えられた。嫌がってはいないようだ。
一応「構わないですよね」と玄徳が確認すると、「ささやかでいいからね」というお返事。
その流れで、退社の日付と、予定の空いている日を確認した。
「あー、なるほど」玄徳は南雲さんのスケジュールを手帳にメモすると、「じゃあ、あとはこちらで調整して連絡しますんで」と引きつた笑いを浮かべて、早々に南雲さんの前を辞去した。そのまま早足に2レジへと駆け込む。
「シボーさん、シボーさん。南雲さんの了承はとりました。それより一大事です。南雲さん、14日で退社らしいです。来週ですよ、来週」
「ほお、そうか。ま、そんなもんだろ。たしか麻衣の奴、有給が2週間くらい残っていると言っていたはずだから」
「気づいてたんですか? 早く言ってくださいよ」
「そういうことを本人に確認するのも勉強のうちだろう」シボーさんは意地悪く口元を歪める。なんか最初から南雲さんの予定を全部知っていた感じだ。
「で、退社後なんですが、翌日から家族旅行だそうです。結婚しちゃったら、なかなか行けなくなるから。で、帰るのが24日。で30日にはもう名古屋に引っ越すらしくて」
「となると、25日から29日までの間で送別会を開かにゃならないな。旅行の翌日と、引っ越しの前日は避けるとして、実質26日から28日。ちょっと、そこのカレンダー見せてくれ。……28日は金曜日だから避けよう。となると、送別会の日取りは、9月26日か27日ということになる」
「二日間しか選択肢がないですね」
「却ってその方が迷わなくて済む。早い時期から決めてしまう方が、参加者もスケジュールが立てやすい。南雲はどっちでもいいって言ってたか?」
「ええ、あいている日ならいつでもいいって」
「じゃあ、26日水曜日だ。うちは木曜日に休む人間が多い。休みの日に来るのは億劫だし、翌日休みならかえって参加しやすい。水曜日が好都合だろう。まさに天の時だな。26日で決めて、さっそく南雲に了承とってこい」
「はい、わかりました。あの、シボーさん?」
「なんだ?」
「ぼく、使い走りってぼくないですか?」
「おお、いいところに気づいたな。『韓非子』に曰く。『下君は自らの力を尽くし、中君は人の力を尽くさせ、上君は人の智を尽くさせる』という。おまえは下の君主なんだから、自らの力を尽くして走り回れ。理にかなっているぞ」
「そんなぁ」
玄徳はうんざりしながらも、南雲さんがいる事務所へ向かった。腹が立つから、ゆっくり歩いていった。
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